マギーフィルム経緯(試表)
以下はあくまで皆さんの検証のためのたたき台です。
無断転載はご遠慮ください。
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群 | 撮影期間 | 上海へ | 上海で | 国外へ |
甲 | 1937年9月~1938年1月29日までの撮影分。空襲~新路口事件。 16mm100ftリール×4巻 |
フィッチが1月29日南京発Bee号で、マギーが記した撮影内容のスクリプトと共に運ぶ。 | 上海コダックで現像 →ティンパーリがマギーのスクリプトを元に字幕を挿入して上海コダックでマスターネガ作成 →プリント数本。 |
・一本はベルリンのヒトラーへ ・その他は暫く上海に留めたか? |
乙 | 1938年1月29日から2月19日までの撮影分+X。主に鼓楼病院の被害者たち(マギーフィルム「解説書」にはない16歳の少女など)。 16mm100ftリール×8巻。 |
2月19日頃、外套の内側に8本のフィルムを縫い付けて、フィッチが上海ゆき日本軍軍用列車に乗車。 | 未現像分は上海コダックで現像 →マスターネガ作成 →フィッチによれば、プリント4セット作成(甲と乙を併せたセットか) |
(甲+乙) ・1セットは日本に。 ・1セットはフィッチが米国へ。 ・1セットはマギーが。 ・もう1本はラーベがドイツへ マスターネガを持ち帰ったのは常識的にはオーナーであるマギーと考えられるが、フィルムの有効利用を考えれば先に帰国するフィッチに託されたか。 フィッチが持ち帰ったものは米国YMCAで再編集され字幕も付け替えられて「China Invaded」となる。また切り出したフィルムの未使用部分は写真として「LIFE」誌で報道。 |
※現在ワシントンの合衆国公文書館ないし連邦議会図書館に保存されているプリントは、「甲」の「マギーフィルム」。・・・・文字数の多い字幕。これもファイル名は「China Invaded」
合衆国国立公文書館ARC検索結果
合衆国国立公文書館ARC検索結果
※現在ロスのフィルムセンターで保存されているのは、「甲」+「乙」から再編集した二次作品「China Invaded」(米YMCA講演用)。・・・・・文字数の少ない字幕。
※これらフィルムから、三次使用、四次使用として「Battle oh China」などにも使われた。
※これらフィルムから、三次使用、四次使用として「Battle oh China」などにも使われた。
※また、米国に持ち帰った上記映画フィルムからコマが切り出されて、LIFE誌の特集写真などに使われた。中国語版の「戦争とはなにか」に使われたマギーフィルムからの写真は、上海で切り出されたコマかもしれない。
※フイルムが編集される際には必ずカットネガと呼ばれる切れ端が、映画では使われない廃品として全てのカットごとに生じる。しかしそれらは、スチル写真のネガとして再利用が可能だ。
※撮影用フィルムには、
- 現像するとネガになる「ネガフィルム」と、現像するとポジになる「リバーサルフィルム」の2種類がありました。
- アマチュアカメラマンは「ネガフィルム」を使いません。複数のプリントは必要ありませんし、ネガ現像と、ポジ焼付け現像という二重の費用は払いたくないからです。したがって、マギーも「リバーサル」を使用していたと思われます。
- 上海のティンパーリは最初の現像で上がったポジを映写し、マギーが書いたスクリプトを対照して字幕を作成したと思います。
- そうして次にマスターネガの作成です。未現像ネガフィルムを現像済みフィルムに密着走行させながら露光(焼付)し、現像します。戦争が無かったらありえない、マギーが当初は予定してなかったことですが、複数のプリントを作るためには必要な工程です。
- マスターネガに未現像ポジフィルムを密着走行させながら露光(焼付)し、現像して1本のプリントが完成します。一回の焼き付け工程でできるプリントは1本です(DNAの複製と同じです)。
※16ミリフィルムは
イ)1秒あたり24コマ走行で、100ftだと 167秒(2分47秒),108ftで3分
ロ)1秒あたり18コマ走行で、100ftだと 222秒(3分42秒),108ftで4分
イ)1秒あたり24コマ走行で、100ftだと 167秒(2分47秒),108ftで3分
ロ)1秒あたり18コマ走行で、100ftだと 222秒(3分42秒),108ftで4分