ピラニア by 691さん


いったいあれは、私の思い込みだったんだろうか。
そう感じてしまうほどに、東京へ戻ってからの私たちは、以前となにひとつ変わらない。


 ・・・ただひとつ、私が上田の家に上がるようになったこと以外は。


「なんだYOU。来てたのか」
「悪いか」

大赤面しながら合鍵の隠し場所を教えてきたのと同一人物とは到底思えない男のため息に、
テレビのリモコンをいじりながらそっけない返事を返す。

「・・・と、上田、その包みもしや!」
言うが早いか、上田の右手に下げられたビニール袋を奪取する。

そこには、予想通り某高級焼肉店の弁当が鎮座ましましていた。

「まったく、そういうものを嗅ぎ付ける能力には感心するよ」
「すいませんね意地汚くて。ちょうどお腹減ってたんですよありがとうございますいただきますっ」



アマゾンに潜入!とかいう嘘くさい番組を見ながら、弁当をむさぼる。
 ・・・ピラニア・・・か。
なんか聞き覚えがあるような。

弁当をかっ食らう私を観察していたらしい上田さんが、何か思い出したようにぽんと手を打った。

「ああそうだ、ピラニアと言えば・・・」
「なんだ」
先に肉ばかり食べすぎたか、残ってしまったごはんを平らげる。
「あの、前にYOUが飲んだ薬があったろう。大家さんの」
「あれはお前が飲ませたんだろ!ったく無駄に体力使わせて・・・」
くそっ、まだおしんこがあったか。
ごはんなしにおしんこってやだな・・・でも残すのはもっとやだ・・・
「あの薬なんだがな・・・箸を置け!話を聞け!驚くなよYOU、実は」
「少し取っておいたとか言うんだろ。まったくとんでもないヤツだな」
ふはー。ごちそうさま。
腹いっぱい食べたらのどが渇いた。
勝手知ったる冷蔵庫から牛乳パックを取り出すと中身をコップに注ぎ、ぐいっと一気。

「っあー!やっぱり3.8はちがうなあ!」
「美味いか。好きなだけ飲むといい」

おお。上田が太っ腹だ。
ここは言葉に甘えてどんどん頂こうじゃないか。



「ところで、精力剤の話の続きなんだが」
「ふんふん」
ごきゅごきゅ。
2杯目を音を立てて飲み干しながら、上田の話を聞くともなしに聞く。

「・・・今飲んだ牛乳にあらかじめ混ざっていたと言ったら、YOUはどうする?」

「!!」

上田めがけて思いっきり牛乳(精力剤入り)を吹き出した。

「ふ・・・効いたぞ、今のは」
上田はよれよれのハンカチをポケットから引っ張り出して、悠長に牛乳(精力剤入り)を拭いている。
無性に腹が立って、ハンカチを奪い取ると上田の顔めがけて叩きつけるように投げた。

「なんなんだいったい!だだだいたいそれ、何のつもりで!」



上田さんが、ふう、と深いため息をつく。

「・・・決まってるだろう、そんなの」


 ・・・あれ、なんか、あつくなってきたな・・・


上田さんの顔が近い。
どきどきする。
変だ。

ああ、こいつ、こんな顔してたんだな。

「・・・あの時は変な効き方をしてたから不安だったんだがな」
今回は、大丈夫みたいだな。

そんな、普段なら殴り飛ばしたくなるような言葉を紡ぐ唇にさえ釘付けになる。

触れたい。
触れたい。
力が抜ける。



だめだ奈緒子。
これは、薬のせいなんだから。

こんなんで流されてて、いいわけないだろ。


でも、
こんなんでも、
拒む理由を、今の私は持たない。

少し前ならいざ知らず、
今の私は、



上田さんのことを。



「なあ山田。俺はな、こんなふうにしかきっかけを作れない、情けない男だよ」

ぼおっとする頭に、上田さんの声がキモチイイ。
倒れそうになる身体がすんでのところで支えられた。

「・・・なんだ、反論はなしか」

思うように言葉が出ない。
というか、頭の中をぐるぐる渦巻く言葉は一つだけ。



これを言ってしまったら、上田さんの思う壺だ。
言いたくない。
言いたくないのに。


でも、伝えたい。


ぐっと我慢した意地っ張りな言葉のかわりになったのは、
ぎゅっと力をこめて上田さんの身体に巻きついた、私自身の腕だった。


最終更新:2006年09月07日 23:53