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新華網:夏淑琴反诉日本右翼案二审胜诉

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夏淑琴反诉日本右翼案二审胜诉

2008年05月21日 23:28:06  来源:新华网

新华网南京5月21日电(记者 蔡玉高)记者从侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆获悉,日本东京高等法院21日中午对南京大屠杀幸存者夏淑琴反诉日本右翼案作出二审判决,维持原判,夏淑琴胜诉。据了解,这是日本本土法院又一次用法律判决维护了南京大屠杀历史史实,意义重大。

听到二审胜诉的消息,80岁的夏淑琴表示满意。多年来一直坚持与否认历史的日本右翼作斗争的她激动地告诉记者:“日本法院作出这样的判决,是公正的,是对30万遇难同胞的一种安慰。”

夏淑琴状告日本右翼案由来已久。1998年,日本亚细亚大学教授东中野修道和同为日本自由史观会成员的松村俊夫两人出书,污蔑当年被日军屠杀了7位亲人的夏淑琴为“假证人”。2000年,为了捍卫自己的名誉权和历史史实,夏淑琴在南京以侵害名誉权为由,起诉松村俊夫和东中野修道。针对夏淑琴在中国国内的诉讼,日本被告东中野修道在东京地方法院提出了反诉讼,而2006年7月1日,当夏淑琴站到日本法庭上时,两被告突然撤诉,夏淑琴随后提出反诉。

2007年11月2日,日本东京地方法院对夏淑琴反诉日本右翼案作出判决,中方原告夏淑琴胜诉,法庭责令被告松村俊夫和东中野修道向原告赔偿400万日元。对于这一结果,松村俊夫和东中野修道向东京高等法院提出上诉。

21日下午,夏淑琴日方律师团电函侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆告知,21日中午日本东京高等法院对夏淑琴反诉日本右翼案作出二审判决,维持原判。

“这场胜诉意义重大。”侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆馆长朱成山说,东京高等法院再次以判决的方式确认了南京大屠杀史实的存在,进一步说明了历史是不容抹杀的,这也是对那些否认历史的日本右翼最好的回击。

夏淑琴中方代理律师谈臻表示,尽管二审的判决结果不出所料,但听到这样的消息,他还是感到高兴。如果东中野修道在两个星期内不再提出上诉的话,那么,前后长达8年的夏淑琴状告日本右翼案就可以圆满结束了。

1937年12月13日,占领南京的侵华日军闯入南京市民哈家,残酷杀害了哈家4人和哈家房客夏淑琴一家9人中的7人,被捅了3刀的夏淑琴和她4岁的妹妹夏淑云幸运存活了下来。她们的遭遇在当时南京安全区国际委员会主席拉贝先生的日记、委员约翰·马吉先生拍摄的影像胶片中均有详细记录。多年来,夏淑琴强忍失去家人的痛苦,一直坚持与日本右翼作斗争,并多次赴日与日本右翼当面对质。


【機械翻訳】
新華ネットの南京は5月21日にニュース(記者 蔡玉と高さ)の記者は中国侵略日本軍の南京大虐殺から遭難して同胞の記念館知って、日本東京高等裁判所は21日昼ごろに南京大虐殺の生存者の夏の淑琴の反訴の日本の右翼事件に対して2審の判決を作り出して、前回と同様の判決を下して、夏淑琴は勝訴します。調査によると、これは日本の本土の裁判所がまた一回法律で南京大虐殺の歴史の史実を守ったことに判決を下すので、意義が重大です。

2審の勝訴するニュースを耳にして、80 歳の夏の淑琴は満足すると表しています。数年来はずっと歴史の日本の右翼が闘争の彼女を行って感動して記者に教えることを堅持して否定しています:“日本の裁判所はこのような判決を作り出して、公正で、30万の遭難する同胞に対する1種の慰めです。”

夏淑琴は日本の右翼事件を告訴して昔からそうです。1998年、日本の亜細亜大学の教授の東の中野は修行してと日本の自由な歴史観成員の松村の美しい夫の2人のためと出版して、その年日本軍に7位の身内の夏の淑琴を殺戮されたことを中傷するのは“にせの証人”です。2000年、自分の名誉権力と歴史の史実を守るため、夏淑琴は南京で名誉権力を侵害することをにして、松村の美しい夫と東の中野を起訴して修行します。夏の淑琴のある中国の国内の訴訟に対して、日本の被告の東の中野は修行して東京地方裁判所で反対の訴訟を出して、2006年7月1日、夏淑琴が日本の法廷の上に立つ時、2人の被告は突然訴訟を撤回して、夏淑琴はあとで反訴を出しています。

2007年11月2日、日本東京地方裁判所は夏の淑琴の反訴の日本の右翼事件に対して判決を作り出して、中国側の原告は夏淑琴は勝訴して、法廷は被告の松村の美しい夫と東の中野に修行して原告に400万円弁償するように責任を課します。この結果について、松村の美しい夫と東の中野は修行して東京高等裁判所に上訴を出しています。

21日午後、夏淑琴の日本側の弁護士団のニュース手紙の中国侵略日本軍の南京大虐殺は遭難して同胞の記念館告知して、21日昼ごろに日本東京高等裁判所は夏の淑琴の反訴の日本の右翼事件に対して2審の判決を作り出して、前回と同様の判決を下します。

“このは勝訴して意義が重大です。”中国侵略日本軍の南京大虐殺は、東京高等裁判所は再度判決の方式で南京大虐殺の史実の存在を確認して、いっそう歴史が抹殺を許さないのだと説明して、これもあれらに対して歴史の日本の右翼の最も良い反撃を否定するのですと遭難して同胞の記念館の館長の朱成山言います。

夏淑琴の中国側は弁護士の談臻の表示を代行して、2審の判決は結局予想通りですけれども、しかしこのようなニュースを耳にして、彼はやはりうれしく思います。もし東の中野は修行して2週間の内にもう上訴を出しないならば、それでは、全部で8年続く夏淑琴は日本の右翼事件を告訴して首尾よく終わることができました。

1937年12月13日、南京の中国侵略日本軍を占領して南京の市民の哈家に突入して、残酷に家をどなりつける4人を殺害してと1軒の借家人の夏の淑琴の1家の9人の中の7人をどなりつけて、3刀の夏の淑琴と彼女の4歳の妹を突かれて夏淑雲の幸運が生存して下りてきました。彼女たちの境遇はその時南京のセキュリティゾーンの国際委員会の主席が貝先生の日記、委員のジョン・馬吉先生の撮影の映像のフィルムを引き延ばした中で皆詳しい記録があります。数年来、夏淑琴は力ずくで家族の苦痛を失うことを我慢して、ずっと堅持して日本の右翼と闘争を行って、そして何度も日本へ行ってと日本の右翼直接対決します。


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