第4・5(4)カ 徳平秀雄らの体験談
(ア)(徳平秀雄)*
「沖縄県史 10巻」(乙9・765頁)に記載された徳平秀雄の集団自決に関する体験談中,事実を述ぺる部分で主なものとしては,恩納川原で米軍の攻撃を受けたこと,そこに防衛隊が現れたこと,徳平秀雄も参加の上,村長・校長・防衛隊員ら渡嘉敷村の有カ者が何らかの協議をしたこと,防衛隊員が住民に手榴弾を配布したこと,村長が何か言っていたこと,その後,住民が手榴弾を用いるなどして自決したこと,西山陣地に行ったものの,軍が陣地内に入れてくれなかったことなどであり、これらの事実は,赤松命令説を覆すものではない。
そのほか,徳平秀雄の体験談の記載は,村の有カ者の協議内容や村長の発言が明らかでないなど,あいまいな部分があり,また,
「防衛隊とは云っても,支那事変の経験者ですから,進退きわまっていたに違いありません。」
「そういう状態でしたので,私には,誰かがどこかで操作して,村民をそういう状態に持っていったとは考えられませんでした。」
などの部分は,徳平秀雄の推測を述ぺたものにすぎない。
(イ)(大城良平)*
「沖縄県史 10巻」(乙9・781頁)に記載された大城良平の体験談も,赤松大尉が部下を指揮できなかったという事情について具体性はなく(大城良平の体験談以外に赤松大尉が部下を指揮できなくなっていたと語るものは,本訴で提出された書証等の中には存しない。),多くは大城良平の観測を述ぺるものにとどまっている。