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第1 家永三郎著『太平洋戦争』による不法行為について

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第1 家永三郎著『太平洋戦争』による不法行為について




1 本件書籍一『太平洋戦争』について


  被告岩波書店発行の家永三郎著『太平洋戦争』(甲A1)は、1968年(昭和43年)に発行された初版本(甲B7)を訂正して1986年(昭和61年)に発行された第2版が、2000年(平成14年)に岩波現代文庫に収載されたものであり、第二版の序に歴史家である著者自らが記しているように「一五年戦争の全体像を提示するのを目的」(甲A1pⅴ)とする一般向けの歴史書として著述されたものである。

  その300頁には、「座間味島の梅澤隊長は、老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよと命令し、生存した島民にも芋や野菜をつむことを禁じ、そむいたものは絶食か銃殺かということになり、このため30名が生命を失った。」との記述があり、原告梅澤が住民に対して自決を命じたとの事実摘示がなされており、その事実摘示による名誉毀損の不法行為の成否が、本件書籍一『太平洋戦争』にかかる争点である。

  なお、初版本(甲B7)にあった「沖縄の慶良間列島渡嘉敷島守備隊の赤松隊長は、米軍の上陸にそなえるため、島民に食糧を部隊に供出して自殺せよと命じ」との《赤松命令説》の記述 は、1985年(昭和60年)に「今日の学界の到達水準からすれば不適当または不十分と思われる部分が生じていること」(甲A1pⅳ)から改訂された第二版において削除されている。 

2 問題記述の名誉毀損性について


  岩波現代文庫所収の本件書籍一の『太平洋戦争』の前記記述は、原告梅澤から座間味島の住民に対して「老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよ」との命令が出され、「生存した島民にも芋や野菜をつむことを禁じ、そむいたものは絶食か銃殺かということになり、このため30名が生命を失った」という事実を摘示するものであり、この点争いはない。

  それらの摘示事実は、不特定多数の読者に対し、座間味島の守備隊長だった原告梅澤が、部隊の食糧を確保するため平然と住民の生命を犠牲にした冷酷な鬼のような人物であるという印象を与え、原告梅澤個人の人格を非難し、その社会的評価としての名誉を毀損し、もってその名誉権と名誉感情を侵害するものであることは明かである。    

3 原告梅澤の精神的苦痛


(1)はじめに


  『太平洋戦争』に記載された《梅澤命令説》の記述は、同じく《梅澤命令説》を記載した『鉄の暴風』や『沖縄ノート』等の記述と相まって、事実として広く流布し、原告梅澤に対し、部隊が生き延びるために平然と住民を犠牲にした鬼のように冷酷で無慈悲な殺人者としての烙印を押し、その名誉を長年にわたり著しく毀損し、原告梅澤に耐え難い精神的苦痛を与え続けてきた。

  その苦痛が如何に深く、周囲への影響が甚大なものであったかは、次の内容から十分に看取出来るものである。

(2)謝罪等要求書(甲B27)


  原告梅澤は沖縄タイムス社に対し、昭和60年12月10日付の手紙で『鉄の暴風』等の訂正と謝罪文掲載の要求を行っている(甲B27)。

  その中で同人は、その積年の思いを次のように吐露し、切々と訴えている。
  「私及び家族は多年此の屈辱の為その受けた精神的その他の 被害は極めて甚大であります。」(2枚目1~2行目)

  「永年に亘り此の問題につき苦悩して参り家族共々大変な精神的打撃受け又職務上種々支障を生じ口惜しき極みであります。」(2枚目最終行~3枚目1行目)

  「私は大悪人として今や小学校の教科書に載ってるそうですね。そうではなかった。私は死んではいけない、共に持久してがんばろうと云った、しかし彼等は淋しく死んで行った。」(4枚目4~6行目)

  原告梅澤はもとより、その家族までもが長年にわたり屈辱を受け、甚大な精神的苦痛を受けたことが明らかである。

  尚、当該謝罪等要求書は、直接には『鉄の暴風』を発行した沖縄タイムス社に対するものであるが、同じく《梅澤命令説 》を記述した『太平洋戦争』を発行した被告岩波書店に対してもそのまま妥当するものである。むしろ、それが被告岩波書店から文庫本として著名な歴史家の著述として出版され、多数の読者に《梅澤命令説》を事実と思わせてきたことを考えれば、その被害は『鉄の暴風』によるものよりも遥かに甚大かつ深刻である。

(3)平成17年12月26日付陳述書(甲B1)


