きっかけ by 243さん

(ごじつだん)




―――あの日、二人が恋人同士となってから3週間がすぎた。
あれからは用事がなくても毎日会うようになっていた。

この日の二人は、上田の部屋でまったりデート。
いつものように、ソファで仲良く寄り添いあう。
隣にいるだけで安心する…はずなのに、奈緒子は集中できずにいた。
異臭がするのだ。
「…上田、最近この部屋…臭わないか?」
「あぁ…」
それは前々から上田も気付いていたが、
臭いのもとを探そうとはしていなかった。
寝ても覚めても奈緒子のことしか考えられないからだ。
「…臭いなんて窓を開ければ気にならないだろう。
それより、俺は…」
奈緒子の胸をまさぐっていると、奈緒子は突然立ち上がった。
「この異臭の中でセックスなんてできるかっ!
探しましょう。
もしかしたら腐乱死体かもしれませんよ」
本気なのか冗談なのか…。
奈緒子は台所に走り異臭のもとを探し始めた。



上田は仕方なく一人でベッドに寝転ぶ。
抱きたい。抱きたい。抱きたい!!
寝返りをうつと、ふと気が付いた。この辺りは臭いがきつい。
異臭の元はベッドか!?
奈緒子のせいで、ベッドの下に腐乱死体が隠されているのでは
という気がしてきた。
「上田さーん、ありましたかー?」
近づく奈緒子を手で制し、上田はベッドから身を乗り出した。
「臭いの元はここだ。俺が確かめる」
「…気を付けて」
恐る恐るベッドの下を覗き込むと、何か白い物が見えた。
「おおおうっ!?」
反射的に顔を上げ、後ずさる。
「何だ!?」
奈緒子は上田を押し退け、ベッドの下を覗いた。
白い物体に手を伸ばし、そっと取り出す。
「っクサ!!…何に驚いたんだ上田。これただの箱ですよ」
ただの箱に驚いた自分に落ち込みながら、奈緒子に近づいた。
言われてみれば見覚えがある箱だ。
「…あ、もしかして」
奈緒子はそろそろと指先で箱を開けた。
部屋に臭いが充満する。
上田は鼻と口をふさぎ、家中の窓を開けに走った。
「うっわ…上田さーん、ケーキですよ、ケーキがカビだらけでドロドロになってる!
そうそう、あの日忘れてて食べなかったんだ…もったいないぃ…」
がっくりとうなだれ、奈緒子はケーキの箱を閉じた。
そして戻ってきた上田に無理矢理手渡す。



「この腐乱死体、悔しいけど処分してください。
…死体と言えば、あのトラックの運転手生きてたかな…
私たちすぐ帰ってきたけど、現場検証とかあったんじゃないですか?」
「目撃者はたくさんいただろう。俺たちがいなくても多分大丈夫だ」
上田は箱を何重にも重ねたビニール袋に入れ、台所の隅に置いた。
次に生ゴミの回収があるのはいつだろうとぼんやり考えて手を洗っていると、
シャツの背中をつんつんと引っ張られる。
「ん?」
「…上田さん、あの時私を守ってくれましたよね。
私、お礼も言わずにいたから…ありがとう」
そのまま腕を回され、ぎゅっと抱き締められる。

そう、あの時上田は無我夢中で奈緒子を抱えて植え込みに飛び込んだ。
あっという間に事故現場に野次馬が集まりだした。
上田は人の少ないところに奈緒子を座らせ、
「薬を買いに行ってくる。タクシーを呼ぶからおとなしく待っているように」
と告げたのだ。
奈緒子は意識が朦朧としていたのか、覚えていなかったようだが。



「…君に怪我をさせてしまった。
俺は守り切れなかった」
蛇口をしめ、手を拭きながら上田は呟いた。
事故の直前、綺麗だと見とれていた奈緒子の肌。
傷一つつけたくなかったのにと、ずっと悔やんでいた。
「…怪我って、ただの掠り傷じゃないですか。もう治りましたよ。
私より上田さんのほうが怪我多かっ…んっ」
振り返った上田に口を塞がれる。
上田は奈緒子の身体をきつく抱き寄せた。
唇を離し、見つめ合う。
「…一緒に暮らそう」
「…え?」
奈緒子は首を傾げて上田を見上げている。
上田は奈緒子の肩をつかみ、もう一度ゆっくり言った。
「ずっとそばで守るから。
ここで一緒に暮らそう」
奈緒子は小さく頷き、上田の頬にキスをする。
「…はい」
同棲はあっさり決まった。

ずっとそばで守ることができる。
愛する人の笑顔を、ずっと見ていられる。
幸せな毎日が始まる―――。

「ただ…次のゴミの回収日までは、奈緒子の部屋に泊めてくれないか…」
「…はい…」

<完>
最終更新:2006年09月07日 10:01