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刀剣解説・栗原筑前

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刀剣解説・栗原筑前



【解説】

栗原信秀は文化12年(1815)越後に生まれました。信秀は幕末の巨匠・源清磨門の第一人者でありましたが、入門の年齢は遅く、嘉永元年(1848)で三十四、五歳の頃とされています。それ以前は鏡師でした。転職した頃には既に家族もあり、加えて師の清磨とは僅かに二歳ちがいと言うわけで相当の苦労があったっと想像されますが、才能があった信秀は短い期間で清磨の技を吸収してしまい、嘉永5年(1852)に独立しました。伊豆浦賀、江戸上野で仕事をしていましたが、慶応元年には京都に上り、孝明天皇から「筑前守」を受領します。

信秀は人気刀工清麿の高弟として作風を継承しているほかに、刀身に竜や不動、梅枝など緻密な彫りをいれたため、特に人気があります。栗原謙司信秀、栗原筑前守信秀、筑前守平朝臣信秀などと銘を切りました。明治になって天皇の御番鍛冶に任命され、明治5年(1872)には天皇に佩刀を献上し、7年(1874)には政府の命により建立された神社「招魂社(今の靖国神社)」の御鏡三面を打ち上げて、最高の名誉を受けて故郷三条に帰ります。三条八幡宮の御神鏡や弥彦神社の御神鏡などが代表的な作品です。

この信秀短刀も上出来の一振りで特別保存刀剣鑑定にも合格しています。肌は板目肌ですが作風は大和伝風です。刃紋は先の尖った小互の目が連なり沸付いて明るく足入り、帽子は焼き詰めておとなしい出来です。なんと言っても梅枝の彫刻が見事に花を添えた優作です。金着せはばき。


【参考】
靖国神社の栗原信秀のご神鏡について
http://www.geocities.jp/ntooma/yasukuninosinkyo.html


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