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前宮司湯澤卓氏が語る「御神体」

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靖国神社の御神体は「刀」もしくは「太刀」であることを前宮司が語っていることを記憶していたのは、Prodigal_Son さんでした。
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20080426/1209176229#c

産経新聞社が発行する「正論」2005年8月号です。★印の項。
Prodigal_Sonさんが、該当箇所を画像でアップしています。


緊急インタビュー 

靖国の言い分、英霊たちの声

前靖国神社宮司 湯澤卓
聞き手 産経新聞論説委員 石川水穂

(「正論」2005年8月号 p48)
湯澤貞氏  昭和四年(一九二九年)栃木県生まれ。三十二年に国学院大学文学部宗教学科卒業後、明治神宮に奉職。五十四年に明治神宮彌宜。国学院大学文学部兼任講師、同神宮祭儀部長、総務部長兼役員室長などを歴任し、平成二年から靖国神社爾宜。責任役員・権宮司を経て九年、代表役員・宮司に就任。十六年九月に退任。日本会議代表委員なども務める。


「A級戦犯」合祀の経緯

 石川 五月二十三日に中国の呉儀副首相が小泉純一郎首相との会談を直前にキャンセルして帰国したのをきっかけに、靖国神社問題が再燃しています。中国が会談キャンセルの理由を首相の靖国神社参拝だと表明したとたん、野党だけではなく自民党の政治家からも参拝批判の大合唱が起きました。いわゆる「A級戦犯」の分祀問題や国立追悼施設建設間題も一時は沈静化していたのに息を吹き返しました。まず、この一連の最近の騒ぎに対する率直な感想をお聞きしたいと思います。
 湯澤 中国の靖国神社参拝批判は、内政干渉、文化干渉の最たるものだと思っています。それに呼応して、まるで敵に塩を送るかのように、政界や経済界、マスコミが靖国神社の首相参拝に反対の声を上げている。その多くは、いわゆる(以下「いわゆる」を省略)「A級戦犯」として裁かれた経緯や合祀された経緯を詳しく知りもせず、またよく考えもしないで中国や韓国から批判されている現状だけを捉えて分祀しろと発言しているようです。
  靖国神社は、明治維新以来、国のために殉じた二百四十六万六千人余という大変な数の方々の慰霊をし、鎮魂をして将来にわたって静かな雰囲気でお祀りするのが謹(つと)めです。にもかかわらず外交カードにされてしまって静かな雰囲気どころではありません。政治家、あるいは財界の人たちには毅然として中国・韓国に対して塞言をしていただきたいと思っております。
 石川 「A級戦犯」とされる人たちが合祀された経緯を教えていただけますか。
 湯澤 戦没者の合祀はかつて、厚生省から、「祭神名票(さいしんめいひよう)」が送られてきた人たちについて行っていました。祭神名票とは、合祀者の身上が記された書類です。
  「A級戦犯」の人たちの祭神名票は、昭和四十一年に厚生省(当時)から送られてきています。神社は重要な問題については崇敬者総代会に諮って決めており、当時の筑波藤麿宮司は何度も総代会に諮り、合祀を決定していました。四十五年の総代会でも、「A級戦犯だけ合祀しないのは極東裁判(東京裁判)を認めたことになる。戦争責任者として合祀しないのならば、決定をした神社の責任が重くなる」という意見もあって合祀は了承していましたが、靖国神社国家護持法案の問題もあって時期を見ることになりました。法案は自民党から五回提出されたものの四十九年には最終的に廃案になり、改めて第六代松平永芳宮司が五十三年十月に総代会に諮って再度了承を得て、合祀祭(霊璽奉安祭)を行いました。

(以下略)

国民合意の政府見解は変わったのか

(略)

