呪文と石

10-12




上田は少し赤くなり、目を逸らした。
「……言いにくい事だったんだ。その、ちょっと口には出しづらいというか…」
奈緒子は溜め息をつき、上田がいじくっている茶筒を取り上げた。
「話さないともう二度と和姦なんかさせてあげませんよ。いいんですか」
「すぐに話すよ」
「…………」
上田は奈緒子に手を差し出した。
「コンドームの箱を出してくれ」
奈緒子は真っ赤になり、眉を吊り上げた。
「上田っ」
「違う。落ち着け、いいから…その、出してみせてくれ」

奈緒子は上田を数秒凝視し、それからしぶしぶバッグを引き寄せた。
中を探って、ハンカチに包んだ箱を取り出す。
「…はい」
手渡すと、上田はそれをほどいて蓋をあけた。奈緒子の前に滑らせる。
「中を見てみろ。何がある?」
奈緒子はいやいやそれをとりあげ、中身の箱を押し出した。
「コンドームが入ってるに決まってます」
「何枚残ってる」
奈緒子は仕方なく覗き込んで確認した。
「…二枚」
「くそっ。そこまでこぎつけていたのか…」
上田が呻いて額をちゃぶ台に落とした。ごんと大きな音がした。
「『こぎつけて』?」
「その下、見てみろ。開いていいから」
伏せた上田の声はくぐもって聞こえた。
コンドームの下には、薄い紙の平べったい包みが隠れていた。
奈緒子が指先で掬い上げてちゃぶ台で開くと、中から銀色に光る指輪が出てきた。
クラシカルな立爪に美しい透明な石が輝いている。
「…百カラットもないけどな」

「何だこれ」

「──どう見ても典型的な婚約指輪じゃないか!言っておくがな、銀座の老舗宝飾店の保証書付きだ」
上田は勢いよく顔をあげた。全体が深紅に染まっている。
「君に、君にあの時、コンドームに隠してこっそりと贈ったんだよ」
「…………はい?」
「仲良く使っているうちに中身が減るだろ。そこに隠しておけば、最後の一枚を使ったところで君が気付いて嬉しさに涙する。
俺は優しくその肩を抱いて……フフ、フッフフ」
「……」
「しかもだ。その頃には君の躯も俺とのセックスに十分に馴れている。双方の実家への挨拶も済んでいるはずだ。
いつ子どもができても不都合は無い。な、コンドームも不要になるよな」
「……」
「そこで晴れてその指輪で見事結納、即座に結婚という完璧な手筈だった。どうだ…お洒落でさりげなくてロマンティックな演出じゃないか」
「どこがだ」
「それが何故こうも情緒のない発見に繋がるんだ。……youは泣いてないし」
「安心してください。今涙が出てきました。情けなくて」
「どういう意味だよ」
「上田。どこのくだらないマニュアル本で見つけたんだこのつまんない計画。な、怒らないから正直に言ってみろ」
「失敬な。無論、天才的なこの頭脳で考え抜いた上田次郎オリジナルのアイディアに決まってるだろ」
「それが原因だっ!!」







奈緒子はすっくと立ち上がり、落胆のあまりか眼鏡の下をハンカチで拭っている上田を睨みつけた。
「上田さんが頭使うとろくな事ないっていつもいつも言ってるじゃないですか!」
「だから、それはどういう意味なんだ」
「そのまんまですよ」
上田も嵩高く立ち上がった。
「そんな事言うがな、you。君にもこの失敗の責任があるんだぞ!」
「自分の頭の悪さを人のせいにする気かお前」
「上田さん大好きとか気持ちいいとか愛してるとか、youが俺にコンドームを使わせないから」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」

