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a 前記「鉄の暴風」(ha)

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pipopipo555jp

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沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決
事実及び理由
第4 当裁判所の判断
第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について
第4・5(2) 集団自決に関する文献等
  • イ 渡嘉敷島について
    • (ア)(赤松命令説記載文献)*

a 前記「鉄の暴風」(ha)



「鉄の暴風」には,
「赤松大尉は,島の駐在巡査を通じて,部落民に対し
『住民は捕虜になる怖れがある。軍が保護してやるから,すぐ西山A高地の軍陣地に避難集結せよ』
と,命令を発した。さらに,住民に対する赤松大尉の伝言として
『米軍が来たら,軍民ともに戦って玉砕しよう』
ということも駐在巡査から伝えられた。」

「恩納河原に避難中の住民に対して,思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた。
『こと,ここに至っては,全島民,皇国の万歳と,日本の必勝を祈って,自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い,米軍に出血を強いてから,全員玉砕する』
というのである。この悲壮な,自決命令が赤松から伝えられたのは,米軍が沖縄列島海域に侵攻してから,わずかに五日目だった。」

「住民には自決用として,三十二発の手榴弾が渡されていたが,更にこのときのために,二十発増加された。」

「恩納河原の自決のとき,島の駐在巡査も一緒だったが,彼は,
『自分は住民の最期を見とどけて,軍に報告してから死ぬ』
といって遂に自決しなかった。日本軍が降伏してから解ったことだが,彼らが西山A高地に陣地を移した翌二十七日,地下壕内において将校会議を開いたがそのとき,赤松大尉は『持久戦は必至である,軍としては最後の一兵まで戦いたい,まず非戦闘員をいさぎよく自決させ,われわれ軍人は島に残った凡ゆる食糧を確保して,持久態勢をととのえ,上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすぺての人間に死を要求している』ということを主張した。」
として,赤松大尉が渡嘉敷島の住民に対して自決命令を出したとする記述がある(乙2・33ないし36頁)。



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