覚悟 by 151さん
5
力を無くした奈緒子の肢体をベッドに横たわらせる。
かろうじて意識はあるようだが、まだ会話は出来ないらしい。俺も似たようなものだ。
奈緒子の横に俯せに横たわる。
二人の荒い息づかいだけが部屋に響いた。
初めに口を開いたのは奈緒子だった。
「……結局、誤魔化されちゃったし」
一瞬、何のことだか分からなかった。が、すぐに奈緒子の意図する所を理解する。
「……誤魔化してなんかないぞ」
「…何の話か分かってるんですか?」
不審気に俺を見る奈緒子。
「あぁ、分かってる」
そう言って体を起こし、壁に掛かっている時計を見た。
「……YOUが言うかと思ってた」
「はぁ?!」
怒ったような声をあげ、奈緒子も体を起こす。
俺は目を合わせないように続けた。
「何時だってそうだったろう?どんな事件が起きても、何時だって真相を口にしてきたのはYOUだ。
たとえ俺の方が速く真相を解き明かしていようとな」
「…そんなの、一度もありませんでしたけど!」
奈緒子の鋭い視線が横顔にささる。
「だから、矢部さんたちにもYOUが言う方が相応しいと思ってたんだよ、はっ、はははっ」
「な…に、それっ!そうやって、何でも私に言わせるつもりですか?!」
あまりに場違いな俺の笑い声に、奈緒子の声が震えているのが分かる。
俺は笑うのを止め、近くにあった奈緒子の服を彼女に投げ渡した。
「ほら、もう時間ないぞ…一緒にシャワー浴びたくないなら、さっさと入ってこい」
「……っっっ!!」
荒々しく服をかき集め、風呂場へ行く奈緒子。
が、そこは風呂場ではなかったらしく、慌てて飛び出し、別の扉を開ける。
「ばーか、何やってんだ」
その扉は正解だったらしい。けたたましくバンッと扉を閉じ、奈緒子は風呂場へ消えた。
「……ばーか」
ベッドから降り、自分の服をかき集めていると、奈緒子の忘れ物に目が留まった。
見慣れない下着。
それを手に取り、しかたなく、風呂場へと運ぶ。
「……ん?」
偶然目に入った下着のタグに、一瞬目を疑った。
次の瞬間、俺は思わず吹きだした。
「ははっ…なるほど、そういうことか」
風呂から上がった奈緒子は依然不機嫌だった。
先に帰ろうとする彼女を、ホテルの料金を言うことで無理矢理部屋に留まらせる。
俺の準備が済み、部屋を出てからも奈緒子は一言も言葉を発さなかった。
よほど怒っているのだろう。
俺がエレベーターのボタンを押した時、やっと奈緒子は口を開いた。
「……階、間違ってますよ」
「いや、これでいいんだ」
「でも、車、地下に停めて…」
「…これでいいんだよ」
怪訝そうに俺を見上げる奈緒子を余所目に、一階で降りた俺はさっさと料金を払い、入口の所で奈緒子を待った。
「上田!車、どうするんですか?」
「……だ」
「え?」
「さっきのは、嘘だよ」
「??…どういうこと?」
首を傾げる奈緒子の手を強引に掴み、外へ出た。
空はすっかり暗くなっていたが、その通りは煌びやかなネオンで明るさを保っていた。
その中に俺と奈緒子が飛び出した瞬間、聞き慣れた声が辺りに響いた。
「あーーーっ!!兄ぃ!上田先生じゃよ!!」
後ろにいた奈緒子が驚いて声の主を見るのが、背中越しにも分かる。
「センセー!待ちましたよ!…って山田?!」
「矢部!石原!」
呆然とする三人を余所に、俺は独りほくそ笑む。
「な、なんでおまえがここにおんねん!」
「や、矢部さん達こそ…」
「俺は上田センセと待ち合わせを……お、お前、すぐ帰れ!」
「あ、兄ぃ…!!」
矢部さんより早く気が付いたらしい石原さんが、矢部さんの背中を軽く揺する。
「うるさいわ!石原!!…あんなぁ、山田、これから俺達が行くところはお前みたいな…」
「あ、兄ぃってば…!」
「だから、お前は黙っとれ!!」
「!!!…ありがとうございますっ!」
いつも通りに吹き飛び、黙らせられる石原さん。
「とにかく、なんでお前と上田センセがここにお…!!…………ん?どういうこと?」
「上田さんっ!どういうことですか?!!」
背中から奈緒子の動揺した声が響く。その表情を想像することはいとも容易い。
そう、全て俺が仕組んだことだ。
『……もしもし?矢部謙三は今大っっ事な捜査中で…』
『あぁ、矢部さん…上田です』
『あ、センセー!どうでしたぁ?山田。でっかいたんこぶ作ってたんじゃないっすかぁ?』
『え、えぇ…まぁ』
『何も泣くことないと思いません?あいつ。今更かわいこぶっても無駄や!っちゅう話で…、あ、そう言えば
やっぱり来客って山田やったんでしょ…』
『あ、矢部さん!あの、お願いがあるんですけど』
『え~?何ですかぁ?』
