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映画「靖国」パンフが語る「御神体」と「靖国刀」

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映画「靖国」パンフが語る「御神体」と「靖国刀」


靖国 Introduction

公式サイト「解説」にも同文
 「靖国神社」には、もうひとつの日本の歴史がある。日本人にとって複雑な思いを抱かせる、アジアでの戦争の記憶をめぐる歴史だ。

 日常は平穏そのもののだが、毎年8月15日になると、そこは奇妙な祝祭的空間に変貌する。旧日本軍の軍服を着て「天皇陛下万歳」と猛々しく叫ぶ人たち、的外れな主張を述べ立て星条旗を掲げるアメリカ人、境内で催された追悼集会に抗議し参列者に袋叩きにされる若者、日本政府に「勝手に合祀された魂を返せ」と迫る台湾や韓国の遺族たち。狂乱の様相を呈する靖国神社の10年にわたる記録映像から、アジアでの戦争の記憶が、見る者の胸を焦がすように多くを問いかけながら鮮やかに甦ってくる。

 そして知られざる真実がある。靖国神社のご神体は刀であり、昭和8年から敗戦までの12年間、靖国神社の境内において八千百振りの日本刀が作られていたのだ。「靖国刀」の鋳造を黙々と再現してみせる現役最後の刀匠。その映像を象徴的に構成しながら、映画は「靖国刀」がもたらした意味を次第に明らかにしていく。

 「二度と平和を侵してはならない」という思いを見るものの胸に深く刻みながら、日々の暮らしが眠る夜の東京の空撮で、映画は静かに終幕を迎える。


靖国 Story


薄暗い鍛冶場で、居合いを披露する一人の老人。
刈谷直治、90歳。現役最後の靖国刀の刀匠である。
◆○○○●○
昭和8年から終戦までの12年の間、靖国刀と呼ばれる8100振の軍刀が靖国神社の境内において作られた。
明治2年に設立された靖国神社は、天皇のための聖戦で亡くなった軍人を護国の神〈英霊〉として祀り続けている。246万6千余の軍人の魂が移された一振の刀が靖国神社の御神体である。
○●○◆●○
毎年8月15日になると、靖国神社とその一帯は奇妙な祝祭的空間に変貌する。
(以下略)

靖国刀について(囲み)

 昭和8年(1935年)に靖国神社境内に開設された財団法人日本刀鍛錬会の鍛錬所で作られた刀を指す。初代主事・倉田七郎の言葉によれぱ、同会は陸軍大臣の監督のもと、「国粋たる日本刀を鍛錬し、主として将校、同相当官の軍刀の整備」を目的に設立。全国から集まってきたのべ11名の刀匠と21名の先手(弟子)からなる刀工で組織され、刀匠たちは陸軍大臣より「靖廣」「靖徳」「靖光」といった「靖」の字を冠する名前を授けられていた。

 機械を使わない伝統的な方法で作られていたため、製作数は終戦までの12年問で約8100振と決して多くないが、刀匠の育成や、伝統の継承などの面で、日本の刀剣界に重大な役割を果たしたと考えられている。

 終戦後、GHQによって作刀および刀の所持は禁止されたが、昭和29年、美術品としての刀の製作が認められるようになると、全国に散らぱっていた靖国刀匠たちはそれぞれ作刀を再開した。

公式サイトの記述



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