15年戦争資料 @wiki

第4・2 争点1(特定性ないし同定可能性の有無)について

最終更新:

pipopipo555jp

- view
メンバー限定 登録/ログイン
通049 | 戻る | 次へ

沖縄集団自決裁判大阪地裁判決
事実及び理由
第4 当裁判所の判断

第4・2 争点1(特定性ないし同定可能性の有無)について



(1)(各記述の内容)*

沖縄ノートの各記述の内容は,第2・2(3)イ記載のとおりであり,その記載が赤松大尉若しくは原告梅澤に関する記述であると特定ないし同定し得るか否かについて検討する。

(2)(社会的評価の低下と同定可能性)*

ところで,特定の書籍の一定の記述が他人の名誉を毀損するか否かを判断するに当たり,当該記述が当該他人の客観的な社会的評価を低下させるものであるか否かが問題になるのは,先に判示した法的基準に照らして明らかである。そして,当該記述が当該他人の客観的な社会的評価を低下させるためには,当該記述が当該他人若しくはこれを含む一定の人的集団等(以下,便宜上,この項において「当該他人」というに止める。)とが結ぴつくことが必要であることもいうまでもない。

もとより,その記述が,ある事件を基礎に記載されているものの,具体的事件内容が文学的に昇華されるなどして,当該事件と当該他人とを結ぴつけることが困難な場合には,'名誉毀損を論ずることはできないけれども,問題となる記述が,ある事件をそのままに題材とし,当該他人の氏名等の特定情報を明示していなかったとしても,当該事件がかつて大きく報道され,その後の入手可能な文献等にも,氏名等の特定情報が記載されているような場合,その報道に接し若しくは文献等を読み記憶を止めている者やその記述に接して改めて当該文献等を読んだ者などにとってみれば,当該記述と当該他人とが結びつけることは困難であると言い難い。したがって,後者の場合においては,当該記述は,他の公開された情報と結びつくことにより,当該他人の客観的な社会的評価を低下させることは十分にあり得ることである。

もとより,以上のように当該他人と当該記述が結びつけられることにより生じた,氏名等の特定情報を明示していない記述に基づく名誉毀損の場合には,氏名等の特定情報を明示された記述の場合に比して,当該記述と当該他人等を結ぴつける範囲が狭くなるのが通常であり,侵害される客観的な社会的評価も一定の範囲内に限定される可能性は否定できないものの,表現の公然性は損なわれないと考えられ,先に記した範囲の狭さは損害評価において考慮されるにとどまるというぺきである。

(3)(赤松大尉の場合)*

これをまず赤松大尉について検討する。

沖縄ノートの各記述は,著者である被告大江が沖縄戦における集団自決の問題を本土日本人の問題としてとらえ返そうとしたものであることは,第2・2(4)イ記載のとおりであり,沖縄ノートの各記述の内容は,第2・2(3)イ記載のとおりである。

そして,沖縄ノートの各記述には,慶良間列島の集団自決の原因について,日本人の軍隊の部隊の行動を妨げず食糧を部隊に提供するために自決せよとの命令に発せられるとの記載(本件記述(2))や慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制させたと記憶される男である守傭隊長との趣旨の記述(本件記述(3))などがあり,沖縄ノートの各記述は,渡嘉敷島における集団自決を命じたのが,当時の守備隊長であることが前提となっている。

渡嘉敷島における集団自決が行われた際に,赤松大尉が渡嘉敷島の守備隊若しくは軍隊の長であることを記載し若しくは窺わすことができる書籍は,第2・2(5)イ記載の諸文献を始めとして,後記第4・5(2)イ記載のとおり,多数存在する上,沖縄ノートでも取り上げられたとおり,証拠(甲A4ないし7及び甲B2)によれば,赤松大尉は,昭和45年3月28日に渡嘉敷島で行われる戦没者合同慰霊祭に参加しようとしたが,同日,「虐殺者赤松を許すな」などと記載した張り紙を掲げた反対派の行動もあって那覇市から渡嘉敷島に渡る船に乗らなかったことが沖縄タイムス及ぴ琉球新報の同日夕刊に報じられたこと,両夕刊には「赤松元大尉」と大書されていたこと,同月27日の神戸新聞でも,集団自決を命じたといわれる赤松大尉が那覇空港で民主団体等に責任を追及され大騒ぎになったと報道されたこと,アサヒグラフの同年4月17日号でも,赤松大尉は,元隊長として過去の責任追及を受け,慰霊祭に参加できなかったと報道されたこと,赤松大尉が「潮」(昭和46年11月号)に記載した手記でも、赤松大尉のことが週刊誌で数回取り上げられたことのほか,慰霊祭に参加できなかったことを記載していたことが認められる。さらに,沖縄ノートが引用する上地一史「沖縄戦史」には,第2・2(5)イ(ウ)のとおり,「赤松大尉」と明示した記載がある。

以上の事実によれば,沖縄ノートの各記述に,後記5(2)イ記載の諸文献,前記沖縄タイムス及び琉球新報等の報道を踏まえれば,不特定多数の者が沖縄ノートの各記述の内容が,赤松大尉に関する記述であると特定ないし同定し得ることは否定できない。とりわけ,沖縄ノートで取り上げられた渡嘉敷島の守備隊長が渡嘉敷島に渡る船に乗船できなかったことなどを報じる前記沖縄タイムス及び琉球新報の報道に接した者であれぱ,その関連づけは極めて容易であると認められる。

(4)(原告梅澤の場合)*

次に原告梅澤について検討する。

第2・2(3)イ記載のとおりの沖縄ノートの各記述は,主に慶良間列島の渡嘉敷の元守備隊長に関する記載であることが認められる。しかしながら,沖縄ノートの本件記述(2)には,「慶良間列島においておこなわれた,七百人を数える老幼者の集団自決」が日本人の軍隊の部隊の行動を妨げず食糧を部隊に提供するために自決せよとの命令に発せられるとの記載がある上,引き続き「この血なまぐさい座間味村,渡嘉敷島の酷たらしい現場」との記載があることは,第2・2(3)イ(ア)のとおりである。そうすると,沖縄ノートの本件記述(2)は,少なくとも原告梅澤をも対象とした記載と評価される。被告大江自身,その本人尋問において,「自己欺瞞は,自分に対するごまかしです。そして,これは渡嘉敷,そして座間味島の,慶良間の2つの島の集団自決の責任者たちは,そのようなごまかし,すなわちこの集団自決の責任が日本軍にあるということを言いくるめる,ほかの理由があるかのように言いくるめるということを繰り返したことであろうというふうに書きました。」などのように供述するなどして,沖縄ノートが原告梅澤をも対象にしたことを自認している。

そして,座間味村における集団自決が行われた際に,原告梅澤が座間味島に駐留する軍隊の長であることを記載し若しくは窺わすことができる書籍は,第2・2(5)ア記載の諸文献を始めとして後記5(2)ア記載のとおり,多数存在する上,この中に存し,沖縄ノートも引用する上地一史「沖縄戦史」には,第2・2(5)ア(エ)のとおり,「梅澤少佐」と明示した記載がある。

以上の事実によれば,沖縄ノートの各記述に,後記5(2)ア記載の諸文献を踏まえれぱ,不特定多数の者が沖縄ノートの本件記述(2)の内容は,第2・2(3)イ(ア)記載のとおりであり,その記載が原告梅澤に関する記述であると特定ないし同定し得ることは否定できない。


(5)(判断)*

以上,検討したところによれぱ,特定性ないし同定可能性の有無についての被告らの主張は,理由がないというぺきである。





目安箱バナー