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第4・5(4)ウ 「ある神話の背景」及びその指摘に関わる文献について

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沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決
事実及び理由
第4 当裁判所の判断
第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について
第4・5(4) 集団自決に関する文献等の評価について

第4・5(4)ウ 「ある神話の背景」及びその指摘に関わる文献について




(ア)(「ある神話の背景」は赤松命令説記載の書籍を批判した)*


a(「鉄の暴風」等否定論)*

「ある神話の背景」は,「鉄の暴風」「戦闘概要」「戦争の様相」の3つの資料は米軍の上陸日が昭和20年3月27日であるにもかかわらず同月26日と誤って記載していると指摘し,「鉄の暴風」は直接の体験者ではない山城安次郎と宮平栄治に対する取材に基づいて書かれたものであり,これを基に作成したのが「戦闘概要」であり,さらにこれらを基に作成されたものが「戦争の様相」であるとの記述,「戦争の様相」に「戦闘概要」にある自決命令の記載がないのは,「戦争の様相」作成時には部隊長の自決命令がないことが確認できたから,記載から外したものであるとの記述がある。

原告らは,この記載を踏まえて,「戦闘概要」という私的文書で記載されていた
「時に赤松隊長から防衛隊員を通じて自決命令が下された」
との一文が公的な文献である「戦争の様相」においては削除されていると主張する。

b(「鉄の暴風」否定論はあたらない)*‘

「鉄の暴風」がそうした誤記をしていること,それをどう評価すべきかについては,先に判示したとおりであり,「鉄の暴風」が直接の体験者ではない山城安次郎と宮平栄治に対する取材に基づいて書かれたものであると認め難いのも,先に判示したとおりである。

c(他2書についても原告主張は必ずしもあたらない)*

先に判示したとおり,「戦闘概要」(乙10)は,昭和28年3月28日,太平洋戦争当時の渡嘉敷村村長や役所職員,防衛隊長らの協力のもと,渡嘉敷村遺族会が編集したもので,新崎盛暉「ドキュメント沖縄闘争」に転載,収録されているものであり,「戦争の様相」(乙3)は「沖縄戦記(座間味村渡嘉敷村戦況報告書)」に収められた文書で,先に判示した「座間味戦記」も,同じく「沖縄戦記(座間味村渡嘉敷村戦況報告書)」に収められており,これらは援護法の適用を当時の厚生省に申請した際に提出した資料である。

そこで,「戦闘概要」(乙10)と「戦争の様相」(乙3)を比較すると,両者においては,単に記述されている事柄が共通しているだけでなく,その表現が全く同じであるか酷似している点が多数見られるなど,昭和20年3月27日から集団自決に至るまでの経緯の記述が酷似していることが認められるから,両者は,いずれか一方が他方を参考にして作成されたものであることが窺われる。

この「戦闘概要」と「戦争の様相」の成立順序については,伊敷清太郎によれば,「戦闘概要」には「戦争の様相」の文章の不備(用語,表現等)を直したと思われる箇所が見受けられること,当時の村長の姓が「戦争の様相」では旧姓の古波蔵とされているのに対し「戦闘概要」では改姓後の米田とされていることなどから,「戦争の様相」が先に書かれたものであり,これを補充したものが「戦闘概要」であると考えられると分析されている(乙25)。

この伊敷清太郎の分析は合理的な根拠を有するといえ,このような見解があることを踏まえると,「戦闘概要」と「戦争の様相」の成立順序については,「戦闘概要」が「戦争の様相」の後に書かれたものと断定することはできないものの,必ずしも原告らの主張のようにいうこともできない。

もっとも,以上の類似性からすると,両者に独立の資料的価値を見出すことは困難であるというべきであって,真実性等の評価に当たっては,この点を十分踏まえる必要がある。


(イ)(大城将保は「ある神話の背景」を評価した)*


大城将保は,「青い海『慶良間諸島の惨劇-集団自決事件の意味するもの』」(昭和53年,甲B91,以下「青い海」という。)において
「従来の記録が,事実関係のうえで多くの誤りを含んでいることは曽野綾子氏の『ある神話の背景』で指摘されたところである。」
と,「沖縄戦を考える」(昭和58年,甲B24)において
「曽野綾子氏は,それまで流布してきた赤松事件の"神話"に対して初めて怜悧な資料批判を加えて従来の説をくつがえした。」

「今のところ曽野綾子説をくつがえすだけの反証は出ていない。」
と,それぞれ評価している。したがって,赤松命令説を検討するに当たっては,「ある神話の背景」について,十分に検討する必要がある。


