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控訴人:控訴理由要旨

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pipopipo555jp

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控訴理由の要旨(口頭陳述)


第1回口頭弁論から5日もたった6月30日、原告支援サイトからようやく発表されました。文章の訂正にとまどったのでしょうか?

 13時58分、テレビカメラの2分間の撮影が行われ、14時ちょうどに口頭弁論が始まった。原告側が期日に遅れて提出した「控訴理由書」に対し数日前に訂正書が出されたのに、それでもなお、小田耕治裁判長は誤りと思われる箇所を複数指摘し、原告側代理人の準備のずさんさが浮き彫りとなった。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1336.html

なお機種依存文字による文字化け
は、原サイトhttp://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/51/ によるもので、おそらく丸つき数字と思われますが、そのママにしてあります。



控訴理由書要旨
徳永弁護士が朗読した控訴理由書要旨全文は以下の通りです。



平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件
控 訴 人  梅澤裕、赤松秀一
被控訴人  株式会社岩波書店、大江健三郎 


控訴理由の要旨(口頭陳述)


平成20年6月25日
大阪高等裁判所第4民事部ハ係 御中

                 控訴人ら訴訟代理人

第1 本件控訴事件の概要


本件控訴事件は、控訴人梅澤・赤松の請求を全面的に退けた不当な原判決の取消しと、控訴人らがその裁判のなかで求めた出版の差止めと損害賠償を求めるものです。出版差止めの対象は、岩波書店が発行している故家永三郎氏の『太平洋戦争』及び大江健三郎氏の『沖縄ノート』です。『沖縄ノート』には、沖縄戦において発生した座間味島と渡嘉敷島の集団自決が、両島の守備隊長から発せられた「部隊はこれから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動を妨げないために、また、部隊に食糧を提供するために、いさぎよく自決せよ」との命令によるものであると断定的に記述してあり、『太平洋戦争』には、「梅澤隊長は、老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよと命令し、生存した島民にも芋や野菜をつむことを禁じた」とあります。

これらの記述が、当時の隊長であった梅澤さんと赤松大尉の名誉権とともに、赤松大尉の実弟であり遺族である赤松秀一さんの人格権を著しく侵害するものであることは明らかです。とりわけ、『沖縄ノート』には、自決命令の存在を前提としてなされている赤松大尉に対する執拗なまでの個人攻撃と究極の人格非難に溢れています。例えば、赤松大尉ないしその行為を、「人間としてつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊」とし、「屠殺者」という差別用語を用い、「屠殺者と生き残りの犠牲者の再会」といい、ナチスのホロコーストの責任者になぞらえ、「アイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであった」とし、赤松大尉が自らの無実を「血の叫び」として訴えたことを「ペテン」と断じており、赤松大尉をおよそ人の心を持たない鬼のような大悪人だと罵倒するものであり、彼を慕うものにとっては、それは、およそ正視に耐えないものです。

原判決は、こうした表現が、「集団自決という平時ではあり得ない残虐な行為を命じたものとして、原告梅澤及び赤松大尉の客観的な社会的評価を低下させるものと認められる」とし、その名誉毀損性を認めましたが、そうした表現の基礎となる事実 ― すなわち、《隊長命令》の存在につき、「命令それ自体まで認定するには躊躇を禁じえない」としながらも、「軍の関与」や「文科省の立場」なるもの、そして集団自決をめぐる証拠資料に対する全く偏った証拠評価を根拠に、真実と信ずるにつき相当な理由があったとして、原告らの請求を棄却したのです。

さて、本日陳述した「控訴理由書」は、大部なものになりましたが、その大半は、原判決が認めた「真実と信ずるにつき相当な理由」(以下、「真実相当性」と呼びます。)にかかる最高裁判例の適用解釈上の誤りと事実認定ないし証拠評価の誤りを指摘するものですが、控訴理由書では、それに先だち、原審で求めた請求の趣旨を拡大していますので、まず、このことについて説明させて頂きます。    

