宝石乙女まとめwiki 天河石は海外旅行がしたいそうです
「マスタぁーっ、しんこんりょこうはハワイだよぉー」
 世界地図を持ってやって来た天の一声。
 それはあまりにも唐突すぎて、俺の頭は一瞬何を言うべきかを迷ってしまう。
「あー、えっと、うん。何だ、天は結婚でもするのか?」
「ううん。でもね、しんこんりょこうはハワイだって、テレビでやってたよ」
 そいつはまたずいぶんと時代遅れのような気も。まぁ、行く場所なんて人それぞれか。
「で、そのハワイがどうしたんだよ。大体世界地図まで持ち出して」
 その言葉を聞くや、天は俺がテーブルに置いて読んでいた新聞を退けて、
世界地図をいっぱいに広げて……。
「あのねっ、今度のお休みにハワイ行きたいなっ」
 そう言って、天の小さな指はインドネシアを指差していた。全然違うぞ。
「……今度の休みって、何だ?」
「ゴールデンウィークだよー?」
「なるほど。で、ハワイに行きたいと」
「うんっ。ヤシガニさんとあろはだよー」
 相変わらずの笑顔で、フラダンスの仕草をこちらに見せてくる。
 なるほど、よく分かった。インドネシアでなくハワイに行きたいというのは。
「そうかそうかー。うん、ダメだ」
 何の躊躇もない俺の答えに、天はツインテールを踊らせながら驚いていた。
 当たり前だ。ゴールデンウィークで海外旅行に行くほどの金も余裕もなければ、
準備にも時間が足りなさすぎる。
 大体、天や珊瑚を連れて行くとして、どうやって国境を越えろというのだ。鞄に詰め込んで、
荷物と一緒にしてしまうか?
 そんなの、こいつも珊瑚も嫌がるに決まっている。つまり最初から無理だ。
「あうぅ……でもでもっ、暖かいよ?」
「大丈夫、こっちも5月ならかーなーり、暖かい」
「海で泳げるよっ。春なのにっ」
「そりゃ夏のイベントだ。春に泳いでどうする」
「ヤシの木にヤシガニさんだよっ」
「はさみで指落とされるのはごめんだ」
 とりつく島も無しの態度を貫く俺を前にして、天がみるみるうちに涙目を浮かべてくる。
 だがダメだ。たまには断固拒否するのも重要。下手にうやむやにしたって、天には逆効果だろう。
「にゃー……」
「そんな顔してもダメだぞ。膝に乗ってきても却下だからな」
「おんぶは?」
「なおさらダメ」
 そこまで言ったところで、ついにその場に座り、膝を抱えてしまう天。その姿を見て、
罪悪感が胸を突き刺す。
 相手の話を聞かなすぎたか……いくら頼まれても行くなどと答えるつもりはないが、
少しは耳を傾けたって良かったかも知れない。
 それに、涙目になっても泣きはしない。そういう一面も、評価してやりたかった。
 口から漏れるため息。仕方ない、一度向き合って話聞いてみるか。
 膝を抱える天の隣に位置を移し、その頭に手を置く。
「何でそこまで行きたいんだ?」
 俺の言葉を聞き、ゆっくりと顔を上げる天。
「……あのね、マスタぁーとはしんこんりょこう出来ないけど……でも一緒に行きたかったんだよ?」
「新婚……お前、いきなり何を」
 まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。思わず言葉を詰まらせ、とまどいの色を見せてしまう。
「マスタぁーはね、きっとすごーく綺麗なお嫁さんとしんこんりょこうするの」
 自信たっぷりと言わんばかりの一言。
 あまりにも照れくさくなってしまい、天の顔から視線をそらしてしまう。
「そ、そんなこと分かんねぇよ」
「ううん、マスタぁーかっこいいから大丈夫だよ。だからね、その前にマスタぁーとお姉ちゃんと天河石でね、いろんなとこ行きたいなぁって」
 小さな手が、俺の服を握り締める。
「お出かけ……」
 天の上目遣いほど、心を揺らがされるものもなかなかない。
 あれほどダメだと言ったことすら、許してしまいそうなほどに。
 いや、それでも海外はダメだ。そもそも、あまりにも敷居が高すぎる。
 海外なら……。
「……ったく」
 天の手をそのまま離さず、テーブルに置かれた地図に手を伸ばし、それを裏返す。
 そこに出てくるのは、巨大な日本の地図。
「マスタぁー?」
 やっぱりダメなのかと言いたげな、そんな涙目を向けてくる。
 これでは、ただ俺が天をいじめているだけのように見えてしまうじゃないか。
 やめてくれ、俺にそんな気は一切ないのだから。
「行く場所……選ぶならこっちから選べよ。海外は遠すぎだっての」
 ――出かけるのが嫌なわけではない。
 ただそれを、地図と俺の顔を交互に見比べる天に理解してもらいたかった。
「……お出かけ、してくれる?」
「場所によっては」
「ほんと?」
「お、男に二言はない」
 それを聞いて、やっと天河石の顔に、笑顔が戻る。
 決して明るい笑顔とまでは行かない。だがそれでも、泣きそうな顔をされるよりはずっといい。
 ハワイに連れて行ってやれない分、きちんと埋め合わせをしないとな……。
「じゃあね、この左上にあるちっちゃい場所」
 そして指差したのは……いや、さすがというか何というか、一番日本でハワイっぽいというか。
「沖縄……」
「うん。でもぉ、ここだけ何で枠線あるの? もしかしてここにぐるーって大きな壁」
「ち、違うっつーの……はぁ」
 どうしてこう、ピンポイントで遠い場所を選んでくるのか。
 確かに国内ではあるのだが……。
「マスタぁー?」
 俺の顔に不安を覚えたのか、眉をひそめながら天がこちらを見上げてくる。
「……飛行機、席取れなくても恨むなよ」
 結局、これ以上天を泣かせるようなことが言えるほど、俺は厳しく出来ていないんだよな。
 あぁ、金は大丈夫なのか、ホント。