15年戦争資料 @wiki

第4・5(8) 文献等に基づく集団自決の理解

最終更新:

pipopipo555jp

- view
メンバー限定 登録/ログイン
通113 | 戻る | 次へ

沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決
事実及び理由
第4 当裁判所の判断
第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について

第4・5(8) 文献等に基づく集団自決の理解




ア (出版時の通説とその後)*


以上(1)ないし(4)及び(6)で判示した事実を総合すれば,「沖縄ノート」が出版された昭和45年9月21日当時,座間味島及び渡嘉敷島の集団自決については、梅澤命令説及ぴ赤松命令説が通説又は一般的見解であつたということができる。

「沖縄ノート」の出版後,文庫である本件書籍(1)の元となった「太平洋戦争第二版」が出版された昭和61年11月7日こ至るまで,「沖縄ノート」の出版を1つの契機として,赤松大尉の私記を掲載した「潮」(昭和46年),「ある神話の背景」(昭和48年),「青い海」(昭和53年),「沖縄戦を考える」(昭和58年)などの梅澤命令説・赤松命令説に消極的な文献等が出され,また,原告梅澤(乙66の1,昭和55年),安里巡査(甲B61,昭和58年〉など集団自決の体験者らによる供述もなされ,さらに,梅澤命令説・赤松命令説に消極的な見解を紹介した新聞報道(昭和60年7月30日付け神戸新聞など)がなされるなど,集団自決を中心に沖縄戦に関する論争が起こったことが認められる。

しかしながら,梅澤命令説及び赤松命令説に消極的な見解ばかりではなく,前記のとおり,「沖縄県史 第10巻」(昭和49年),「沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料」(昭和53年)など梅澤命令説・赤松命令説に積極的な文献も出されて積極的な見解も随時出版されるなどしたものと認められる。

そして,本件書籍(1)が出版された平成14年7月16日当時の議論状況を見ると,それまでに「母の遺したもの」(平成12年)などの梅澤命令説に消極的な文献が出されたことによって,梅澤命令説を否定する見解にも新たな根拠,資料が出されたといえる。

そこで,そうした学説の状況,各種資料等を検討して,真実性及び真実相当性について,判断を加えていく。


イ 座間味島における集団自決について


(ア)(梅澤命令説推認根拠:手榴弾,文献,住民体験談の具体性,迫真性)


座間味島では,第4・5(1)イ(ア)のとおり,昭和20年3月23日事件一連の端緒日時のことと思われる ,忠魂碑前に集合した多数の住民が集団で死亡したと認められ,その際に,軍事装備である手榴弾が利用されたことは,第4・5(2)ア(ア)で掲げた証拠から認めることができる。

この集団自決を原告梅澤が命じたとの記載のある「鉄の暴風」,「秘録沖縄戦史」、「沖縄戦史」等には,その取材源等は明示されておらず,山川泰邦のように,その作者が死亡しているような書籍については,座間味島で集団自決が発生して相当の年月が発生している現在では,その取材源等を確認することは困難で,本訴の提起が遅延した原告らには時間の壁があるというべきことについては,第4・1(6)で判示したとおりである。

しかしながら,第4・5(2)ア(ア)で判示したとおり,「沖縄県史 第10巻」,「座間味村史下巻」,「沖縄の証言」には,初枝始めとして,宮里とめ,宮里美恵子,宮平初子,宮平カメ及び高良律子,宮村文子,宮平ヨシ子らの集団自決に関する体験談の記述があるほか,本件訴訟を契機とし,宮平春子,上洲幸子,宮里育江の体験談が新聞報道されたり,本訴に陳述書として提出されたりしている。そして,こうした宮里とめなど沖縄戦の体験者らの体験談等は,いずれも自身の実体験に基づく話として具体性,迫真性を有するものといえ,また,多数の体験者らの供述が,昭和20年3月25日の夜に忠魂碑前に集合して玉砕することになったという点で合致しているから,その信用性を相互に補完し合うものといえる。また,こうした体験談の多くに共通するものとして,日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった場合には自決を促され,そのための手段として手榴弾を渡されたことを認めることができる(手榴弾の交付に関する原告梅澤の供述が措信し難いことは,第4・5(5)ウ(イ)で判示したとおりである。)。


