- イ 渡嘉敷島について
- (ア)(赤松命令説記載文献)*
e 前記「秘録沖縄戦記」(ha)
「秘録沖縄戦記」には,「秘録沖縄戦史」同様の赤松大尉の集結命令の記載のほか,
「赤松隊は住民の保護どころか,無謀にも『住民は集団自決せよ!』と命令する始末だった。住民はこの期におよんで,だれも命など借しいとは思わなかった。敵弾に倒れ,醜い屍をさらすよりは,いさぎよく自決したほうがいいと思い立つと,最後の死に場所を求めて,友軍陣地から三百メートルほどの地点に,約千五百人の島民が集まってきた。防衛隊員が二個ずつ手榴弾を持っていたので,それで死ぬことに決めた。一個の手榴弾の回りに,二,三十人の人々が集まった。『天皇陛下バンザーイ』の叫びが,手榴弾の炸裂音でかき消された。肉片が飛ぴ散り,谷間はたちまち血潮でいろどられた。なかには,クワやこん棒で互いに頭をなぐりつけたり,かみそりで自分ののどをかき切って死んでいく者もあった。こうして三月二十八日午後三時,三百二十九人にの 島民が悲惨な自決を遂げた。村民はこの盆地をいまでも『玉砕場』と呼んでいる。」
との記述があり,赤松大尉が住民に対して自決命令を出したとする記述がある(乙7・148頁)。