pink marriage blue by ◆QKZh6v4e9w さん

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仕事が忙しくてあまり構ってやれないせいか、それとも間近に迫った式の準備に追われているからか。
彼女の機嫌は悪かった。
そう、昨日、記念写真の前撮のため式場に行った時の話だ。

「新婦さま、もっと嬉しそうに笑ってくださーい」
もともと笑うのが苦手な彼女はものすごくがんばっていたには違いない。
「ちょっとこわばってますねー。緊張しますか。えーとですね、深呼吸してー。もっと自然に、自然に笑ってー」
それでもカメラマンにいろいろ指導されていた。
一方彼のほうはと言えば、
「新郎さまはそんなに歯を見せないでくださーい。あ、新婦さまより前に出ないで。ポーズ作らないでくださいねー。お顔の角度はもっと、自然に、自然にー」
別の理由でいろいろ注意されてたがこれは別にいい。

撮影のあいだ、綺麗に着飾った彼女の機嫌はどんどん悪くなっていった。
試行錯誤の結果辛うじてOKがでて二人は解放されたが、不機嫌はその後も続いていた。
腹が減ったのかと高級レストランに連れて行くと、山ほど食べはしたもののやはり機嫌がなおらない。
足りないのかとデザートを勧めると、三種類食べても無言だった。
熱でもあるんじゃないかとおでこに手をあてようとしたら低く唸られた。
挙げ句の果てに、彼女の部屋にいそいそあがりこもうとしたら明日はバイトがあるからと追い払われた。

彼だって忙しい時間を割いて少しでも一緒にいようと努力している。
人生でも大きな(だろう)イベントを控えて怒濤のように過ぎていく日常の中の貴重なデートの機会でもある。
大体、ここ最近がこれほど忙しいのは、新婚旅行用の休暇を確保するためなのだ。
なのに仏頂面だけ見せられて、彼も昨日は虚しかった。






 *

今日も今日とて研究の合間、せっせとレポートの採点をしているところにゼミの学生が現れた。
「上田先生、披露宴での余興なんですけど、参加希望の人数が増えまして。会場の外でもっと待機できますか」
「ああ、構わないよ」
休憩がてらペンを置き、上田は椅子の背に躯を預けた。
「ほかの学部の奴らまで訊いてくるんですけど。参加させていいですか」
「勿論だ」
上田は気分良く頷いた。
日頃から理工学部以外の学部生にも有名教授である上田の講義は大人気で、毎回立ち見が出るほどである。
今回の彼の結婚には学内全体が興味津々であるらしい。
「会場で配布する先生の業績紹介のパンフレット、試し刷りができました。あとで持ってきますからチェックしてください。で、編集後記のとこのためにお借りしてたこれなんですが」
学生は小脇に抱えたファイルケースから写真を取り出した。
そこには講義の後学生たちの質問を受けている上田の満面の笑顔がある。
「ここに、よっと…、お返ししておきます。ありがとうございました」
「いやいや。いろいろ面倒をかけるね、ハッハッハ」

学生が去ったあと、上田はすぐにはペンに手を伸ばさず、レポートの山に半ば埋もれている電話を眺めた。
結婚披露宴の話などしていると必然的に昨日の奈緒子を思い出す。
彼女は部屋にいるだろうか。
さっさと上田のマンションに移ってくればいいものを、荷物整理とバイトのために未だに池田荘で暮らしている。
彼女の引っ越し予定は来週末だ。
機嫌が機嫌だったので昨日はあまり話もできなかった。
……物足りない。
心に潤いが足りない。少しは生活に糖分が欲しい。

受話器をとる。
もうすぐかけることもなくなる電話番号をプッシュする。
短い呼び出し音のあと、奈緒子の声が聞こえてきた。
「ああいたのか、俺だ。元気?」
「昨日会ったばかりだろ」
「バイト終わった?」
「終わったから電話に出てるのに決まってるじゃないか」
上田はレポートの山の上に肘をついた。
「今大学にいるんだが、you、晩飯食いに来ないか。これから出前でもとろうかと思ってるんだ」
「…まだ、仕事してるんですか」
「ああ」
奈緒子は承諾した。
電話をきった上田は猛然と採点を再開した。







 *

一時間後。
上田研究室では、炒めものと餃子と天津飯と担々麺などから立ち上る香りが節操なく混じり合っていた。
それはそれで食欲をそそるカオスではある。

「この担々麺も私の?」
「それは俺のだ」
「じゃあこっちの杏仁豆腐は」
「それもだ。食うな勝手に」
今日の奈緒子は昨日とはうってかわって楽しそうだった。
ぱくぱくと食べ(これはいつもの事か)、話し、水を飲み、上田の料理を狙おうとしている。
上田は心も軽く彼女を眺めた。
やっぱり、昨日の奈緒子は疲れていただけなのかもしれない。
なんであんなに不機嫌だったのか、ふと訊ねてみようと思った。