第2 請求の趣旨の拡張的変更


控訴理由書では、請求の趣旨を変更し、被控訴人らに対する損害賠償請求額を拡大しています。

このことは、被控訴人らが、原判決の後においても、本件各書籍の出版・販売を継続していることに対するものです。とくに『沖縄ノート』は、原判決後においても増刷を繰り返しています。確認できたものだけでも、4月24日に第58刷が、5月7日には59刷が増刷販売されています。こうしたことは、仮に、原判決が正当なものだという前提にたっても到底許されるものではありません。後述するように、原判決の事実認定や証拠評価は、これが中立公正な裁判所の判断かと驚くほど、偏頗なものでありましたが、その原判決においてさえ、違法性阻却事由である「真実性の証明」がないとし、よって、その頒布が違法であることを認定していることを忘れてはならないはずです。被控訴人らは、原判決後の記者会見等で、原判決を評価していたはずですが、『沖縄ノート』の増刷販売は、その原判決をも無視する暴挙です。

原判決も引用しているように名誉毀損をめぐる不法行為訴訟については、一連の最高裁判決の積み重ねがあります。もっとも基本的なものであり繰り返し引用されてきた昭和41年判決は、「事実を摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることになった場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、右行為には違法性がなく、仮に右事実が真実であることの証明がないときにも、行為者において右事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される」としています。そこでは「真実であることの証明(真実性)」は違法性阻却事由であり、「真実と信ずるについて相当な理由(真実相当性)」は故意・過失を否定する責任阻却事由であることが明確にされています。真実性は、客観的事実との合致の証明であり、真実相当性とは、客観的事実と行為者の内心における食い違いに係る主観的事情に関するものです。平成11年最高裁判決が、それぞれの判断基準時について、真実性は口頭弁論終結時、真実相当性は行為時としたのもそのことによるものです。わかりやすくいえば、真実相当性とは、「真実ではないが、真実だと勘違いしても仕方がなかった」ということです。「勘違いしても仕方がなかった」の言い訳は、しかし、原判決においても「隊長命令」に係る真実性が否定され、その違法性が明らかにされた以上は、原判決を前提とすれば、成り立つ余地のないものとなります。        

 すなわち、『沖縄ノート』の増刷販売は、原判決とは相容れぬものであり、岩波書店らが、その正当性を主張するのであれば、➀それは「隊長命令」の真実性を認めなかった原判決を否定し、あくまでそれが真実であると主張し、これを立証するか、➁最高裁判例によって確立している法的枠組み自体の変更を訴えるしかないのです。 

第2 最高裁判例の解釈に関する誤り


たった今、原判決の認定を前提にしても、原判決後になされた『沖縄ノート』の増刷販売は許されないということを説明しましたが、原判決も、また、誤信相当性を正しく理解していません。そのことは、真実性と誤信相当性に係る判断の基準時を同じく口頭弁論終結時に求め、したがって、真実性と誤信相当性の判断にかかる証拠資料を全く同一のものとしながら、真実性は否定し、誤信相当性は認めるといった矛盾する判断を行なっていることから明らかです。どうやら、原判決は、誤信相当性を、真実性の立証をその証明の程度において緩和するものだと捉えているようです。確かに、そのように主張する学説や下級審判決は散見されます。しかし、最高裁は、真実相当性について、一貫して真実性とは法的性質を異にするものとし、その認定についても、客観的で確実な資料や根拠を要求する厳格な態度を貫いています。

そもそも真実相当性というものは、過去の名誉毀損行為について時間の経過によって証拠資料等が集まり、真実の見えかたや判定が推移することがありうることに照らし、行為時における資料に照らして真実の証明ありと判断できると解される場合に行為者を免責し、もって表現の自由を保護するものです。本件は、新聞やテレビにおける過去の一回的な報道ではなく、書籍の出版・販売が継続していたため、行為時もまた口頭弁論終結時となり、真実性の判断基準時と合致することになったのですが、判断の基礎となる資料を共通にしながら、真実性と真実相当性の判断を異にするということは全くありえないことです。

真実相当性をもって、真実性を緩和したものと解することができないことは、著名な三浦和良氏の事件を扱った週刊誌の記事に関する平成9年9月9日最高裁判決を例にとれば容易に理解していただけるでしょう。

 「ある者が犯罪を犯したとの嫌疑につき、これが新聞等により繰り返し報道されていたため社会的に広く知れ渡っていたとしても、このことから、直ちに、右嫌疑に係る犯罪の事実が実際に存在したと公表した者において、右事実を真実であると信ずるにつき相当な理由があったということはできない。けだし、ある者が実際に犯罪を行なったということと、この者に対して他者から犯罪の嫌疑がかけられているということは事実としては全く異なるものであり、嫌疑につき多数の報道がされてその存在が周知のものとなったという一事をもって、直ちに、その嫌疑にかかる犯罪の事実までが証明されるわけでないことは、いうまでもないからである。」