(イ)(推認根拠:住民加害,防諜と集団自決との関係)*


沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたことは,第4・5(1)ア(ア)で判示したとおりであり,このことは,第4・5(1)ウで判示した日本軍による住民に対する加害行為に端的に表れている。すなわち,
  • 〔1〕渡嘉敷島において,防衛隊員であった国民学校の大城徳安訓導が渡嘉敷島で身寄りのない身重の婦人ママ:夫人 や子供の安否を気遣い,数回部隊を離れたため,敵と通謀するおそれがあるとして,これを処刑したこと,
  • 〔2〕赤松大尉が集団自決で怪我をして米軍に保護され治療を受けた二名の少年が米軍の庇護のもとから戻ったところ,米軍に通じたとして殺害したこと,
  • 〔3〕赤松大尉が米軍の捕虜となりその後米軍の指示で投降勧告にきた伊江島の住民男女6名に対し,自決を勧告し,処刑したことは,
他の要因も考え得るものの,沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたことに通じる。

そして,第4・5(1)イ(エ)で判示した第二戦隊の野田隊長が昭和20年2月8日に慶留間島の住民に対して
「敵の上陸は必至。敵上陸の暁には全員玉砕あるのみ」
と訓示した行為や第4・5(2)ア(ア)kに記載した米軍の「慶良間列島作戦報告書」の座間味村の状況についての
「明らかに,民間人たちは捕らわれないために自決するように指導されていた」
との記述も,前同様,他の要因も考え得るものの,慶良間列島に駐留する日本軍が米軍が上陸した場合には住民が捕虜になり,日本軍の情報が漏れることを懸念したとも考えることができ,沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたに通じる(「慶良間列島作戦報告書」の訳の問題に関しては、第4・5(4)エで判示したとおりであって,原告ら主張のように訳しても,以上の判断に差異を来さない。)。


(ウ)(推認根拠:手榴弾の交付と戦隊長了解)*


原告梅澤が率い,座間味島に駐留した第一戦隊の装備は,「機関短銃九のほか,各人拳銃(弾薬数発),軍刀,手榴弾を携行」というものであり,慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断されていたから,食糧や武器の補給が困難な状況にあったと認められ,装備品の殺傷能カを比較すると手榴弾は極めて貴重な武器であったと認められることは,第4・5(5)ウ(イ)で判示したとおりである。

そして,原告梅澤が本人尋問において村民に渡せる武器,弾薬はなかったと供述していることも,第4・5(5)ウ(イ)で判示したとおりであり,赤松大尉が率いた第三戦隊に関する証言ではあるが,皆本証人が手榴弾の交付について
「恐らく戦隊長の了解なしに勝手にやるようなばかな兵隊はいなかったと思います。」
と証言していることは,軍の規律,第一戦隊及び第三戦隊に共通する装備の乏しさを考えると,等しく原告梅澤にも妥当するものと考えられる。


(エ)(推認根拠:集団自決と日本軍の存在)*


こうした事実に加えて,第4・5(1)(イ)で判示したとおり,座間味島,渡嘉敷島を始め,慶留間島,沖縄本島中部,沖縄本島西側美里,伊江島,読谷村,沖縄本島東部の具志川グスクなどで集団自決という現象が発生したが,以上の集団自決が発生した場所すぺてに日本軍が駐屯しており,日本軍が駐屯しなかった渡嘉敦村の前島では,集団自決は発生しなかったことを考えると,集団自決については日本軍が深く関わったものと認めるのが相当であつて,第4・5(1)アで判示した事実を踏まえると,沖縄においては,第三二軍が駐屯しており,その司令部を景高機関として各部隊が配置され,第三二軍司含部を最高機関とし,座間味島では原告梅澤を頂点とする上意下達の組織であったと認められるから,座間味島における集団自決に原告梅澤が関与したことは,十分に推認できるというぺきである。


(オ)(命令それ自体の認定は躊躇)*


もっとも,前記のとおり,「沖縄県史 第10巻」,「座間味村史下巻」,「沖縄の証言」等に体験談を寄せている宮里とめらの集団自決の体験者の供述等から,原告梅澤による自決命令の伝達経路等は判然とせず,原告梅澤の言辞を直接聞いた体験者を本件全証拠から認められない以上,前記のとおり,取材源等は明示されていない「鉄の暴風」,「秘録沖縄戦史」,「沖縄戦史」等から,直ちに本件書籍(1)にあるような
「老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよ。」
との原告梅澤の命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない。


