15年戦争資料 @wiki

「土俵をまちがえた人」(6)

最終更新:

pipopipo555jp

- view
メンバー限定 登録/ログイン

「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(6)


議論にならない

▼曽野さんは、沖縄の社会、教育、新聞なども批判している。皮相的な、困った偏見である。たとえば、「沖縄の社会は閉鎖的である」という。その理由は、なにも述べていないから、答えようがない。もし私が「本土は沖縄よりも閉鎖社会である。日本の地方の中で、沖縄ほど世界に開かれたところはない」と言ったとする。それだけでは議論になるまい。私なら、その理由を述べる。

今度の論争で、私は根本問題を踏まえて、土俵の真ん中に立っているのに、曽野さんは、枝葉末節のことや論点からはずれたことばかり言って、土俵のまわりを逃げまわっていたような気がする。

▼住民処刑の明確な不当性を、私は証明した。これについては、いかなる人も反論できないはずだ。曽野さんも、沈黙して、曽野点は避けている。そうとわかれば、エチオピアの話をもち出す前に、不当に殺された人たちの遺族に対して、何らかの言葉があるべきだった。それがなかった。まったく、思いやりにかけている。

▼赤松の弁護などは、作家本来の仕事ではあるまい。ドレフュス事件のゾラや松川事件の広津和郎の例はあるが、いずれも国家権力に対して被害者を弁護したのである。曽野さんの「ある神話の背景」は、国家権力の具現者であった赤松の不当な加害行為を弁護しているのである。こういう弁護はゾラや広津もさけるであろう。曽野さんは土俵をまちがえたと言わざるをえない。 

“食言”する言動

「ある神話の背景」で、曽野さんは、つぎのように言う。「終戦のとき、自分は十三歳の少女だったが、すでに死ぬ覚悟があった」と。この言葉を、「だから、渡嘉敷島の人たちも強制されたのではなく、みずから死んだのだ」という理屈にむすびつける。だが、赤松弁護のくだりになると、「私が赤松の立場だったら、生きるために、あらゆる卑怯なことをしたかもしれない」と、まるで、ちがったことを言っている。「ある神話の背景」は、また、「頭かくして尻かくさず」といった背理や矛盾もたくさんあるが、いちいちふれないことにする。また、どういうつもりなのか、曽野さんは、外国の心理学者のマゾヒズム的な学説を引用して、「殺される喜び」について語ったり、「人間は人一人殺してみなければ、何もわからないのではないだろうか」とも書いている。

▼赤松戦隊は、特殊な集団であった。隊長の赤松が二十五歳、学校を出て間もない。軍隊や戦場の体験が豊かだったとはいえない。隊員は、みな二十歳前後で、未成年者も多く、軍隊体験は一年内外、戦場に立つのは初めての連中である。いわば未熟兵の集団であったのだ。みんな若いから特攻に向いていたともいえる。だが、こういう集団は、本来の使命である特攻の機会を失うといった状況の激変に直面するとパニック状態におちいり狂暴となる。狂暴は、死を拒否し、生きるためにもがく行為である。ほんとに死を覚悟している人は狂暴にはならない。小禄の海軍根拠地隊とくらべてみると、その対照がはっきりする。根拠地隊は、所属のトラックで、小禄の全村民を、沖縄本島の北部に避難させ、小禄村全域を「無人の地帯」とした。軍隊だけ残って敵を待ち構える姿勢である。まことに苛烈な状況であった。米軍の記録は、のちに、小禄海軍部隊の善戦敢闘をつたえている。米軍の総攻撃をうけ、いよいよ玉砕が迫ったとき、司令官太田実少将(千葉県出身)は、「後退して、遊撃戦に移れ」と訓示して、部下の大半を、島尻南部に脱出させたが、戦線離脱と誤解されないように、摩文仁の軍司令官に打電した。部下を後退「残置」させた理由を述べ、その指揮下に入れてもらうように頼んだ。実は、部下将兵を死の道連れにしたくなかったのである。そして、幹部だけが小禄の海軍壕に残って、自決した。自決の直前、太田少将は海軍次官あてに打電する。伝聞内容は、沖縄県民の協力に関する内容で終始しており、「沖縄県民、カク戦エリ、県民ニ対シ、後世、特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という言葉で結んでいる。自分は犠牲になっても他人は犠牲にしないという、成熟した高潔な人格と勇者の姿を、真の太田少将にみる。自分のいのちを惜しむ者ほど、他人の生命を軽視する。 

特攻の犠牲“食う”

▼赤松大尉は降伏のとき、米軍将校に向かって、「あと十年間は保てた」と、子供っぽい見えを切っている。隊員少年兵の記録にも「十年でも、三十年でも頑張るつもり」のことが書かれてある。赤松やその隊員たちには「玉砕」の気持ちはなかったのである。

特攻機で沈められた米艦隊からの漂着物(缶詰、その他の食糧)を、赤松隊員たちは「ルーズベルト給与」とよんで、一日千秋の思いで、それを待った、という。この「ルーズベルト給与」は味方の特攻機の犠牲によるものである。特攻崩れの彼らは、この給与について、心の痛み、いや胃袋の痛みを感じなかったのだろうか。その特攻の一人に、沖縄出身の伊舎堂中佐(当時大尉、二階級特進)がいた。彼は台湾から飛んできて、慶良間列島の米軍艦に突っ込んだのである。まことに、皮肉で、象徴的な事件である。

▼「人を殺すな」「人を殺した人をゆるせ」----この教理の二律背反はわかりにくいが、「人を殺した人」がゆるされるのは、おそらく、悔い改めることによってであるはずだ。だが、曽野さんがかばっているのは、この教理でもなければ、赤松でもない。曽野さんは、赤松が悔い改めないことに手を貸しているからである。「ある神話の背景」に「本土人の指揮官」という言葉がある。曽野さんが各種の詭弁を駆使してかばっているのはこれだ。つまり、「本土人」と「日本の軍隊」である。----私が問題としているのは、あらゆる暴力、ことに権力や戦争による暴力と「人間」の関係である。

(おわり)


目安箱バナー