呪文と石5

13-14




キスはとても優しかった。

「照れ屋だからな、youは」
奈緒子はむくれて視線を泳がせた。
「お前に言われたくない」
上田の躯がかたむいて、奈緒子は畳に横たえられた。
「…なあ」
上田は照れくさそうに頬を歪めた。
「キスされてると、和姦したくならないか?」

再び唇を塞がれた奈緒子は心底ほっとした。
キスしてんのはお前だとつっこまずに済んだから。

 *

「──じゃあな」
上田は奈緒子の躯を放すと、のっそりと起き上がった。
「体調が完全に回復したらまた改めて来るから」
「来なくていいです。上田さんが来るとお腹が減るだけだし」
疲れきった奈緒子は服をかき集めつつ、上気した顔で呟いた。

結局なんのかのと言いながらピラニア効果で上田はまともにやる事を一通りやったからだ。
しかもまたもやコンドームをつけなかった。
「もう指輪は見つけたしな」とかほざきつつ。

「来るよ」
上田はシャツの襟を整え、ニヤっとひげ面を綻ばせた。
「婚約してるんだから」
「……」
奈緒子にはやはりなんだか実感がない。
「……この指輪、どうすればいいですか?」
奈緒子はちゃぶ台の上には不似合いな輝きを指差した。
「結納まで大事にしまっとくんだ。質には入れるんじゃないぞ」
上田は靴を履きながら言った。
「え?つけてなくてもいいんですか?」
「なんでつけてなくちゃいけないんだ?君の好きにすればいい、不便だろ」
彼は振り向いた。
「…上田さん。あの…」
奈緒子の眉間に皺が寄った。
「今すごく…ひっかかった事があるんですけど」
「言ってみろ」
「うちの母や上田さんのお父さんやお母さん、全員、私たちが結婚するって思ってるんですよね」
「おう。みんな喜んでるようだな」
「それ……急いで私がこれに気付く意味、あまりないんじゃ」
「ないかもな」
「じゃあこの一週間って」
上田は目を細めた。
「前々から、一度自分の限界に挑戦してみたかったんだよ」
唇が満足げにつり上がった。
「やればできるもんだな」







「──やっぱり躯目当ての犯行だったのか!」
「最初からそう言ってるじゃないか」
「とっとと帰れ!二度と来るなっ」
奈緒子が力一杯投げつけた湯のみは、上田が素早く閉じたドアに跳ね返って割れた。
「またなyou!ハハハ、ハッハッハ!!」
上田の明るい笑い声が池田荘の廊下を遠ざかっていく。
奈緒子は窓に駆け寄り、がらっと開いて顔を出した。
「この、この…変態!巨根!腰を壊して寝込んでしまえバカーー!!!」
「そうなったら看病に来てくれ」
上田は階段の上で立ち止まり、また照れくさ気な表情を浮かべると、妙に巧みなウィンクをよこした。
「な。………ジュヴゼーム」
最後の言葉はとても小さく、上田は大きな背中を丸めるようにして素早く階段を降りて行った。

 *

色ボケ教授の姿が見えなくなると、奈緒子は割れた湯のみを片付けた。

ジュヴゼーム。

照れくさそうな顔。
羞恥を感じることはできるようだが、その方角がズレているというのだ。
ちゃぶ台の上の指輪を見る。おそるおそるはめてみるとぴったりだった。
薬指のサイズなど上田に訊かれた事は無い。
という事は奈緒子が眠っているときにこっそりと測ったとでもいうのか。
どこまで不審者なのだあいつは。

急いで指輪を外し、ハンカチの上に置いた。
見つめているとあまりの美しい輝きに質に入れたくなってくる。目の毒だ。

ジュヴゼーム。

改善の余地の無いバカの上田が柔軟性のない石頭を振り絞って贈ってきた世界で一番硬い石。
出来過ぎていて笑えてしまう。
躯目当てだとかお礼の手伝いとか質に入れるなとか演出だとか。やはりあいつは小心者だ。
「…だから、フランス語で言うなって」
あのバカから逃げるなら今なのに。
今しかないはずなのに。

「バカ上田」

奈緒子は美しい石に唇を尖らせて呟いた。
その五文字の抑揚は、さっき上田が囁いた愛の言葉とどこか似ていた。







おわり
最終更新:2006年11月16日 23:58