第3・4(1)ウ(オ) 衛生兵の派遣と恩賜の時計について
原告は,赤松大尉が自決命令を出していたとすれば,集団自決後,自決に失敗した住民の治療のために衛生兵を派遣することはあり得ないし,また,恩賜の時計など赤松大尉の記念品が渡嘉敷村の資料館に飾られることもあり得ない旨主張する。
しかし,古波蔵村長が証言しているのは,衛生兵が住民を治療したという事実だけであり,戦場の混乱した状況の中で,現実に負傷している住民を衛生兵が治療したということと,赤松大尉が自決命令を出したということが矛盾するわけではない。また,渡嘉敷村の資料館に赤松大尉の時計が飾ってあるとしても,赤松大尉が自決命令を出さなかったことの根拠となるわけではない。