  原告梅澤は当該陳述書の中でも、その苦痛の深さを次の通り述べている。

  「愕然たる思いに我を失いました。一体どうして、このような嘘が世間に報じられるのかと思いました。たちまち我が家は。どん底の状態となりました。人の顔を見ることが辛い状態となりました。実際に勤めていた職場に居づらくて仕事を辞める寸前の心境にまで追い込まれました。妻や2人の息子にも、世間の目に気兼ねした肩身の狭い思いをさせる中で生きることになりました。」(甲B1p4「4」)

  「凡そ言葉で語り尽くせない暗澹たる日々。『何故』、『どうして』と只々終りのない自問自答を繰り返す自分自身…」(甲B1p4「6」)

(4)平成18年8月26日付陳述書(甲B33)


  更に原告梅澤は、本件訴訟提起後も出版が続けられ、しかも訴訟において縷々歪曲された事実が主張され続けている状況について、次のようにそのやるせない気持ちを吐露している。

  「裁判所に私の陳述書(甲B1)をお出しした後、被告らから色々な主張や反論が為されております。しかしながら、それらの内容は、真実が捻じ曲げられたり、ありもしない事実が作り出されたりしており、私自身とても耐え難く、毎日例えようのないやるせなさを味わっております。」(甲B33p1冒頭)

  「戦後60年が過ぎ、元号も平成に変わりました。世の中も信じられないくらい豊かになりました。その中で、一体、私はいつまで苦しみ続けなければならないのでしょうか。一体、いつになると私に終戦が訪れるのでしょうか。」(甲B33p10「4」)

  以上の通り、『太平洋戦争』の出版によって、原告梅澤は深刻な精神的苦痛を被っているのであり、その出版が継続されている現在も尚、その名誉権ないし人格権は甚だしい侵害を受け続けているのである。


4 摘示事実の真実性と相当性について


(1)抗弁について


  事実を摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、上記行為には違法性がなく、仮に上記証明がないときにも、行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される(最高裁昭和41年6月23日判決・民集20巻5号1118頁、最高裁昭和58年10月20日判決・裁判集民事140号177頁参照)。

  『太平洋戦争』の前記記述にかかる名誉毀損の不法行為の成否は、それが摘示している事実の重要な部分、すなわち、原告梅澤が「老人・こどもは忠魂碑の前で自決せよ」との命令を出したという事実について、それが真実であることの証明(以下「真実性」という)があるか、真実と信ずるについて相当の理由(以下「相当性」という)があるかにかかっている。

(2)真実性について


  原告梅澤が「老人・こどもは忠魂碑の前で自決せよ」という命令を出したという事実はなく、それを内容とする《梅澤命令説》が根拠のない風聞にすぎないものであり、本件訴訟においも被告らが《梅澤命令説》の真実性についての証明を全くなしえていないことは、本書の第3(座間味島における隊長命令の不在)において詳述するところである。  

(3)相当性について


  岩波現代文庫『太平洋戦争』は平成14年7月16日に初刷が発行され、第2刷が平成15年2月14日に発行されているが、初刷発行当時、《梅澤命令説》を覆した宮城晴美著『母が遺したもの』(甲B5)が平成12年12月に発行され、平成13年には第22回沖縄タイムス出版文化賞を受賞するなどして、その座間味島の集団自決は原告梅澤の命令によるものではないというその内容は、広く知られるようになっていた。因みに、受賞を報道する沖縄タイムス紙の見出しには「偽りの証言の真意明かす」とあり(甲B93の1)、「集団自決を命じたのは座間味村役所の助役だった」ことが事実として記載されている(甲B93の2)。

  被告岩波書店は、平成14年7月6日に『太平洋戦争』を岩波現代文庫として出版するにあたり、そこに記述されていた《梅澤命令説》の記述を真実と信ずるについて相当な理由があったと言えないことは余りにも明かである。    

5 まとめ


  『太平洋戦争』の著者家永三郎は、昭和61年(1986年)に初版を改訂した第二版において、当時の歴史研究の水準に照らし、初版に記載されていた《赤松命令説》を削除したが、これを岩波現代文庫に収載した平成14年7月16日には、《梅澤命令説》もその根拠が失われていたのであるから、これを削除して発行するのが、同書が標榜している「学会の到達水準」に沿った措置であった(それがなされなかったのは著者の家永三郎が平成14年11月に89歳で死去したことと無関係ではあるまい)。

  岩波現代文庫『太平洋戦争』の当該記述が、その出版当時から原告梅澤に対する名誉毀損の不法行為を構成するものであることは明かであり、現在もその販売を続けている被告岩波は直ちに出版を停止すべきである。 


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