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控訴にあたって

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控訴にあたって

沖縄集団自決冤罪訴訟
原告弁護団   



本件判決は、法解釈の次元においても、事実認定の次元においても、不当なものであり、その理由中の論旨をつぶさにみれば、いかに裁判長が偏見をもって判決を書いたかが、浮き彫りになっている。


⑴ 誤信相当性の取り違え


判決は、隊長命令を真実と断定することができない(真実性の否定)としながら、「軍の関与」という前提事実をもって、隊長の関与を推認し、その推認に基づいて隊長の命令があったことを合理的だとしている。判決には、違法性阻却事由としての「真実性」と、故意・過失阻却事由としての「誤信相当性」との混同があり(違いは立証の程度ではない)、かつ、名誉毀損事件においてその区別が問題となる「意見論評」と「事実摘示」の混同がある。
すなわち、「軍の関与」という曖昧な事実と隊長の関与という推測に基づいて、《意見論評》としての「隊長命令説」に相当性があるといっているのである。最高裁判例(昭和41年6月23日、昭和58年10月20日、平成9年9月9日、平成14年1月29日等)で明確になっている故意・過失阻却事由としての誤信相当性の枠組みを逸脱するものであり、破棄は免れない。


⑵ 旧検定意見への依拠


判決は、文部科学省の立場、すなわち検定意見を重要な証拠として挙示しているが、平成17年度の検定意見において軍命説が通説であったことを指摘するだけであり、「平成18年度教科書検定をめぐる問題については、本訴口頭弁論終結時においては、結論がでていない状況である」としている。
周知のとおり、結審後の12月26日に公表された文部科学省の教科書検定をめぐる立場は、軍の関与を集団自決発生の主要な要因としながらも、直接的な軍命があったことを示す根拠は、現時点では確認できていないというものであり、軍の関与と軍命とを区別する立場を堅持するものであった。軍命を相当とした判決の根拠は、すでに消失しているのである。  


⑶ エピソード等の読み違え


判決は、宮城晴美の「母の遺したもの」に記載されたエピソード、木崎軍曹から「万一のときは、いさぎよく自決しなさい」として交付された手榴弾で自決しようとしたが失敗したとことを挙示し、これを軍命を推認させる軍の関与としているが、「母の遺したもの」には、自決に失敗した初枝が、別れ別れになった木崎軍曹と再開し、そこに居合わせた梅澤隊長ともども無事を喜びあった場面が記載されている。軍命が、住民に死を強制するものであれば、自決を命令した隊長が、自決を命令された住民と無事を喜びあうということはありえない。むしろ、上記エピソードは、軍命の存在と相反するものであり、末端の兵士たちが、極限状況のなかにあっても、米軍による虐殺・凌辱の恐怖からの保護を心がけていたということを物語るものである。このことは、手榴弾を交付するという「軍の関与」と自決を強制する「軍命」との間には大きな距離があることを示すだけでなく、他にも多々ある評価の逸脱事例と併せ、判決がいかに偏見に満ちたものであるかを明証している。       


⑷ 被告大江の外堀を埋めた判決


判決は、しかし、被告大江健三郎が法廷で弄した読者の視点を無視したまやかしについては、ことごとく否定した。被告大江は、『沖縄ノート』は、赤松・梅澤両隊長を特定したものでもなく、名誉毀損表現もないと強弁したが、判決は『沖縄ノート』の表現が、「集団自決という平時ではあり得ない残虐な行為を命じたものとして、原告梅澤及び赤松大尉の客観的な社会的評価を低下させるものと認められる」とし、被告大江が、法廷で述べた曽野綾子誤読説についても、『沖縄ノート』が必ずしも文法的な厳密さを一貫させた作品であるとは解されないとし、「一般読者が普通の注意と読み方で沖縄ノートの各記述に当たった場合、『あまりに巨きい罪の巨塊』との表現は、‥‥渡嘉敷島の守備隊長の犯した罪か、守備隊長自身を指しているとの印象を抱く者も存するものと思われる」として一蹴した。控訴審では、原審で弄し続けた匿名論、曽野誤読論、タテの構造論といった文学風まやかしをはぎ取られた被告大江と(しかも原告梅澤との関係では、死者の名誉毀損の逃げ道もなくした状況で)、良心を気どる被告大江の偽善と正面から対決することになる。  

以上


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