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4 力に酔うということ

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平和をたずねて:快楽としての戦争/4 力に酔うということ


 《手あたり次第ぶちこわしつつ室内をめぐる。破壊といふ事はなす者はとても愉快なものだ。充分満足した。破壊々々何んぞ吾人の興味をそそる事ならず也》

 福岡県宗像市の承福寺にある通信兵の陣中日記に、こんなくだりがある。昭和7(1932)年の上海事変で、現地の鉄道機関庫を巡視した日のものだ。その時の快感は強烈だったようで、銃創を負って帰国し、入院中だった同年8、9月に記した「陣中随感」と題した文にも出てくる。

 《机であれ何物でも手当り次第こわしていった。その時の小気味の良さ。大体人間には破壊性と云ふものがあるのかも知れない。或いは又余に破壊に対する欲の大なるのかも知れない。何れにしても愉快であった》

 「陣中随感」の中で通信兵は、上海在留日本人の高慢で人を人とも思わぬ振る舞いを憤り、「こんな奴等と接触する異人(中国人のこと)が、邦人を誤解し侮蔑し、果ては排斥するのは又止むを得ない事だと思ふ」と記している。また「支那の良民が此度幾人殺されてゐるか知れない。たゞ良民をつかまへて来て片はしから切ってしまったのだから惨酷とも何んとも申し様のない仕様だった」と批判もしている。破壊の快感は、そんな理性的な人物をも魅了したのである。

 世界各地の従軍兵士の精神分析を行ってきた精神病理学者の野田正彰さん(64)はその感覚を「力に酔う」という言葉で表現する。

 「イスラエル兵が言っていました。戦場では力に酔ってくるって。自分よりもずっと年上のパレスチナのおじさんたちを、立っとけとか言って、炎天下に一切水を飲まさずにカラカラにしたり、装甲車で自動車をグチャグチャに壊したり。そうすると、何でも思うままにできるような力の感覚が起こってくると言うんです。だから戦場から日常に帰ると、すべてがまどろっこしく感じると」

 日中戦争に従軍した大阪の詩人、井上俊夫さん(86)は、古参兵からいじめ抜かれる初年兵にとって、中国人集落の検問ほど刺激的な憂さ晴らしはなかったと言う。民家に押し入って銃剣を突きつけ、相手を意のままに扱えたからだ。

 「実は敗戦後に国民党軍の収容所に入れられていた時、向こうの兵隊が押し入ってきてね。我々が持っている毛布とかを出せ言うて盗んで行きよったんです。その時、銃剣を突きつけられてね。銃剣ってこんなに怖いもんやったんやと思いました。自分が突きつけていた時はそんなこと考えもせえへんかったのに」

 相手には人格も感情もある。そのことを忘れ、欲望を満たすための単なる道具や対象物と見なした時、人は力に酔うことができる。そして、人を道具や対象物としか見ないその心性は「今の日本のエリート体制にのっている若者らのメンタリティーでもある」と野田さんは言う。その例証として見せてくれたのは、京都大の女子学生が彼の著書「戦争と罪責」を読んで書いたリポートだった。

 その中で女子学生は、子供の時から親や先生にいかにほめられるかを考えて振る舞う「優等生」として生きてきたことを明かし、多くの中国人捕虜を手術実習で生体解剖するなどさまざまな残虐行為に手を染めた人々を自分に重ね、こう書いている。

 《自分と同じような、「優等生型」の日本人が犯した残虐は、読みすすめるのに非常な努力を必要とするものだった。……手術実習に中国人捕虜を使ったという一節があったが、それを読んで私は、うっすらとではあるが、「便利でいい」と感じた。この本の中で厳しく糾弾され、否定されているのはまさにこのような考え方なのだろう。この「便利でいい」という意識は、いくら消そうとしても私の中から消えなかった》

 水俣病事件や薬害エイズ事件など、人の命より自分や自分が所属する集団の利益を優先するエリートたちを、戦後、何度目にしてきただろう。私たちは今も、力に酔う条件を十分に備えている。【福岡賢正】

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