(ウ)(「ある神話の背景」は赤松命令説否定を表明したものではない)*


もっとも,「ある神話の背景」は,赤松大尉や部隊の元隊員からの聞き取りに基づく記述が大部分を占めており,赤松大尉や元隊員らが赤松大尉による自決命令はなかった旨供述したことは記述されているものの,曽野綾子自身の見解として赤松命令説を否定する立場を表明したものではない。

実際,曽野綾子は,平成12年10月16日の司法制度改革審議会において,一般市民が裁判に参加する場合,法律用語を正確に理解していないために事件において人間の置かれた立場や心情を正しく理解できない危険があるという趣旨の意見を述べ,人間の語る言語を正確に理解することが困難である例として「ある神話の背景」の執筆作業を挙げ,「ある神話の背景」について説明する一連の発言の中で,沖縄の新聞記者から
「赤松神話はこれで覆されたということになりますが」
と言われた際に
「私は一度も赤松氏がついぞ自決命令を出さなかった,と言ってはいません。ただ今日までのところ,その証拠は出てきていない,と言うだけのことです。明日にも島の洞窟から,命令を書いた紙が出てくるかもしれないではないですか」
と答えた旨の発言をしている(甲B3)。同様のことは,「正論」(平成15年9月号)に掲載された「沖縄戦集団自決をめぐる歴史教科書の虚妄」と題する文中等でも記載している(甲B4,40の2及び55)。


(エ)(「ある神話の背景」は住民供述を詳細に記述してない)*


曽野綾子は,「ある神話の背景」において,赤松大尉による自決命令があったという住民の供述は得られなかったとしながら,取材をした住民がどのような供述をしたかについては詳細に記述していない。

そして,曽野綾子は,家永教科書検定第3次訴訟第1審において証言した際、「ある神話の背景」の執筆に当たっては、富山兵事主任へ取材をしなかったと証言しているところ(乙24・219頁、もっとも、安仁屋政昭「裁かれた沖縄戦」(乙11・14頁)は、曽野綾子が富山兵事主任に取材したとする。)、それが事実であれば,取材対象に偏りがなかったか疑問が生じるところである* この点については、安仁屋政昭も、
「兵事主任に会うこともなく、その決定的な証言も聞かなかったということであれば,曽野綾子氏の現地取材というのは、常識にてらしても納得のいかない話である。また,兵事主任の証言を聞いていながら,『神話』の構成において不都合なものを切り捨てたのであれば,『ある神話の背景』は文字どおりフィクションということになる。」
として批判している(乙11・14頁以下)。加えて,「ある神話の背景」は,「沖縄県史第8巻」や「沖縄県史第10巻」については特に反論していない。


(オ)(大城将保は軍関与を肯定している)*


前記(イ)のとおり,大城将保は「ある神話の背景」を評価している。しかしながら,大城将保は,前記「青い海」において
「私自身は,今のところ戦争責任追及の問題に言及する用意はないし,自決命令があったかどうかについてはさして興味がない。」
とした上で,星雅彦の指摘する,逃げ場のない無防備な小島の地理的状況・恐怖観念(やがて死ななければならぬ思案)・軍国主義教育による忠君愛国の精神・旧日本軍が常に発散させていた国民への圧力(黙っていてもある指示ができる状況-軍の意志を献身的に買って出て,さらにそれを末端へ促す可能性の強さ)・作戦と指導力のまずさ・敗色からくる狂気・沖縄県民への差別意識・非戦闘員の生命への無関心さ(軍優先の戦闘モラル)・責任を転嫁しやすい軍人階級の大義名分(利己的な虚栄心)・運命共同体の憎愛の狂気・弱肉強食のパターンといった原因の中に事実はほとんど網羅されているとし,こうした要因の中でも,旧日本軍が常に発散させていた国民への圧力を重視すべきであると述べて,全体として集団自決に対する軍の関与自体は肯定する見解を主張している(甲B91・86頁以下)。


(カ)(「ある神話の背景」は赤松命令説を覆すものとはいえない)*


以上によれば,「ある神話の背景」は,命令の伝達経路が明らかになっていないなど,赤松命令説を確かに認める証拠がないとしている点で赤松命令説を否定する見解の有力な根拠となり得るものの,客観的な根拠を示して赤松命令説を覆すものとも,渡嘉敷島の集団自決に関して軍の関与を否定するものともいえない。


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