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詩 玉砂利

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詩  玉砂利

京 土竜
それは昭和十五年
皇紀二千六百年を祝し
中国大陸の奥地に果てた股肱の将兵を
「英霊」として天皇自ら合祀する
靖国神社秋の臨時大祭
天皇を乗せた御羽車は
全ての灯りを消した闇の中を進む

ラッシユ撮影も許されぬなか
報えるのはただNHKラジオ放送
実況担当は不世出の名アナウンサー和田信賢
参道に額つく人びとを眺めつつ
星明かりに浮かぶ御羽車を報える

「漆黒ノ闇ノナカ御羽車シズシズト
参道ヲ進ミ イマシモ・・・・」

そのとき
ひとつの影が立ち上がり
怒声とともに石礫が御羽車に飛んだ

「偽善者!」

っぎの瞬開
闇に潜んだ警護の憲兵の拳銃が一発
見事に額を射披かれた男は声もなく倒れた
怒声も銃声も 夜の静寂に吸われたか
拳銃の吐いた火も 闇に遮られたか
和田信賢の静かな声が荘重に流れた

「沿道ニヒレ伏ス民草 寂トシテ声ナク
 タダ怖レ畏ミテ御羽車ヲ送ル」

撃たれた男の名は知られていない
玉砂利を染めた血が黒ぐろと残った


「玉砂利」補足解説

京 土竜
 これは、詠われているとおりの日時に発生した事件です。そのころ、私の貧しい家には四球式の安物ラジオしか無く、雑音混じりの放送を聞いていました。
 ここに出てくる和田信賢アナウンサーは、NHK入社後の最初の仕事として、野球アナウンサーでデビューしました。その頃、全国の野球ファンを魅き付けた「早慶戦」の実況のなかで、延長戦に入ったとき、ピンチヒッターがまだ振らないと安心して「折しも暮れかかる神宮の森の上、三羽のカラスが・・・」のところで、バッター強振。
慌てた和田氏は、「打ちました、打ちました、球はグングン伸びて、ホームラン……」とやってしまいました。
 今ならご愛嬌でしょうが、当時は謹厳実直NHK,翌日から局には葉書が殺到。いわく三羽のうちの、どのカラスがホームランを打ったのか、お教え願いたい」
 これに恥じた和田氏は、どのような事態急変のなかでも動揺しない習練を続けました。一九三五年四月、・ラストエンペラー・薄儀が来日した際、その実況放送を命ぜられましたが、そのとき軍部から出された注意通達で、「天皇には最高の敬語を遣え。皇后にはそれより少し下の敬語を遣え。満州国皇帝・博儀にはそれよりもう少し下の敬語を遣え。その皇后にはそのまた少し下の敬語を遣え。随臣の高官にはその下の敬語を遣え」という、有名な「五段階敬語」を要求され、三時間を超える予定原稿なしの実況放送を一語の言い間違いもなく果たし、不世出の名アナウンサーの令名を得ました。
 この『玉砂利』はその五年後の事件ですが、新聞でもラジオでも、一片の報道もされませんでした。それは私の(旧制)中学五年生のときで、その二年前には級友の一人が自殺しました。学校側はなんの発表もしませんでしたが、彼には心から尊敬する兄があり、京都大学生でした。そして、彼は私より早く俳句に取り組んでいました。
 この『玉砂利』に登場する男性は、アナーキストで、姓は宮崎と伝えられていますが、詳細な正否は不明です。
 なにしろ当時は、クリスチャンまでもが「傾向者」「主義者」といった曖昧概念に一括され、ときには特高警察やら憲兵隊で拷問に逢った時代です。
 なお、彼が叫んだ言葉は、詩中にあるとおり「偽善者!」と伝えられています。

朝風102号掲載 2007.3月


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