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エピローグ 「SUKIYAKI」と「YASUKUNI」

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pipopipo555jp

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坪内祐三『靖国』
1999年1月30日発行 新潮社

エピローグ 「SUKIYAKI」と「YASUKUNI」


  戦後日本の近代化はすなわちアメリカ化とイコールだった。

  アメリカ化の中で柳田國男が心配したように、日本の小さな神様たちは殆ど消えてしまった。

  そうだろうか。

  柳田の思う小さな神様は正力松太郎が日本武道館で守ろうとしたものに重なるのだろうか。

  一九八六年三月九日、私は、ボブディランの二度目の来日公演を見るために、日本武道館にいた。

  コンサートは大詰めを迎えていた。

  その日のディランは、とても機嫌良く、普段ステージの上で寡黙な彼が、珍しく饒舌だった。

  機嫌が良かったからなのか彼は、その頃コンサートであまり披露しなくなっていた彼の定番「風に吹かれて」をアンコール最初の曲として日本の聴衆の前で演奏し、盛り上り、歌い終わると、こんなことを語り始めた。

  次の曲を、去年の暮に飛行機事故で亡くなったリツキー・ネルソンに捧げます。その死に方は、とてもロックンローラーらしい死に方だった…。

  そして・ディランは、「ウラニウムロック」と題する曲を演奏した。私は、ジヨン・ウェィン主演の西部劇『リオ・ブラボー』などに出演していたアイドル俳優としてのリツキー・ネルソンは知っていても・歌手としての彼について知る所は少なかったから、その時初めて耳にした「ウラニウムロック」なる曲が、彼の曲であるのか、誰か他人の曲であるのかも、わからなかった。つまり、ディランが、なぜ、わざわざその曲を取り上げたのかが。

  ディラン特有のしわがれ声で歌われた「ウラニウムロツク」の歌詞は、私のヒアリング能力では、まったく聴き取れなかった。

  にもかかわらず、私は、不思議な高揚感の中で、その演奏を聴いていた。高揚と言うと、大げさかもしれない。むしろ、動揺、と言うか、心の反応。気持ちの揺れ、の中で。

  ただの時代遅れのポップアイドルの飛行機事故死を、ロツクンローラーらしい死に方だと語り、追悼するボブ.ディラン。その姿に私は、ある実質を感じた。アメリカという国に宿る、ある実質を。いや、アメリカという国に宿る、ではない。アメリカ的世界の中で立ち上って来る。ある実質。ポップという名の、一瞬の、ある実質。を、私は体感した。

  しかも、それが、日本武道館という場所であったのだから。消え行く日本の小さな神様を懐しむ私は、また、外国(アメリカ)産のポップという神を信奉する者でもある。

  「ウラニウムロック」に続いてディランが演奏した曲は、さらに衝撃的だった。

  日本の皆さんのために、と言って、彼は、「スキヤキ」を、つまり、坂本九の「上を向いて歩こう」の英語バージョンを、歌ったのである。坂本九も、また、前年の夏、飛行機事故でこの世を去っていたことなど、まったく知らずに。

  明治の文明開化と共に一般庶民たちが初めて口にした牛肉料理「スキヤキ」には、ハイカラ、つまりモダニズムの香りがたちこめていた。その一方で、欧米人たちは、「スキヤキ」に、オリエンタリズム・日本的な物を感じ取る。柳田國男は、民俗学者の橋浦泰雄らとの対談「民間伝承について」で、「よく西洋を歩いていると、日本に一ペンきたことがあるというような人から、日本の料理としてはすき焼きが実に優美な習慣だ、なんて言われると、私らくすぐったくなる」と語っている。

  「スキヤキ」は西洋であり日本であり、そのどちらでもあり、どちらでもない。しかし、存在としての「スキヤキ」は確かにある。たかだか近代日本百三十年の伝統の中で築き上げられた、その実質が。

  坂本九の「スキヤキ」が全米ヒットチャートの№1に駆け上った一九六三年、つまり、日本のテレビ(言うまでもなく、それは、日本にアメリカ的生活感を植えつけた最大のメディアだ)の普及に一番貢献した力道山がヤクザの刃物で殺され、テキサス州ダラスを訪問したジヨン・F・ケネディの勇姿が日本でも同時生中継されるはずだったその年、日本のアメリカ化、すなわちアメリカニズムの浸透は、かなりのレベルで行き渡っていた。けれど、日本的なものも、まだ、根強く残っていた。例えばロックミージックの中に宿るポツプという神は、まだそれほど日本に伝播していなかった。

  三年後、ビートルズが来日し、日本武道館で公演を行なう。

  いわゆるロックらしいロックが日本に登場するのは、それ以後のことである。何かを表現するものとしてのロックは。戦後に生まれ育った自分たちのリアリティーつまり実質感を表現するものとしてのロックは。

  ボブ・ディランの演奏する「スキヤキ」を耳にしながら、私は、突然、坂本九こそは、日本の最も先駆的なロックンローラーであったと体感した。

  それはとても奇妙な感じだった。私はそれまで坂本九という人物に特別の思い入れはなかった。

  「上を向いて歩こう」(「スキヤキ」)という曲に対してだつて、ただ単に良い曲だなと思う以上の感想は抱いていなかった。

  だが、日本武道館でボブ・ディランが演奏したその「スキヤキ」は、そして、リツキー・ネルソンと重ねて一飛行機事故で亡くなったロックンローラー坂本九への連想は、私の中の何かを刺激した。リアルなものに対して、時に、自分で気がつかない内に反応してしまう、私の中の何かを(たとえ、そのリアルが「スキヤキ」的リアルにすぎなかったとしても)。

  「フロローグ」で述べたように、靖国神社の招魂斎庭が駐車場へと変わったのは、そのコンサートの前の年、一九八五年のクリスマスのことである。

  つまり、「ヤスクニ」神社の招魂斎庭がアスファルトで固められ駐車場となつた三ヵ月後、「ヤスクニ」神社と向かい合う日本武道館でボブニァィランの二度目の来日公演が行なわれ、そのアンコールで演奏された「スキヤキ」に、私は、静かな、しかし強い衝撃を受けた。その衝撃は、はたして、のちに、招魂斎庭跡の立て札を目にした時のそれに、重なるものだろうか。「スキヤキ」「ヤスクニ」さらに言えば「SUKIYAKI」と「YASUKUNI」はいつまでも私の頭の中で混乱している。


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