「昨日だけどな、you」
上田はレンゲを持ったまま一人掛けのソファから立ち上がり、奈緒子の横に移動した。
「う?」
口に一杯天津飯を頬張ったばかりの奈緒子はもの問いた気に上田を見上げた。
「どうしてあんなにつんつんしてたんだ?変だったぞ」
「……ん、ぐ。別に」
奈緒子は口元を拭った。
「つんつんなんて、してませんけど」
「嘘つけ」
上田は丼を引き寄せた。
「あからさまに機嫌が悪かったじゃないか。あの日か?」
「違いますよっ。…だから、そういう事言うなって」
奈緒子は眉間に皺を寄せ、上田は麺を啜り込んだ。
「…じゃああそこまでつんつんしなくてもいいだろ。せっかく久しぶりにゆっくり会えたのに」
「ゆっくり?」
奈緒子が口を尖らせた。
「めちゃくちゃ大変だったじゃないですか。何回も着替えたり写真撮ったり」
「……まあな」
上田は麺を啜った。
「ま、俺の格好いい姿を見られて、良かったじゃないか」
「………」
途端に奈緒子の周辺の空気が冷たくなった。
上田は気付かず相づちを求めた。
「な。you、そう思っただろ」
「なんで私に聞くんです」
奈緒子はそっぽをむいた。

「だってさ、貸衣装の人も、カメラマンも助手の人も褒めてただろ、格好いいって」
「そうでしたっけ?」
「ほかのスタッフもみんな言ってたじゃないか。式服も羽織袴も凄くお似合いですねって」
「お世辞ですよ。決まってるだろ」
「背がお高いからとてもご立派に見えます、とか」
「ふっ。他に褒めるとこなかったんですよ、きっと。上田さん、無駄にでかいからどれもこれもサイズ合う服一種類ずつしかなかったじゃないですか」
「着替える時にもさ、眼鏡がないと随分雰囲気変わりますねとか」
「ダッサイもんな、その銀縁」
「ほら、式服の時に髪型少し変えてみたじゃないか。そちらも素敵ですって言われたな。フフ。フフフ」





「なんでそういうどうでもいい事覚えてるんだ」
「俺はね、賞賛の言葉は決して忘れたりしないんだよ」
「………」
「ほら、ほかのカップルの女性。スタジオの入り口に集まって、俺のパートナーである君を羨望の目で見てたじゃないか」
「上田さんがモデルみたいにポーズとってて確実に変だったからです。あれは憐れみの目だっ」
「そういえばお茶いれてくれた式場の人」
「聞いてんのか、お前」
「ほら、彼女なんか、ハンカチに俺のサインくれって」
「お前が自分からサインしてたんじゃないか。お世辞言われて褒められて、ニヤニヤ鼻の下長くして、浮かれきってデレデレして」

奈緒子の眉間にはくっきりと皺が刻まれ、彼を見る視線が険しい。
ふくれている頬はほんのり染まっている。
上田はまじまじと奈緒子を見た。
「なんだ。you」
「え」
「君が不機嫌だった理由がようやくわかったよ。そうか、そういうわけか」
「何ですか」
「ジェラシー。俺があまりにも格好良くてモテてたから、君…」

言葉を続けるより、奈緒子が立ち上がるほうが早かった。
「ごちそうさまでした!じゃっ。私帰ります」
「待てよ!」
上田は素早くその腕を掴んだ。このへんの呼吸はほとんど考えなくても身についている。
「まあ待ちなさい。落ち着きなさい。いい子だから」
「放せ上田!」
腕をひっぱり、上田は奈緒子をソファに戻した。
「フ。……フフフフフ、you」
奈緒子は顔をそむけ、ホワイトボードの、学生が残していった満面の笑顔の上田の写真を睨んだ。
真っ赤になっていた。

「君はそんなくだらない事を気にしていたのか」
「くだらない事?」
「恥ずかしがらなくてもいいんだ。君がジェラシーを覚えるのは当然だよ」
奈緒子はちらっと上田を見た。
「俺の場合、中身の優秀さが外見にまで影響を及ぼしているのは天然自然の理だからな。今更そんな瑣末事をことさら改めて君に認識させようなどとそんな押し付けがましい事は、全く思ってもいない。
全てにおいて価値ある俺と結婚できるyouは胸は貧しいがとんでもない幸運の持ち主だとか、そんな」
「押し付けてる。押し付けてるぞ上田」
「それよりさ…」
上田は奈緒子を抱き寄せ、顔と躯を近づけた。
「昨日はせっかく休日だったのに……な、you……」
「放してください」
奈緒子は上田の腕を払って立ち上がった。
「モテモテで人気者で忙しいんだろ。無理に胸の貧しい私を構ってくれなくてもいいですよ。勝手にしろ」
上田も立ち上がった。
「勝手にしろってどういう事だよ」
奈緒子は上田を憤然と睨みつけた。
「上田さんって、結局自分の事が世界で一番好きなんじゃないですか。結婚式だって、上田さんにとっては私は単なる添え物なんです。
別にいいですよ。好きなだけ変なポーズとって、ちやほやされて勘違いして笑ってろターコ!」
まくしたてる奈緒子の肩をむんずと掴んで上田は彼女を抱え込んだ。
このへんのタイミングももう条件反射的に掴んでいる。


最終更新:2007年12月14日 23:36