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資料2 林博史「住民を『集団自決』に追い込んでいったのは軍でした」

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検定審第2部会日本史小委員会の報告

『平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見に係る調査審議について(報告)』
平成19年12月25日
教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106/001.pdf
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1018.html


資料1 専門家からの意見聴取結果・・・資料(1)

林博史関東学院大学教授


【添付参考資料】資料2
林博史「住民を『集団自決』に追い込んでいったのは軍でした」
(『通販生活』No.231、2007年秋冬号、2007年11月)

今回の教科書検定で文部科学省は、「『集団自決』は日本軍の強制でない」と判断しましたが、その判断の参考著作物のなかに、私の著書『沖縄戦と民衆』があげられています。

教科書執筆者の方から聞いたのですが、文科省の教科書調査官は検定結果を通知する場で、「『沖縄戦と民衆』を見ても、軍の命令があったというような記述はない」と、軍の関与を否定する根拠として私の本を唯一の具体例として挙げたそうです。驚くと共に、恣意的に参考資料を使っていることに怒りを覚えました。

確かに私の本には「赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていないと考えられる」(同書161頁)というような一文はあります。しかし、これは「集団自決」当日に「自決せよ」という軍命令が出ていなかったとみられるということを書いただけで、軍による強制がなかったということではありません。

同じ本の別の頁には「いずれも日本軍の強制と誘導が大きな役割を果たしており」「日本軍の存在が決定的な役割を果たしているといっていいであろう」(共に173頁)と書いており、これが「集団自決」に対する私の基本的な考え方です。そんなことは本全体を普通に読めば分かるのに、たった1、2行を全体の文脈から切り離して軍の強制性を否定する材料に使うのですから、ひどい検定としか言いようがありません。

島民は米軍への恐怖心を植えつけられていた。

座間味島、渡嘉敷島での「集団自決」の際に日本軍の部隊長の命令があったかどうかが裁判で争われています。

しかし、当日の部隊長命令の有無は、実はそれほど大事な問題ではありません。米軍上陸のはるか前から日本軍が住民を「集団自決」に追い込んでいった過程こそが重要なのです。

(1)捕虜になるのは恥だ、いざという場合は自決せよと日頃から日本軍や教育を通じて叩き込まれていました。

(2)ふだんから島民たちは、「米軍に捕まれば、男は戦車で轢き殺され、女は辱めを受けたうえひどい殺され方をされる」と日本軍から言われていました。
米軍に対する島民の恐怖心を日本軍が煽っていたことは、生き残った方たちの証言からも明らかです。

(3)「米軍に投降する者は裏切り者だから殺されても当然だ」という考え方も植えつけられていたので、捕虜になるという選択肢は島民の頭の中にはありませんでした。

(4)軍に全面的に協力し、軍が玉砕するときは住民も一緒に死ぬという「軍官民共生共死」の意識が住民に叩き込まれていたことも「集団自決」の大きな要因です。たとえば慶留間(げるま)島では、敵上陸の際には全員で玉砕すると阿嘉島から来た部隊長が米軍上陸前に島民に訓示していました。

これらの事実は、私がアメリカで見つけた米軍の資料にも書かれています。慶良間(けらま)列島の占領作戦を担当した米師団の作戦報告書には、慶留間島では米軍が上陸してきたら自決せよと複数の日本兵から命じられていたことや、座間味島でも島民たちが自決するように指導されていたことが、複数の島民の尋間記録として記載されています。いずれの証言も、「集団自決」が起きたすぐ後の3月下旬から4月初めのものです。

このように、いざとなったら死ぬことを日本軍によって住民が強制・誘導されていたことが「集団自決」問題の本質なのです。

「軍の強制」を否定する根拠としてよく取り上げられる本『母の遺したもの』には梅澤裕・座間味島部隊長が自決命令を出していたとは確認できないことが、生き残った女性の証言として載っています。でも本質的な問題は、軍命の有無ではなくて軍による強制・誘導だったのです。

軍による強制を否定する論理には矛盾が多い。

これまでに明らかにされた事実を教科書に簡潔に記述するとなれば、これまでの教科書通り、つまり、「日本軍によって集団自決に追い込まれた」あるいは「強いられた」となるわけです。

仮にこれまでの教科書に「部隊長の命令によって『集団自決』が起きた」と書かれていたのならば、やや事情が違うかもしれませんが、そんなことは一言も書いてないのですから、修正する必要などないのです。

検定結果を支持する人たちは、様々な論理で「軍の強制」を否定しますが、その一つ一つを冷静に見ていくとおかしさが分かります。

たとえば、「住民に自決を促したのは役場の人間だ」「軍が住民に直接命令を出す権限はない」という主張です。確かに制度上は住民に命令する権限はありませんが、実際には「人を出せ」「物を出せ」と軍は住民に命令していました。住民や役場の人間は、下級兵士に言われたことでさえ拒否できない状況でした。

渡嘉敷でも座間味でも、「いざというときはこれで自決せよ」と軍から手榴弾を渡されていました。軍の承認なしに手榴弾を入手して配ることは不可能です。この事実ひとつをとってみても、軍が住民に命令を出す権限がなかったという法制度上の話に意味がないことが分かります。

そんな雰囲気の中で村の幹部が「集団自決」を主導したとしても、それを軍の無関係を証明するものだというふうに結びつけるのは当時の沖縄の状況を無視するものです。

米軍が上陸したところでも、前島や粟国島などのように日本軍がいなかった場所では住民は投降しています。この点でも日本軍の強制性を示すことになるのではないでしょうか。

また、琉球政府援護課の元嘱託職員が「援護法の適用を受けるために軍命があったと申請した」と新聞社の取材に誕言したことも、軍関与の否定材料としてよく使われています。

しかし、前述した米軍の作戦報告書は「集団自決」直後に記録されたものです。

援護法ができる7年も前の時点で、「日本軍に自決を命じられた」と住民は米軍に証言しているのですから、「援護法目当てに軍命をでっちあげた」という説は時系列で考えてもおかしい。

援護法は戦争の被害者ではなく、日本軍に協力した者にしか適用されません。そのため、食糧を強奪されても「食糧提供」と申請しなければなりませんでした。「集団自決」も軍命令と言わなければ援護の対象にはならなかったのは事実で、申請時には厚生省の役人からそういうアドバイスがあったかもしれません。だからといって、その場で軍命をでっちあげたということではないのです。

2001年以降、中学校の教科書から「慰安婦」という表現が消えるなど、日本軍の加害に関する記述が教科書から減りました。今回の検定は、沖縄戦に関しても日本軍の加害性を弱めることが狙いでしょう。

今回のような論理で「日本軍による強制」が否定されると、「集団自決」は住民が自ら命を捧げた尊い行為にされてしまいます。このように事実がねじ曲げられてしまえば、悲惨な沖縄戦のイメージはがらりと変わり、後世に実像が伝わらなくなります。だから沖縄の人たちは政治的立場を超えて検定結果に怒っているのです。
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