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「戦後なき死~沖縄・自決の島1991~

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「戦後なき死~沖縄・自決の島1991~」

情報とコメント:京の京太郎さん
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/c51d15bcb87bfd91052b23adc55a9c1d

日本テレビ制作ドキュメント「戦後なき死ー自決の島1991」でも宮平氏は25日夜の忠魂碑の前での村長の話の内容を証言されていますが、今回の原告側採取の証言内容とは違います。村長が「食料を軍に提供し、足手まといにならないように日本人らしく自決しよう。軍から爆薬を貰える約束ができているから到着をまつように」との話。しかし弾薬が到着しないまま、艦砲射撃があり、各自壕へ舞い戻った。・・・との証言をされています。「死んではいけないと命令されている。…」とは一言も有りません。



「戦後なき死ー自決の島・1991」の宮平証言シーンの内容 

解説(ナレーション)
上陸の前夜、住民達の避難壕に全員忠魂碑に集合せよとの伝令が走った。  

忠魂碑前の広場に立つ宮平氏の証言
「えー。村長さんがそこの方へおみえになりまして、もういよいよ最後だから私たちのいま作って残した農作物、食料は軍の方へ提供して、そして日本軍が持久戦に持ち込めるように私たちは死して国に奉公するという気持ちで何も怖がらないで、本当に日本人らしく最後を遂げるから、今日この場所でみんなそろって自決致しますので、覚悟して下さい。という村長のお話があったんです。そして軍からの協力で爆薬が貰えるということになっていますので、その爆薬でここでみんな自決しますので腹を据えておって下さい。後は爆薬が到着するのを待つだけです。」  

解説(ナレーション)
だが日本軍からの爆薬は届かなかった。夜の闇の中、艦砲射撃が激しくなり、人々は大混乱に陥いり、忠魂碑前での自決は中止となり、家族単位でそれぞれの壕に逃げ帰った。

(映像)
忠魂碑に残る艦砲射撃の跡を指し示す宮平氏。

…本部壕での会談参加の証言は一切有りません。村長は爆薬の到着を忠魂碑前で待っていた。という証言ですから「新証言」につながるような内容のものも一切有りません。以上です。


いまだ、宮平氏も「終わらない沖縄戦」の中をさまよっておられるのだと思うと心が痛みます。しかし証言をねつ造し、賠償金を取ろうとする行為に荷担するということは、単なる偽証罪・法廷侮辱罪ですむ話なのでしょうか?法律のことはよく分かりませんが、これは原告とその弁護団、そして彼らの応援組織のすべての組織犯罪として告発されるべき行為・犯罪なのではないのかと思いますが…。



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