 判決がいう「犯罪の事実」を「隊長命令」に、その「嫌疑」を「軍の関与」に置き換えれば、事態が明確になると思います。「軍の関与」は、あくまで「隊長命令」とは、別の事実なのです。犯罪の嫌疑が、それが犯罪の事実を推認させるとしても、そのことを事実として信じるにつき相当な理由とはいえないのと同様に、「軍の関与」によって推認されるからとして「隊長命令」を事実として摘示することにつき、真実相当性を認めることはできないのです。

また、原判決は、出版の差止めにつき、北方ジャーナル事件最高裁判決を引用した判断基準を定め、損害賠償請求が認められないことから直ちに、これを否定していますが、これもまた、事前差止めに係る判例である北方ジャーナル事件判決を、事後差止めを求める本件に適用している点で失当です。事前抑制が原則として認められず、厳格な要件を満たす場合にだけ例外的に許されるのは、それが読者や視聴者に到達する前に差止められることから、抑制効果が甚だしく、濫用の虞があるからです。『沖縄ノート』は1970年から38年にもわたり、30万部以上が販売され、一般読者に読まれてきました。その差止めについては、事前抑制の危険を論じる余地がありません。

 原判決が失当であることは、これら最高裁判例の適用解釈上の誤りだけでも明らかです。  

第3 真実相当性を認めた事実認定上の誤り


原判決は、「文科省等の立場」や「軍の関与」から推認された「隊長の関与」等を根拠に真実相当性を認定しているのですが、そこには、誰の目にも明らかな甚だしい誤りと証拠評価の偏りがありました。まず原判決が認定した「文科省の立場」なるものを見てみましょう。
原判決は、集団自決につき、文科省の官僚である布村審議官が議会答弁において「座間味島及び渡嘉敷島の集団自決について、日本軍の隊長が住民に対し自決命令を出したとするのが通説であった旨発言していたこと」を摘示して「真実相当性」が認められる根拠としています。ところが、原判決の事実摘示は、布村審議官の発言の冒頭にあった「従来」を省略し、あたかも「隊長命令説」が平成18年検定当時の通説であったかのように認定していますが、これは全くの誤りです。

文科省ないし検定調査審議会の立場は、口頭弁論終結後の平成19年12月26日に公表された「基本的とらえ方」(日本史小委員会)において明らかにされていますが、それは手榴弾の配布などの「軍の関与」を主要な要因としつつ、「軍による住民に対する直接的な命令により行なわれていたことを示す根拠は、現時点では確認されていない」とし、教科書においてそれが軍の命令・強制・誘導によって行なわれたとの記述を認めないとするものでありました。また、「基本的とらえ方」の取りまとめにあたって提出された専門家の意見書にも、隊長命令を事実として認定できるとしたものはありませんでした。この「基本的とらえ方」に照らし、審議会は、軍の命令や強制を事実として摘示することを内容とする訂正申請を拒否し、これを内容とする訂正申請は全て取り下げられました。軍の命令や強制を断定的に記述することを認めなかった平成18年度検定意見は揺るぐことなく堅持されたのです。

そのことは、翌日の新聞報道から明らかです。例えば、琉球新報は「軍の命令を認めず、強制、強要、誘導を認めず」と報じましたし、沖縄タイムスは、「『軍が強制』認めず」の大見出しの下、「文科省は『検定意見を変更するものではない』(伯井美徳教科書課長)とし、今後の検定でも有効との認識を示している。」と、平成18年度検定が堅持され、文科省の立場が一貫して揺るがなかったことを報じました。

原判決は、あたかも平成18年度検定意見が撤回されたように捉え、これをめぐる議論は結論が出ていないと判示しましたが、文科省・審議会の立場が明らかになった今、原判決は、その主要な根拠を失ったといってよいでしょう。

ところで、原判決は、「軍の関与」から「隊長の関与」を推認し、そこから「隊長の命令」を事実として摘示する相当な理由があったとの認定を導いています。その認定を導くうえで、夥しい証拠評価の偏頗、逸脱、誤謬がありますが、ここでは一々触れることができません。座間味島と渡嘉敷島における集団自決に関する証言を一つ宛あげることににします。