(カ)(真実と信じた相当の理由はあった)*


しかしながら,以上認定したように,原告梅澤が座間味島における集団自決に関与したものと推認できることに加え,第4・5(6)イのように,少なくとも平成17年度の教科書検定までは,高校の教科書にまで日本軍によって集団自決に追い込まれた住民がいたと記載され,布村審議官は座間味島及び渡嘉敷島の集団自決について,日本軍の隊長が住民に対し自決命令を出したとするのが通説であった旨発言していたこと,第4・5(8)ア記載の学説の状況,第4・5(2)ア(ア)記載の諸文献の存在,そうした諸文献等についての信用性に関する第4・5(4)の認定,判断,第4・5(7)記載の家永三郎及ぴ被告大江の本件各書籍の取材状況等を踏まえると,原告梅澤が座間味島の住民に対し本件書籍(1)記載の内容の自決命令を発したことを直ちに真実と断定できないとしても,この事実については合理的資料若しくは根拠があると評価できるから,本件各書籍の各発行時において,家永三郎及ぴ被告らが前記事実を真実であると信じるについての相当の理由があったものと認めるのが相当であり,それは本訴口頭弁論終結時においても径庭はない。



ウ 渡嘉敷島における集団自決について


(ア)(赤松命令説推認根拠:手榴弾,文献,住民体験談の具体性,迫真性)


渡嘉敷島では,第4・5(1)イ(イ)のとおり,昭和20年3月25日集合が始まった日時のことと思われる,西山陣地北方の盆地に集合した多数の住民が集団で死亡したと認められ、その際に,軍事装備である手榴弾が利用されたことは,第4・5(2)イ(ア)で掲げた諸文献である書証から認めることができる。

この集団自決を赤松大尉が命じたとの記載のある「鉄の暴風」,「秘録沖縄戦史」,「沖縄戦史」等には,その取材源等は明示されていないことなどは,座間味島における集団自決について,先に判示したのと同様である。

渡嘉敷島における集団自決についても,渡嘉敷村長であった米田惟好,金城証人,富山真順、 吉川勇助らの集団自決の体験者め体験談等があることは、第4・5(2)イ(ア)のとおりであり、これらの体験談等は,いずれも自身の実体験に基づく話として具体性,迫真性を有するものといえ,信用性を有することも,座間味島における集団自決について,先に判示したのと同様である*。


(イ)(推認根拠:住民加害,防諜と集団自決との関係)*


沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたことは,第4・5(1)ア(ア)で判示したとおりであり,第4・5(1)ウで判示した赤松大尉率いる第三戦隊の渡嘉敷島の住民らに対する加害行為は,そうした防諜行為に通じ,第4・5(1)イ(エ)で判示した第二戦隊の野田隊長の言動,第4・5(2)ア(ア)kに記載した米軍の「慶良間列島作戦報告書」の記載も,前同様,他の要因も考え得るものの,慶良間列島駐留の日本軍が米軍が上陸した場合には住民が捕虜になり,日本軍の情報が漏れることを懸念したとも考えることができ,沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたに通じることも先に判示したとおりである。

第4・5(1)イ(イ)で判示したとおり,渡嘉敷島における集団自決は,昭和20年3月27日に渡嘉敷島に上陸した翌日である同月28日に赤松大尉の西山陣地北方の盆地への集合命令の後に発生しており,第4・5(1)ウで判示した赤松大尉率いる第三戦隊の渡嘉敷島の住民らに対する加害行為を考えると,赤松大尉が上陸した米軍に渡嘉敷島の住民が捕虜となり,日本軍の情報が漏洩することをおそれて自決命令を発したことがあり得ることは,容易に理解できる。赤松大尉は,第4・5(1)ウで判示したとおり,防衛隊員であった国民学校の大城徳安訓導が渡嘉敷島で身寄りのない身重の婦人ママ:夫人 や子供の安否を気遣い,数回部隊を離れたため,敵と通謀するおそれがあるとして処刑しているところ,これに反し,米軍が上陸した後,手榴弾を持った防衛隊員が西山陣地北方の盆地へ集合している住民のもとへ赴いた行動を赤松大尉が容認したとすれば,赤松大尉が自決命令を発したことが一因ではないかと考えざるを得ない。


