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「土俵をまちがえた人」(5)

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「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(5)


現在の世情を憂う

面倒だから簡略に答える。

▼エチオピアその他の悲劇は、世界平和体制の中の局地的な悲劇である。悲劇が世界的に拡がったのが第二次大戦である。その最後の本格的地上戦闘があった沖縄で、物を考えるということは、大戦を二度とあらしめないための営みであるという意味で、今日的であり、未来的でもある。沖縄からも開発青年隊の若者たちがアフリカ各地で二年、三年と活し、彼と彼女たちは帰ってくると沖縄で静かに活している。一週間そこらのエチオピア体験で、いきなり、地球的視野から、沖縄戦が四十年過去のものとしてかすんだり、責任をもつべき自著をめぐる論議がとるに足らないものになったり、戦争賛成平和反対に反対する運動が無意味に見えたりするとは、どういうことか。現在のことなら、心配すべきは、日本の世情である。まるで末世の状態ではないか。何日か前に、京都だったか、アパートの一室で、若い母親と幼児がミイラ化したのが発見され、餓死とわかった。「ある神話の背景」の冒頭に「慶良間は見えるがマツゲは見えない」(遠くは見えても目の前は見えない)という沖縄の諺の引用があるが、その諺を思い出してほしい。

「鉄の暴風」の中で、「赤松氏が沖縄戦の極悪人、それもその罪科が明白な血も涙もない神話的な極悪人として描かれていた」と曽野さんは言うが、どこにそんなことが書かれているか。また、曽野さんが引用した私の文章のどこが、どういう理由で「講談」なのか意味がわからない。 

赤松の言葉に矛盾

▼私が会ったのは元村長古波蔵氏だけではない。そのことを前の反論に書いてある。あわてないで人の文章をよく読んで欲しい。元村長と言う重要証言者の名を、曽野さんと会ったときに私が憶い出さなかったのはおかしい、と曽野さんは言う。終戦直後の沖縄は、なにもかも転倒し、混乱していた。集った十数名の証言者の中で、特に「元村長」をくっきり記憶していなければならない特別の理由はなかった。私達取材者は、どの証言者も、その証言も、平等に重視していた。曽野さんと会ったのは、一時間そこら、その短かい時間に、二十数年経過した事柄について、いきなり聞かれたのである。これだけは、はっきり記憶しているべきはずだと言われても、それはムリな話。それに、私は物をよく忘れるくせがありましてな。取材を専業とする新聞記者の立場からみれば、曽野さんの言い分は、泣きベソのようにおもわれる。新聞記者は、取材でたえず失敗する。と言って、取材の相手を責めるわけにはいかない。取材の手落ちを反省するだけである。

▼私が「赤松の言葉を信用しない」と言ったのは「住民玉砕」(集団自決)や「住民処刑」についての彼の言葉が信用できないとの限定した意味で使ったのであって、ほかのことで、赤松が、一市井人として正直なことを言おうが、それは私とは関係のないことである。「住民玉砕」や「住民処刑」についての赤松の言葉にはいろいろ矛盾がある。 

的はずれの解釈

▼赤松を「悪人とは思えない」と言ったおぼえはないと曽野さんは反論する。では、どう思って「ある神話の背景」を書いたのか。引用はさけるが、文芸春秋発行の同書の二十八ページ末尾から二十九ページの文章は、どういう意味か。--私が赤松を完ぺきな悪人に仕立てているというが的はずれの解釈である。私が問題にしているのは、当時二十五歳の青年だった赤松君(私より二歳若い)のことではない。陸軍大尉の官職をもち、国家権力を背景に、彼が無力な住民に対してとった行動そのものである。また、なにか木に生ったものを食べたといって老婆をリンチにかけたという、その部下たちの行為である。

▼戦後二十何年もたって、曽野さんが取材した証言を、私が無視している、失礼ではないかという話だが、私はその証言を無視したおぼえはない。どの証言であれ信用すべきかどうかを判断するのは私の自由である。ただ、戦後四年、「鉄の暴風」に収録した、戦争の生々しい証言に信をおいているだけである。また、これからでも、私が取材したらどんな証言がとび出すかわからない。曽野さんは、ご自身の取材した証言に私が同意しないからと、それを失礼と言っているが、私に「分裂症」という言葉を投げたことは、失礼とは思っていないらしい。

▼渡嘉敷島の村や遺族会が出した二つの記録は、いずれも、「鉄の暴風」のなかの私の文章の引き写しで、著作権侵害になる、盗作だと、曽野さんは言うが、私は、それを否定する。私の文章には、創作性がみとめられるほどのものはほとんどない。また、被害者で原告であるはずの当の私が、そういうのだから問題にならない。ご主人が長官である文化庁の著作権課あたりにきいたらよい。しかし、「ある神話の背景」はうかつに引用できまい。創作性ありとみとめられる部分が各ページのいたるところにあるからである。


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