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援護法適用の経緯(比較)

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援護法適用の経緯(比較)


引用ミスがありまして読者のご指摘により、訂正しました。2008.8.25

原告主張 被告主張 大阪地裁判決
昭和27年 4月 援護法の公布。援護法の目的は,「軍人軍属の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し,国家補償の精神に基づき,軍人軍属であった者又はこれらの者の遺族を援護すること」にあり,軍人軍属ではない一般住民は適用外となっていた。   援護法は,軍人軍属等の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し,国家補償の精神に基づき,軍人軍属等であつた者又はこれらの者の遺族を援護することを目的して制定された法律であり,昭和27年4月30日に公布された。
8月 政府が沖縄に「那覇日本政府南方連絡事務所」を設置。政府としても,将来的には援護法の沖縄への適用を考えていたため,主として援護業務推進のために,総理府内に「南方連絡事務局」を創設した。 沖縄は米軍の占領下にあり,日本法を直ちに適用することができなかったため,日本政府は,同年8月,那覇日本政府南方連絡事務所を設置した。
昭和28年 3月 北緯29度以南の南西諸島にも援護法の適用が認められる。琉球政府社会局に援護事務を主管する援護課が設置され,各市町村にも援護係が設置される。宮村幸延が座間味村の援護係に着任する。「琉球遺家族会」が「琉球遺族連合会」と改称して,各市町村に遺族会が相次いで結成される。 同所と米国民政府との折衝の結果,日本政府は,昭和28年3月26日,北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)に現住する者に対して援護法を適用する旨公表した。
4月 琉球政府においては,同年4月1日,社会局に援護課が設置され,援護事務を取り扱うこととされた。
9月 琉球遺族連合会が日本遺族会の一支部として正式加入を認められる。  
昭和30年 3月 総理府事務官の馬淵新治が,援護業務のため沖縄南方連絡事務所へ着任する。 馬淵氏は昭和30年(1955年)に赴任して以来、座間味島や渡嘉敷島を訪問し、調査をしていたものであるが(乙36・4-31頁)、両島の住民は部隊長から自決命令があったと証言していたもので、日本政府(沖縄南方連絡事務所)も当初から、座間味村及び渡嘉敷村の集団自決は日本軍の部隊長の命令によるものと認定し、戦闘協力者(戦闘参加者)として援護法の対象としようとしていたものであることが明らかである。
すなわち、日本政府が集団自決を「戦闘協力者」(戦闘参加者)には該当しないとしていたのに陳情により対象としたというような経緯はなかったことが明らかである
戦闘参加者の範囲を決定するため,厚生省引揚援護局援護課の職員が沖縄を訪問し,沖縄戦の実態調査を行った。沖縄県の住民は,沖縄県遺族連合会が懇談会,協議会を開催するなど,集団自決について援護法が適用されるよう強く求め,琉球政府社会局を通して厚生省に陳情する運動を行った。
昭和31年 3月 中等学校生徒について,男子生徒は全員軍人。女子戦没学徒は軍属として死亡処理され,援護法の適用開始。

厚生省の援護課事務官が,沖縄住民の戦争体験の実情調査に訪れる。この際,初枝に対する事情聴取も行われた。また,昭和31年ころまでに,渡嘉敷村において,照屋昇雄が100名以上の住民から聞き取りを実施していた。その結果,原告梅澤の自決命令及ぴ赤松大尉の自決命令が公認されることとなった。
昭和32年 7月 厚生省が,一般住民を対象とした「沖縄戦の戦闘参加者処理要綱」を決定し,住民の沖縄体験を20種類に類型化した「戦闘参加者概況表」にまとめる。その結果,軍の命令による「集団自決」に該当すれば,一般住民も兵士同様「戦闘参加者」と認定され,「準軍属」扱いされることになる。ただし,軍の命令を聞き分けられる「小学校適齢年齢の7歳以上」という年齢制限が設けられた。 昭和32年は偶々沖縄戦関係戦没者の十三回忌に当たったので本年度を期して援護全般、特に死没者の復員処理を劃期的に促進すべく再び厚生省より復員担当の三事務官を招聘して、復員事務の促進と新たに沖縄戦関係戦闘協力者の処理を取り上げ、これが事務の促進を期したのである。
琉球政府が作成したと考えられる昭和32年5月の「戦斗参加者概況表」には、「座間味島及び渡嘉敷島における隊長命令による集団自決」が、戦闘参加者の20類型の一つとして掲げられている。
そして、昭和32年7月に至り、日本政府厚生省において沖縄戦の戦闘参加者処理要綱が正式に決定されたが、集団自決は戦闘参加者の20の区分の一つとされた。 座間味島及び渡嘉敷島の集団自決は、当初より隊長命令によるものとして補償の対象とされていたもので、対象外とされたため隊長命令があったことにして補償の対象としてもらったというようなことはなかったことが明らかである。
以上の実態調査や要望を踏まえて,厚生省は,昭和32年7月,沖縄戦の戦闘参加者の処理要綱を決定した。この要綱によれば,戦闘参加者の対象者は,の20種類に区分され,軍に協力した者が広く戦闘参加者に該当することとされた。その結果,約9万4000人と推定されている沖縄戦における軍人軍属以外の一般県民の戦没者のうち,約5万5200人余りが戦闘参加者として処遇された。隊長の命令によるものか否かは,重要な考慮要素とされたものの,要件ではなく,隊長の命令がなくても戦闘参加者に該当すると認定されたものもあった。
昭和38年 10月 6歳未満の集団自決者も「準軍属」として扱われるようになる。  
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