『…さっき矢部さんが仰っていた店に、やっぱり僕も行きたいんですが…』
『え?ほんまですか?…あ!でももう石原も誘ってしもたんですけど…』
『あー、構いません。料金は三人とも僕が持ちますから』
『うわっ!さすが大学教授だけあって上田センセは気前いいですなぁ。ありがとうございます~!』
『あ…それでその店の前で落ち合いませんか?それで、場所を教えて頂きたくて。時間は、そうですね………』
突然車を降り、電話をかけ始めた俺を睨み付ける奈緒子。そんな奈緒子を見ながら電話を続ける俺。
その時既に、俺は頭の中に今のこの光景を思い描いていた。
「ちょ、ちょっと、待て…………今あんたら、どっから出てきた?」
矢部さんが、俺達が出てきた建物と俺達を交互に見る。
「え?えーーー?!?」
驚く矢部さんとその後ろでニヤニヤと笑い出す石原さん。
「ねぇちゃん、顔真っ赤じゃよ?」
「っっ!!うるさい!……上田!説明しろ!」
そんな三人を尻目に、俺は財布から適当な額を取り出す。
「直接ですみませんが、どうぞ、矢部さん」
呆然とする矢部さんの手にそれを握らせた。
「…やっぱり、お二人で楽しんできてください。僕はもう、満足しましたから」
そう言って視線を横にずらした。
俺から奈緒子は見えないが、二人は視線の先を辿り意味を介したのか赤面する。
俺はあまりに予想通りに事が進むのに不気味さまで覚えながら、台詞を続けた。
「あ、そうそう…矢部さんが仰っていた、山田に恋人がいるという極めつけの証拠、まだ聞いてませんでしたよね?」
「え?…あ、はい」
「な、何の話ですか?」
どうやら奈緒子は妊娠云々の所しか、話を立ち聞きしていなかったらしい。
「様子がおかしいという理由で、YOUはこの二週間尾行されてだんだよ…石原さんにね」
そう言って鋭い視線で石原さんを見ると、彼は慌てて矢部さんの後ろへ隠れた。
「な!なんだそれ!…おい!石原!」
「ち、違うんじゃよ~、あれは兄ぃが…」
「話を戻しますけど、矢部さん。その極めつけの証拠、実は、分かっちゃったんですよ」
矢部さん達から目を逸らさず、顎を引いて奈緒子だけに聞こえるように呟いた。
「そして、これがYOUの報告したかったことだろ?」
「え…」
「大きくなったんじゃないですか?………胸が」
奈緒子が息をのむのが分かった。
「あっ!当たっちょるよ!!兄ぃ~~!!」
矢部さんが慌てて懐から手帳を取りだし、極めつけの証拠を読み上げ始める。
「……新しい下着を買い、それを神棚のような所へ祀って拝んでいた。次の日、古くさいよれよれのブラジャーをたくさん、
ゴミに出していた」
「石原!ゴミまで漁ったのか!!」
奈緒子の剣幕に、石原さんが完全に矢部さんの後ろに隠れる。
「だから"覚悟"しなきゃならなかったんだよな?もう貧乳ってからかえなくなるから」
俺が囁くと、奈緒子が口ごもったように押し黙る。
「え~?でも、そんなに変わっとらんやん!!」
矢部さんの視線を受け、奈緒子が胸を手で隠すのが分かった。
「確かに、まだ全然貧乳ですね」
「う、上田!」
俺が同意すると、奈緒子が恥ずかしそうに俺の名を叫ぶ。
「まぁ、これからもっと大きくしてみせますよ」
そう言って話を切り上げた俺は後ろ手に奈緒子の手を掴み、もたつく彼女を引きながら、駐車場へと歩き出した。
数歩進んだ所で、俺は立ちすくんだままの矢部さん達を、もう一度振り返る。
「あ、そうそう…言い忘れてました!」
少ししか離れていないのだがわざと大きめの声で、はっきりと、口にした。
「山田は……奈緒子は、俺の恋人です」
異様に熱い奈緒子の手を引き、薄暗い駐車場へ入る。
無駄に声の響くその場所で、俺は本当のことを話し始めた。
「矢部さん達に、いや、誰にもYOUとのことを言わなかった本当の理由はな?」
黙って続きを待つ奈緒子。次郎号が見えてきた。
「怖かったんだよ」
小さく息を吐き、続ける。
「君はすぐ本心をはぐらかすし、今更、俺とこういう関係になったなんて周りに知れたら、恥ずかしがって、否定して、
俺から…逃げてしまうんじゃないかと思って。……君を失うのが、怖かったんだ」
次郎号の目の前で足を留める。
「それに、俺自身も、まだ信じられないくらいだったから。口にしたら夢から覚めてしまうような気がして…な」
そこで堪らず自嘲の笑みを浮かべる。
「うわっ…俺、すっげぇ、少女趣味!YOUそう思うだ……っ!!」
振り返った俺の目に留まった奈緒子の表情を、俺は一生忘れないだろう。
涙を目いっぱいに溜め、真っ赤に頬を染め、恥ずかしそうに、困ったように、嬉しそうに、俺を見上げたその笑顔を。
最終更新:2006年09月14日 03:35