 まず、原判決は、宮城初枝が米軍上陸のさなか、木崎軍曹から弾薬を運ぶよう依頼された際、「途中で万が一のことがあった場合は、日本人女性として立派な死に方をしなさい」として手榴弾一個を配布された事実をあげ、これを隊長の命令を推認させる「軍の関与」の一事例としています。しかし、部隊とはぐれた初枝、宮平つる子らが手榴弾による自決に失敗した後、逃げまどうなか、再び、部隊と出会ったとき、梅澤隊長、内藤中尉が「ご苦労だった。それにしても無事で何よりだった。本当によかった」といい、心から初枝らの労をねぎらい、その無事を喜んでというエピソードが続いているのです。自決命令を出しておきながら住民の無事を喜ぶということはありえません。このエピソードは、《梅澤命令説》の根拠ではなく、逆にこれを否定する根拠となるものであり、これをもって「梅澤命令説を肯定する間接事実となり得る」とした原判決の事実認定が如何にずさんなものであるかを端的に示すものといえましょう。

もう一つは、渡嘉敷島における手榴弾配布に関する証言です。富山真順という兵事主任を兼ねた村役場の幹部の証言があります。それは事件から40年以上もたった家永教科書第3次訴訟の証人尋問の直前に突如表れたものですが、それは➀「敵空襲が始まる前の3月20日」➁「村役場に」➂「17歳以下の少年と役場職員が集められ」➃兵器軍曹から、➄手榴弾2個を、1個は敵に、1個は自決用に渡されたというものでした。

その証言内容の事実が、それまで村の住民には一切知られていなかったことは、証人尋問の直前にはじめて安仁屋教授から聞かされ、富山氏に会いに行ったという金城重明氏の所在尋問によって明らかになりましたが、そもそも、その前年に発行された渡嘉敷村の村民の聞き取りや証言を、その安仁屋教授が編集した『渡嘉敷村史資料編』に、その片鱗さえも登場しなかったことから「それまで村民の誰も知らなかった」ことが見事に証明されています。「そんな話は誰もしなかった」とした曽野綾子氏の証言が正しかったことを証明しており、曽野綾子氏の取材や『ある神話の背景』が偏ったものであったとする認定根拠は完全に粉砕されています。

また、金城重明氏の所在尋問における証言によって、「金城重明氏を含め、村の16歳の少年が誰ももらっていなかったこと」が完全に証明されました。これは➂「17歳以下の少年が集められ手榴弾を渡された」とすることと決定的に矛盾します。

そしてやはり金城重明氏の同級生であり、当時16歳の村役場の職員だった吉川勇助氏の陳述書が、➀「日時」➁「場所」➂「配布対象者」➃「配布者」の4つの要件を完全に否定しています。陳述書には、空襲後に村長から手榴弾の配布を受けたことが記述されていますが、富山証言の手榴弾配布の事実はありません。すなわち➀「空襲前の3月20日」、➁「村役場」において、➂17歳以下の少年ないし村役場の関係者に、➃「兵器軍曹」による手榴弾の配布が「なかったこと」、それが幻であったことを見事に証明しています。

このように上記の富山証言は、「渡嘉敷村史資料編」「金城証言」「吉川陳述書」によって、その信用性を全く喪失しているのです。これを迫真性があるなどとして信用性を認めた原判決のデタラメさは、批判するのも虚しくなります。

その外、援護法申請に関する事実認定、照屋証言の信用性、『鉄の暴風』、『ある神話の背景』等に関する証拠評価の恣意性は、これが中立公正なはずの裁判官による認定かと、まさに目を覆いたくなる惨状です。  

第4 宮平秀幸証言


さて、本件控訴審では、口頭弁論終結後に新たに表れた重要な証言として座間味島の住民であり、集団自決の生き残りである宮平秀幸氏(当時15歳)の証言を証拠として提出しています。

秀幸氏は、①米軍が上陸前日の3月25日午後10時頃、宮里盛秀助役をはじめとする村の幹部らと共に宮城初枝が本部壕を訪れ、「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英に獣のように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」「既に、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」などと言って、自決用の弾薬や手榴弾、毒薬などの提供を求めたが、➁梅澤隊長は「そんなものは渡せない。我々の役目はあなた方を守ることだ。何故自決させなければならないのか。直ちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じ、➂それでも宮里助役らが弾薬等を懇願し、30分くらい押し問答が続いていたが、➃梅澤隊長が「俺の言うことが聞けないのか」と強く拒否したため、助役らは諦めて忠魂碑前に向かったこと等を間近で目撃していたのである。

 その証言は迫真性、具体性、明確性に富んでおり、現在も座間味島に居住している同人が敢えて虚偽の証言をする理由など全くなくいことからすると、極めて信用性が高いものである。 

