15年戦争資料 @wiki

第4・4 争点3(目的の公益性の有無)について

最終更新:

pipopipo555jp

- view
メンバー限定 登録/ログイン
通051 | 戻る | 次へ

沖縄集団自決裁判大阪地裁判決
事実及び理由
第4 当裁判所の判断

第4・4 争点3(目的の公益性の有無)について




(1)(「もっぱら公益を図る」とは)*


第4・1(2)のとおり,民事上の不法行為たる名誉毀損が違法性がないと判断されるためには,表現行為の目的が,もっぱら公益を図るものであることが必要となるが,書籍の執筆,出版を含む表現行為一般について,唯一の動機のみによってそれを行うことは実際上困難である。したがって,もっぱら公益を図るという要件は,他の目的を有することを完全に排除することを意味するものではなく,主要な動機が公益を図る目的であれば足りると解すぺきである。

(2)(本件書籍での検討)*


ア(「太平洋戦争」の公益目的について)*


これを本件について見るに,まず,本件書籍(1)については,それが歴史研究書であること,本件記述(1)が公共の利害に関するものであることは当事者間に争いがなく,それがもっぱら公益を図る目的によるものであることについては,公益を図る目的も併せもってなされたものである限度で当事者間に争いがない。以上の当事者間に争いがない事実に,証拠(甲A1及びB7)を総合すれば,本件書籍(1)の著者である家永三郎は,「太平洋戦争」(第一版)の初版序において,太平洋戦争について,
「総カ戦として国民生活のあらゆる領域をその渦中にまきこまずにおかなかったこの戦争の経過を述べようとするならば,他の局部的主題を選ぶ場合と違い,当然,一九三一年以来の日本歴史の総体について述べなければならないことになるのはもとより,第二次世界大戦の一環としてのこの戦争の世界史的性格からして,相手側の国や関係中立国の国内事情およびそれらを基礎として織り出された国際関係史にまで筆を及ぼさなければ,太平洋戦争史の全貌は究めつくされないであろう。厳密に科学的な太平洋戦争史はそれらの要求を充たしたものでなけれぱなるまいが,それは私のごとき視野狭くカのとぼしいものにとっては,到底実行できない注文である。しかし,それと同時に,日本史,なかんずく日本近代史の研究者の一人として,太平洋戦争の歴史的理解を回避することも,また許されないのではなかろうか。ことに私のように戦争中すでに一人前の国民として社会に出ていて戦後に生きのこった人間の場合,戦争中に,これに協カするか,便乗するか,面従腹背の態度で処するか、傍観するか,抵抗するか,なんらかの形で実践的に戦争を評価することなしにはすましてこられなかったはずであるから,その当時の実践的評価が今日からふりかえって正しかったかどうかを反省することをしないで現代の世界にまじめに生きていけるわけはないと思うし,まして日本史の研究者である以上,学問的見地からのきぴしい反省を試みる義務があるとさえ思われるのである。太平洋戦争のトータルな学問的理解が私の能カを超えた,あまりにも過大なテーマであることを十分承知しながら,あえてこのようなテーマの書物を書く決心をしたのは,上のような内的動機があったからであった。」
と記述していること,家永三郎は,本件書籍(1)の引用文献から明らかなように,多数の歴史的資料,文献等を調査した上で「太平洋戦争」(第一版)から本件書籍(1)までの各書籍の執筆をしたことが認められるから,本件記述(1)に係る表現行為の主要な目的は,戦争体験者として,また,日本史の研究者として,太平洋戦争を評価,研究することにあったものと認められ,それが公益を図るものであることは明らかである。

そして,そのような目的をもって執筆された本件書籍(1)を発行した被告岩波書店についても,その主要な目的が公益を図るものであったものと認められる。

イ(「沖縄ノート」の公益目的について)*


次に,本件書籍(2)について判断する。沖縄ノートの主題及び目的は第2・2(4)イのとおりであり,この当事者間に争いのない第2・2(4)イの事実に,証拠(甲A3,乙97及ぴ被告大江本人)を総合すれば,沖縄ノートは,被告大江が,沖縄が本土のために犠牲にされ続けてきたことを指摘し,その沖縄について「核つき返還」などが議論されていた昭和45年の時点において,沖縄の民衆の怒りが自分たち日本人に向けられていることを述べ,
「日本人とはなにか,このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」
との自問を繰り返し,日本人とは何かを見つめ,戦後民主主義を問い直したものであること,沖縄ノートの各記述は,沖縄戦における集団自決の問題を本土日本人の問題としてとらえ返そうとしたものであることが認められ,これに沿うように,被告大江は,本人尋問において,
  • (1)日本の近代化から太平洋戦争に至るまで本土の日本人と沖縄の人たちとの間にどのような関係があったかという沖縄と日本本土の歴史,
  • (2)戦後の沖縄が本土と異なり米軍政下にあり,非常に大きい基地を沖縄で担っているという状態であったことを意識していたかという反省,
  • (3)沖縄と日本本土との間のひずみを軸に,日本人は現在のままでいいのか,日本人がアジア,世界に対して普遍的な国民であることを示すためにはどうすればよいかを自分に問いかけ,考えること
が沖縄ノートの主題である旨供述している。そして,被告大江は、その本人尋問において,慶良間列島における集団自決について取り上げたことについて,
「私は慶良間列島において行われた集団自決というものに,歴史の上での日本,そして現在の日本,特に沖縄戦の間の日本,そして沖縄現地の人々との関係というものが明瞭にあらわれていると考えまして,それを現地の資料に従って短く要約するということをしております。」
と供述し,また,赤松大尉による集団自決の問題を取り上げたことについて,
「私は,今申しました第2の柱の中で説明いたしましたけれども,私は新しい憲法のもとで,そして,この敗戦後,回復しそして発展していく,繁栄していくという日本本土の中で暮らしてきた人間です。その人間が沖縄について,沖縄に歴史において始まり,沖縄戦において最も激しい局面を示し,そして戦後は米軍の基地であると,そして憲法は認められていない,その状態においてはっきりあらわれている本土と沖縄の間のギャップ,差異,あるいは本土からの沖縄への差別と,沖縄側から言えば沖縄の犠牲ということをよく認識していないと。しかし,そのことが非常にはっきり,今度のこの渡嘉敷島の元守備隊長の沖縄訪問によつて表面化していると,そのことを考えた次第でございます。」
と供述している。

これらの事実及び第4・1(4)のとおり,原告梅澤及び赤松大尉が日本国憲法下における公務員に相当する地位にあったことを考えると,沖縄ノートの各記述に係る表現行為の主要な目的は,前記の反省の下,日本人のあり方を考え,ひいては読者にもそのような反省を促すことにあったものと認められ,それが公共の利害に関する事実に係り,公益を図るものであることは明らかである。

そして,そのような目的をもって執筆された本件書籍(2)を発行した被告岩波書店についても,その主要な目的が公益を図るものであったものと認められる。

(3)(判断)*

以上によれば,本件各記述に係る表現行為の目的がもっぱら公益を図る目的であると認めることができる。



目安箱バナー