上田のへ理屈の炸裂ぶりに、奈緒子は赤面を通り越して脳天から湯気が噴き出しそうな気がして来た。
「それのどこが使わせない事になるんですか!?」
「やってる最中好きな女に耳元で喘ぎながら早く来てなんて囁かれてみろ。鉄の意思を持つ俺のような人格者でもだな」
「威張るなっ」
「それにやっぱり気持ちいいしな。生。……最高だよな、youに生で中出し。きゅって。フ、フフ。フッフフフフ」
奈緒子はつま先で伸び上がり、大急ぎで上田を殴った。
「戻って来い上田!……要するにあれじゃないか、そ、そっちが使いたくなかったってだけ」
「そうだよ」
「認めるのか」
「それで、あんまり楽しいからコンドームもろとも指輪のことを忘れかけていたんだ。だが、やっぱりこういう、その、申込は最後まできちんとしなければいけないだろ。
正式な婚約が必要だ。いつ君が俺の子を身籠るかわからないし……生でやってるんだから。生…フ、フフ」
「上田!」
もう一発殴りつけておいて奈緒子は眉をひそめた。
「まさか、それに気付いたのが──」
「そう。月曜日の夜、君がぱくぱく嬉しそうに懐石料理を食べてた時の事だ。それで──善は急げっていうしな」
「………」
「その後コンドーム消費のために俺が払った獅子奮迅の涙ぐましい努力は、君も知っての通りだ」
「獅子奮迅ってお前…」
「ああ。結構キツかったよ。運転中意識が遠くなって次郎号を電柱にぶつけそうになったり、講義中もスライド映写しててうっかり熟睡しそうになったりな」
「………」
「でも、君と俺の明るい未来のためだ。ここが踏ん張りどころだと思ってがんばったんだよ。ああ、そんなに嬉しいか?やっぱりな…泣かなくていいんだyou。ハハハ、ハッハッハ!」

奈緒子はがっくりとちゃぶ台の前に座り込んだ。
常識を超える回りくどさを目の当たりにしたせいか、涙が止まらない。

なんでそこまで手間のかかる事をしなければならないのかさっぱりわからない。
奈緒子に内緒で数枚コンドームの包みを抜き取っておけばいいだけの話ではないか。
馬鹿正直に体当たりで全部消費する必要がどこにある。
……この男がバカだからだ。それともスケベなだけなのか。
奈緒子に褒めてもらいたがって落窪んだ目をきらきらさせている上田はあまりにも不憫であまりにも間抜けだった。
どうして褒めてもらえると思っているのか──それは上田次郎だからとしか言いようがない。







上田が座り、気遣わし気に奈緒子の顔を覗き込んでくる。
「どうしたんだ、you。なんだか──元気がないじゃないか」
「……」
「飲むか、ピラニア」
「要りませんっ!………ねえ、上田さん。こんな高価なもの」
「ああ、一滴三万円」
「違う、指輪!……黙って私に預けてて平気だったんですか?コンドームごとうっかり落としたり無くしたり──」
「有り得ないね」
上田はきっぱりと言った。
「極貧の君が人から無料で、しかも親切で貰ったコンドームを無くすなんて」
「親切?」
「いや。躯目当てなんだが」
「上田っ!」
奈緒子のパンチを上田はあっさりと避けた。かなり復調したらしい。
拳を掌で握りこみ、奈緒子に顔を近づけた。
「で、感想はどうなんだよ。俺が君のために用意したこの指輪を見てどう思った?」
「質に入れたら高そうですね。保証書あるんだろ。それも寄越せ」
「おいっ!」

上田の胸をおしやって、奈緒子は赤いままの顔を振った。
「……あのね、上田さん」
「ん?」
「指輪をやるって、思い出したならちゃんと言葉で教えてください。体当たりじゃなくて。強姦でもなくて」
「和姦だって言ってんだろ!…youがいつも言うじゃないか。考えずに躯使えって」
「その前に考えてちゃ駄目じゃん」
「しかも熟考だ。ハッハッハ!」
「意味ないじゃんっ!」
奈緒子はむくれてさらに上田の胸を押しやった。
押しやらないと、どんどん近づいてくるのだ。
「でさ。なあ……感想」
「………」
奈緒子は上田の目を見上げた。
「恥ずかしがらずに最初からあっさり直接手渡して欲しかったです」
「それだけか」
「それだけです」
「もっと他にもあるだろ、こう。嬉しいとか。綺麗だとか愛してるとか。大事にするとか幸せにしてあげるとか…」
言いながら、上田は奈緒子の背に腕をまわした。
引き寄せられて奈緒子は眉をしかめた。
「……上田」
「ん?」
「強姦する気だろお前」
「違うよ…お礼を言いたいんじゃないかと思ってな」
「お礼?」
「キスしたいんだろ。目にそう書いてある」
「嘘付け。こら、近づくな」
「君が素直に気持ちをうまく言えないみたいだからさ」



最終更新:2006年11月16日 23:57