(ウ)(推認根拠:手榴弾の交付と戦隊長関与)*


赤松大尉が率い,渡嘉敷島に駐留した第三戦隊の装備は,証拠(乙55)によれば,
「機関短銃五(弾薬六〇○○発)のほか,各人拳銃(弾薬一銃につき四発),軍刀,手榴弾を携行」
であったと認められ,慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断されていたから,食糧や武器の補給が困難な状況にあったと認められ,装備品の殺傷能カを比較すると手榴弾は極めて貴重な武器であったと認められることは,第4・5(5)ウ(イ)で判示のと同様である。

そして,第三戦隊に属していた皆本証人が手榴弾の交付について
「恐らく戦隊長の了解なしに勝手にやるようなばかな兵隊はいなかったと思います。」
と証言していることは,先に判示しているとおりであり,手榴弾が集団自決に使用されている以上,赤松大尉が集団自決に関与していることは,強く推認される。


(エ)(推認根拠:集団自決と日本軍の存在と上意下達)*


こうした事実に加えて,先に座間味島における集団自決に関して判示したとおり,沖縄県で集団自決が発生した場所すぺてに日本軍が駐屯しており,日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では,集団自決は発生しなかったことを考えると,集団自決については日本軍が深く関わったものと認めるのが相当であって,第4・5(1)アで判示した事実を踏まえると,沖縄においては,第三二軍が駐屯しており,その司令部を最高機関として各部隊が配置され,第三二軍司令部を最高機関とし,渡嘉敷島では赤松大尉を頂点とする上意下達の組織であったと認められるから,渡嘉敷島における集団自決に赤松大尉が関与したことは,十分に推認できるというぺきである。


(オ)(命令内容それ自体の認定には躊躇)*


もっとも,渡嘉敷島における集団自決の体撃渚の体験談等から赤松大尉による自決命令の伝達経路等は判然とせず,赤松大尉の下記の命令を直接聞いた体験者を本件全証拠から認められないことは,座間味島における集団自決と同様である上,前記のとおり。敢材源等は明示されていない「鉄の暴風」,「秘録沖縄戦史」,「沖縄戦史」等から,直ちに本件書籍(2)にあるような
「部隊は,これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は,部隊の行動をさまたげないために,また食糧を部隊に提供するため,いさぎよく自決せよ」
との赤松大尉の命令の内容それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ないことも,座間味島における集団自決における原告梅澤の命令と同様である。


(カ)(真実と信じた相当の理由はあった)*


しかしながら,(ウ),(エ)で認定したように,赤松大尉が渡嘉敷島における集団自決に関与したものと推認できることに加え,第4・5(6)イのように,少なくとも平成17年度の教科書検定までは,高校の教科書にまで日本軍によって集団自決に追い込まれた住民がいたと記載され,布村審議官は座間味島及び渡嘉敷島の集団自決について,日本軍の隊長が住民に対し自決命令を出したとするのが通説であった旨発言していたこと,第4・5(8)ア記載の学説の状況,第4・5(2)イ(ア)記載の諸文献の存在,そうした諸文献等についての信用性に関する第4・5(4)の認定,判断,第4・5(7)イ記載の被告大江の沖縄ノートの取材状況等を踏まえると,赤松大尉が渡嘉敷島の住民に対し本件書籍(2)にあるような内容の自決命令を発したことを直ちに真実と断定できないとしても,この事実については合理的資料若しくは根拠があると評価できるから,本件書籍(2)の各発行時において,被告らが前記事実を真実であると信じるについての相当の理由があったものと認めるのが相当であり,それは本訴口頭弁論終結時においても径庭はない。


エ (結論:名誉毀損は成立せず)*


以上のとおり,原告梅澤及び赤松大尉が座間味島及ぴ渡嘉敷島の住民に対しそれぞれ本件各書籍にあるような内容の自決命令を出したことを真実と断定できないとしても,これらの事実については合理的資料又は根拠があるといえるから,本件各書籍の各発行時及び本訴口頭弁論終結時において,被告らが前記事実を真実であると信じるについての相当の理由があったものと認められ,被告らによる原告梅澤及ぴ赤松大尉に対する名誉毀損は成立せず,したがって,その余の点について判断するまでもなく,これを前提とする損害賠償はもとより,本件各書籍の出版等の差止め請求もまた理由がない。



目安箱バナー