第5 『沖縄ノート』による人格非難について


前述のように、原判決は、『沖縄ノート』の記述が、「集団自決という平時ではあり得ない残虐な行為を命じたものとして、原告梅澤及び赤松大尉の客観的な社会的評価を低下させるものと認められる」と正しく認定しています。大江健三郎氏が、法廷で述べたような、「赤松大尉や梅澤隊長の名前をあげていない」という《匿名論》や「罪の巨塊」に対する論難は、曽野綾子氏の誤読だという《曽野綾子誤読説》、それに「命令」とは、「軍隊のタテの構造による圧力であり、時限爆弾としての命令」であるというまやかしの珍説は、ことごとく退けました。いかに偏見に満ちた裁判官であっても、かかる珍説に与することはできなかったということだと思います。

 他方、原判決は、「自己欺瞞と他者への瞞着の試み」「かれのペテンはひとり歩きをはじめただろう」「あまりに巨きい罪の巨塊」「およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想をまでもいだきえたであろう。このようにエゴサントリクな希求につらぬかれた幻想にはとめどがない」「アイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったろう」などという赤松大尉に対してなされた非難につき、『沖縄ノート』が、日本人とは何かを見つめ、戦後民主主義を問い直したものであり、氏名を明示していないこと等から、その表現方法が執拗なものとも、その内容がいたずらに極端な揶揄、愚弄、嘲笑、蔑視的な表現にわたっているともいえず、赤松大尉に対する個人攻撃までいうことはできないとしています。

原判決後、曽野綾子が雑誌に連載中のエッセイで、この判決に触れ、『沖縄ノート』の中で、被控訴人大江が、赤松大尉の心理を推測して、しかも不確かな事実に基づいて、「かれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力を尽くす」「かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう」「かれは二十五年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際に起こったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想をまでもいだきえたであろう」などと書いていることに対し、「全くつきあいもない他人に、心理のひだのようなものを推測され、断定され、その憎悪を膨らまされ、世間に公表され、アイヒマンだとさえ言われたら、たまったものではない。」とし、「それは個人攻撃以外のなにものでもないと私は思う。」と書いていますが、全くそのとおりである。

また、原判決は何ら触れるところがないが、『沖縄ノート』は、「屠殺者」という差別語を用いて赤松大尉を罵っています。そして赤松大尉の内心の言葉として、「あの渡嘉敷島の『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか」と言わせ、集団自決で死んだ渡嘉敷島の村民を、命令のままに集団自決する主体性なき「土民」と貶めています。

小林よしのり氏は、漫画「ゴーマニズム宣言」で、この点を指摘し、「『沖縄ノート』は究極の差別ブンガクであり、大江健三郎は究極の偽善者である。沖縄法廷で裁かれるべきは大江本人であろう。」としています。

差別ブンガクという表現が適切かどうかはさておき、それほどまでに『沖縄ノート』の表現は、異様であり、執拗かつ粘着的であり、憎悪をかきたてずにはおれない煽情的なものであり、悪意に満ち、人間の尊厳と誇りを内面から抉るように腐食するものであり、高見に立って地上で懸命に生きる人々を見下ろす独善と侮蔑的な差別感情に溢れています。それは究極の人格非難であり、個人攻撃でした。 

 原判決は、『沖縄ノート』が、昭和45年の時点において、日本人とは何かを考え、戦後民主主義を問い直したものというテーマも前記認定根拠として判示していますが、そうしたテーマを描く上で、赤松大尉に対する悪意に満ちた人格非難を展開する必要は全くありません。 

ゆえに、かかる究極の人格非難を、隊長命令という真実性を証明できない不確かな事実をもとに、行なうことは、明らかに意見論評の範囲を逸脱したものと言わざるをえません。

ノーベル賞作家である大江健三郎氏にとっては、『沖縄ノート』の前記テーマを全く損なうことなく、赤松大尉や控訴人梅澤に対する人格権侵害にわたる表現を書き直すことができるはずである。

 ゆえに大江健三郎氏は、『沖縄ノート』を書き直し、控訴人らの苦痛を和らげる努力を果たさなければならないはずです。なぜなら。大江氏が述べてきたように、「その発表によって苦痛をこうむる人間の異議申し立てが、あくまでも尊重されねばならず、それなしでは、言論の自由、出版の自由の人間的基盤がゆらぐことになりかねない」からであります。  

以上


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