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「土俵をまちがえた人」(4)

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「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(4)


侮辱した言葉

曽野綾子さんは、さる五月三日の本紙面で、「太田氏という人は分裂症なのだろうか」と書いてある。しかも、そう思わせる文脈の中で、そう書いてあるのである。これは、たんに言論の自由のワクをふみはずしたという程度では、すまされない言葉である。論争の相手に、そういう言葉を投げるのは、品がよくないだけでなく、読者公衆の面前で、相手を侮辱し、相手の名誉を毀損したことになる。しかも、新聞に書かれたものは、いつまでも残るのである。私の近親者に「綾子」という名の娘がいる。その母親の話によると、「曽野綾子さんにあやかってつけた名前」らしい。その娘は、いま、東京の両国高校(旧府立三中)の三年生である。私の身近にも、曽野さんのファンがいたわけだ。言葉はつつしむべきである。

知念少尉について、「鉄の暴風」では、同情的なことを書いた私が、こんどの反論では、おなじ知念少尉を「赤松の共犯者」と、きめつけている。これは矛盾ではないかというのが、曽野さんの攻撃点である。あの侮辱的な言葉もそこから出ている。一見、矛盾に見える私の記述も、以下の理由で、なにも矛盾ではないことがわかる。

「鉄の暴風」の中で、私が知念少尉について同情的なことを書いたのは、つぎのような事情からである。渡嘉敷島の直接体験者たち(古波蔵元村長一人だけではない。たしか十数名)の話を聞きながら、沖縄出身の知念少尉は、軍と住民の間にはさまれて、苦しかったのではないか、とふと思った。そこで、そのことを質問してみた。すると「そう言えば、知念さんが、そういうことで悩んでいたような話を聞いたことがある」といった意味のことを、証言者の一人が言ったので、「鉄の暴風」のなかの、あの表現となったのである。あとで、二十数年もたってから、「ある神話の背景」のなかで、知念少尉が、伊江島の女性を斬ったという動かしがたい事実を知った。そこで、昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで、琉球新報朝刊に連載した「渡嘉敷島の惨劇は果して神話か」と題する、曽野さんへの反論の中で、つぎのように注記しておいた。 

すべて過去的か

〈「鉄の暴風」で私として訂正しておきたい点がある。沖縄出身の知念少尉が上官と住民の板ばさみで悩んだように書いたが、事実に反する。知念少尉は伊江島の女性を殺害している。彼をして同郷人を斬らしめるほどの異常な空気が赤松隊にあったのがわかる。〉

琉球新報にのせた私のその反論は、歯科医の平良進氏(故人)から手渡されて、曽野さんは読んでいるはずだ。私の言動のどこに「分裂症」うんぬんといわれるほどの矛盾があるだろうか。また、「鉄の暴風」のなかの渡嘉敷島の戦記は改訂の必要がないと、私が言ったのは、「住民玉砕」や「住民処刑」など重要事項に関してのことで、あの戦記が、細部まで完ぺきだと思っているわけではない。

――曽野さんにつぎのことを聞きたい。


▼曽野さんが言うように、「エチオピアでトラコーマや結膜炎の患者に目薬をさしてやる」ことは、「死にかけている人々に命を与えるために働いている人々のことを、世間に知らせる」ことが、尊いことであることは、私も知っている。だからと言って、渡嘉敷島で、沖縄の住民たちが同じ国の軍隊によって、死に追いやられ、屠殺されたことについて、論議することが、どうして「とるに足りない小さなこと」なのか。

▼四十年前の第二次大戦を、いつまでも語り継ぐだけでもあるまい、と曽野さんは言う。また、そうすることを「回顧」と見ているようだ。広島や長崎の原爆被害を語るのも、そうなのか。すべて、それらのことは“過去的”であって、現在的、未来的ではないというのか。 

反戦平和とは

▼曽野さんは言う。「反戦が、抗議と反対運動に集約されていた時代はもう古い」「反戦や平和というものは口で言うものではなく…」うんぬん。

ヨーロッパやアメリカその他の反核反戦運動の抗議や叫びについても、そう言えるのか。

▼赤松だけが悪いとは言わない。沖縄戦では、各地で日本兵による住民虐殺、その他の犯罪行為があった。住民の食糧をうばったあと、百人近い、それら住民を殺害した例、ある若い女性を兵隊や住民の見ている前で、じつにむごたらしい方法で殺した例など、おびただしい数の事件がある。これらを集めると、「沖縄戦における日本兵犯罪行為の記録集」という一冊の分厚い本ができ上がるだろう。

それらの諸事実をふまえて、沖縄の住民は、渡嘉敷島の事件も見ている。曽野さんが赤松隊のやったことを弁護することは、赤松隊に殺された人たちを、こんどは、曽野さんのペンで、二重に殺すことになる。

▼「私が赤松氏をかばう理由は何もない」と曽野さんは言う。では、「ある神話の背景」では、なにをかばっているのか。なんのために、その本は書かれたのか。



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