15年戦争資料 @wiki

2 心のすき間に忍び込む

最終更新:

pipopipo555jp

- view
メンバー限定 登録/ログイン

平和をたずねて:快楽としての戦争/2 心のすき間に忍び込む


 《昔の軍隊はいやなところだったという話をすると/すかさず、嘘(うそ)だ嘘だと若々しい男の声が跳ね返ってくる。/あんたがた元日本軍兵士は/新兵の頃はそうだったかもしれんが/三年兵、四年兵ともなれば/夜毎夜毎、下級の者に陰湿なリンチを加える喜びに/五体を震わせていたというじゃないか/俺たちもたった一度でいいから/堪能するまで人を苛(いじ)める楽しみを味わってみたい/うわ、おう、うわおう、うわ、うららら!》

 こんな書き出しで始まる詩は、戦争体験者の建前話に若者が反発する同様の構成で、俺たちもたった一度でいいから……日の丸の旗をはためかして殺人ツアーに出かけてみたい▽思う存分人間を殺してみたい▽異国の女を犯してみたい……と続き、最後に「戦争というべらぼうに面白そうなものをやってみたい」と叫んで終わる。

 作者は昭和17年に徴集されて中国に渡った大阪の井上俊夫さん(86)。詩の芥川賞と言われるH氏賞を受けた詩人だ。初年兵教育の仕上げに、日本軍の炊事係をしていたリュウという中国人捕虜を銃剣で刺殺させられた経験を刻んだ詩や、好きになった中国人慰安婦との別れを主題にした作品も発表している。

浪速の詩人工房
http://www.vega.or.jp/~toshio/ 
井上俊夫詩集 『従軍慰安婦だったあなたへ』 全編
http://www.vega.or.jp/~toshio/ssmokuji.htm 


 これまで各地で従軍体験を語ってきたが、いつも若い人たちから疑いの目を向けられているような気がしていたという。

 「話聞いてたら、しんどかった、つらかったと、そんなんばっかりやけど、そうじゃないんと違いますか。僕たちの知らん面白いこと、楽しいこともいっぱいあったんと違いますか、とね。実際に質問されたこともあります。それで振り返ってみると、いつもいつも泣きの涙で暮らしとったわけじゃない。軍隊に閉じこめられてますから、平和な時代の楽しさとは質が違います。でも戦争の快楽とか愉楽というものも確かにあった」

 虐殺や強姦(ごうかん)、略奪などは表向き、軍の規則で禁じられてはいた。けれどそれらが公然と行われていることは、口コミで秘めやかに、しかし着実に広まっていたという。

 「満期で帰ってきた兵隊たちが、中国人の首をはねたり、銃剣で突き刺している写真をこっそり見せてくれるんですわ。それに中国の女は日本の女にはない魅力があって、向こうに行かんと味わえんぞなんて吹聴されてね。こんなすごい体験をしてきた先輩たちは、男らしくて偉いのだと尊敬すらしたし、自分も向こうへ行けば姑娘(クーニャン)を抱けると、妄想をふくらませていたんです」

 隠微で倒錯した戦争の快楽は、平和な日常が生き生きと充実していれば、民衆の心をとらえたりしない。それは、平和な日常が生きるに値しないと感じられた時、心のすき間に忍び込む。

 「日本が戦争したころは、内地におっても全然面白くないし、戦争なんかやったら何かおもろいことあるんとちゃうか、という気分がありましたね。満蒙開拓に向かったのも、東北地方の貧困や農家の次男坊、三男坊対策でもあったんだから」

 明治維新後に急速に進んだ市場経済化。その流れの中で、道義や人情よりも私利が優先される社会への反発と、拡大する一方の格差への不満が高まっていった。「古き良き時代」への郷愁を伴ったその不満が、天皇中心の家族国家という美しい幻想の下に集約され、海外へ向けて暴発していったのが日本の近代だった。

 そして今。市場経済至上主義の下で格差が拡大し、働いても働いても貧困から抜け出せない人々が大量に生まれた。やけくそになった若者による殺人などの事件も頻発し始めている。

 昨年、1人の若者が書いた文章が論壇で話題を呼んだ。戦後民主主義を代表する知識人である東大教授が戦中、二等兵として召集され、学歴のない一等兵から苛め抜かれた逸話から取ったその論考のタイトルは「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は戦争。」だった。【福岡賢正・写真も】


毎日新聞 2008年6月11日 西部朝刊


目安箱バナー