一年かけて御祭神となる御霊 ★

(以下 P. 51 )
 石川 合祀祭について教えてください。
 湯澤 御祭神が多かったときは春秋二回行われていましたが、現在は秋だけです。合祀祭は臨時大祭と呼ばれ、例大祭とは別のものですが、例大祭の前夜に行われて、例大祭でも「合祀をいたしましたので、お供えした神饌(しんせん)をご一緒に召し上がっていただきたい」という趣旨の祝詞を奏上しますから、例大祭と組になっているという理解もできると思います。
  合祀祭は夜行われる厳粛なお祭りです。警蹕(けいひつ)の「おお!」という声が響くなか、合祀する御霊(みたま)を戴いた霊璽簿を、相殿という本殿の左側から宮司以下上職神職五、六人が丁重に手渡しで本殿中央に移します。靖国神社の御神体は御太刀で、この合祀祭の時に霊璽簿に戴いている御霊がこの御神体に移り御霊から神霊になります。少々簡単に申しますと魂が神になるわけです。

  普通のお社なら拝殿と本殿だけですけれども、靖国に限ってはさらに霊璽簿奉安殿があります。
(以下 P. 52 )
これは靖国神社御創立百周年を記念して建てられたもので、本来本殿に奉安すべき霊璽簿が大部数になったためここに収められています。霊璽簿は当初巻物でしたが、御祭神の数が増えたため簿冊の形になりました。いまこの霊璽簿奉安殿には明治二年以来の御祭神の名前が奉安されていますが、宮司といえども前日より参籠し、特別な潔斎をした時だけしか入ることができません。
  霊璽簿は一年間、本殿の中に置いておきます。靖国神社の御神体は刀で、一年間本殿でお祀りしている間に御霊がこの御神体に移ります。ですから合祀祭で本殿に持ってきた簿冊には御霊がついているわけですけれども、一年経つともうそれは空(から)になっていて霊璽簿奉安殿に戻しますが、御霊は本殿に残るわけです。

 石川 「A級戦犯」分祀論に対して、靖国神社も神社本庁も、神道の祭儀上、一部政治家がいうような分祀はできないという見解を出していますね。
 湯澤 これは櫻井勝之進・元神杜本庁総長が考え出された説明ですが、蝋燭の火を別の蝋燭に移しても、元の蝋燭の火は消えませんね。それをイメージしてもらえれば分かりやすいのでしょうか。
  分祀は分霊、御霊分けとも言い、これ自体は昔から行われています。たとえば日光東照宮は徳川家康公を祀っていますが、家康公は他の各地にお祀りされています。御霊を分けて祀っているわけですが、どれだけ分けても本社では大きな蝋燭で火が燃え続けているわけです。
 石川 特定の御霊を取り外すという意味での分祀はできないということですね。
 湯澤 ええ。たとえ分祀をしても、二百四十六万余の御霊のすべてを分祀するということになりますし、靖国神社からなくなるものでもありません。
 石川 二百四十六万柱の御霊は、各道府県の護国神社にも県出身の神霊として祀られているのですか。
 湯澤 ほとんどは各地の護国神社が独自にお祀りしています。沖縄県の護国神社に限っては、県出身者と沖縄戦線で亡くなった全国の英霊を祀っています。
 石川 それぞれの家庭の神棚にも祀られていますよね。
 湯澤 私の父の兄は子供を授からず、迎えた養子は戦死いたしました。伯父夫婦が亡くなったあとは私が引き継いで祀っていますが、戦没者には子孫を残さずに亡くなった若い人も多いわけですし、祭祀をしてくれる人がいる家ばかりではありません。しかし、靖国神社に合祀されていれば、未来永劫、慰霊をして戴けると考えている御遺族も多いと思います。
 石川 靖国神社、護国神社が担っている大きな役割ですね。国のために戦って亡くなったのだから、本来は国が責任を持って祀らないといけないのでしょうけれども。

「約束」の参拝に来なかった橋本元首相

(略)

皇室のお心は

(略)

英霊の言葉

(略)

国立追悼施設は要らない

(略)

(以上)




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