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「「沖縄戦」から未来へ向って(太田良博氏へのお答え)(5)」

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「「沖縄戦」から未来へ向って」(曽野綾子・沖縄タイムス)(5)


沖縄中心の考え方

私は今回、こういう企画が行われて、私の本がたとえ一冊でも多くの方々の眼にふれるようになったことを喜んでいる。安い文庫本のことだから、売れると印税が儲かる、ということではない。

数年前、『ある神話の背景』が出てしばらくした頃、私は知人にあげるために一緒に那覇市内の本屋に行って、この本を買おうとしたことがあった。しかし、本屋にはこの本がないばかりでなく、私が当の著者であることを知らない店員さんは、入荷の予定もない、とそっけなかった。知人はその本屋が「思想的に特徴のある本屋ですからね。曽野さんの本は置かないのかもしれませんね」という意味のことを言ったが、私は穏やかに前金を払って自分の文庫を取ってもらうように頼んで来たことがある。

私はかねがね、沖縄という土地が、日本のさまざまな思想から隔絶され、特に沖縄にとって口あたりの苦いものはかなり意図的に排除される傾向にあるという印象を持っていた。その結果、沖縄は、本土に比べれば、一種の全体主義的に統一された思想だけが提示される閉鎖社会だなと思うことが度々あった。

もしそうとすれば、これは危険な状況であった。沖縄の二つの新聞が心を合わせれば(あるいは特にあわせなくとも、読者の好みに合いそうな世論を保って行こうとすれば)それほど無理をしなくても世論に大きな指導力を持つ。そして市民は知らず知らずのうちに、統一された見解しかあまり眼にふれる機会がないようにさせられる。もし私が沖縄に住むなら、私は沖縄の新聞と共に必ず全国紙を一紙取るだろう、と私は思った。そうでないと、沖縄中心の物の考え方が次第に助長されるようになる。世界の中の日本、日本の中の沖縄あるいは東京、というバランス感覚がなくなるのである。 

「日の丸」と「君が代」

特に沖縄では、学校の先生の指導で、国旗も掲揚せず、一応国歌と認定されている君が代も歌わない学校が多いので、生徒たちの中には歌えない者も多いと聞かされた時には、特にその感を深くした。

日の丸と君が代はいやだ、という人は沖縄でなくてもいる。最近、社会党は君が代や日の丸を認めないという条項を綱領から外したが、党員の中にはそれを不満とする人も少なくないという。もし今の国旗と国歌に反対なら、それをできるだけ早く別のデザインの国旗と、別の歌である国歌に改変するように動くべきなのだ。しかし現在、地球上の国家で、自国の国歌や国旗に対して尊敬の態度を教えない国など、あまり聞いたことがない。

ましてや沖縄には基地問題がある。もしアメリカの軍人たちに、ここは主権が日本にある土地であり、基地があることは不自然だということを示そうとするなら、私だったら、ことあるごとに、国歌を歌い、、国旗をあげてそれをアメリカに対する一種の闘争の方法、意志の表示とするだろう。日の丸も揚がらず、国歌も聞こえない土地でどうしてここが日本だということを簡単明瞭に示すのだろう。

しかし沖縄では、一部の人たちが日の丸も君が代もだめだ、となると、子供たちが、現在国歌と認められている歌さえも歌えないような、地球的に見てもおかしな教育がまかりと追っているのだとしたら、このような偏りは、本土の学校では考えられないことである。なぜなら、社会には、常に違った考えの人がいるから、国民の選挙によって選出された議会政治の決定したことに、この次の選挙までは従う、という民主主義の原則を受け入れるほか、方法がないからである。 

ほしい冷静な態度

前にも書いたように、私の本など、実はどうでもいい。しかし大切なのは、沖縄が、もっと強烈な個性とその対立に、堂々としかも冷静に耐え、切磋琢磨し、しかし対立する思想こそ世の中を安全に動かす元だと評価する習慣を持つことである。今までのところ沖縄は失礼ながらそうではなかった。少しでも沖縄に対して批判的なものの考え方をする人は、つまり平和の敵・沖縄の敵だ、と考えるような単純さが、むしろ戦争を知っている年長の世代に多かった。

その世代が今は少しずつ、替わりかけている、と私は実感するようになっている。

だからと言って、沖縄戦の記憶が古びたのでもなく、意味を失ったのでもない。むしろ沖縄戦を直接体験しない若い世代は、沖縄の戦いを、個人やその家族の歴史または知的資産とする範囲から脱して、今はもう未来に向かって普遍化する時代に来ている。反戦が、抗議と反対運動に集約されていた時代はもう古いと私は思っている。何せ、戦いの体験を全く持たない人たちがもう四十歳なのだ。

私は、このごろ、反戦や平和というものは、口で言うものではなく、最低限黙ってそのために労働か金かをさし出すものだ、ということをしみじみ教えられた。もっと偉い人はもっと大きな犠牲を払っている。そのようなことを私にも思わせる遠い過去には、私にも私なりの生涯を決定するほどの大きな戦争の体験があったからである。

(おわり)


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