宝石乙女まとめwiki このすばらしい日々をありがとう
 3月の頭。
 カレンダーにつけられた丸印が、ずっと気になっていた。
 あいつの誕生日でもないし、何か記念日があるわけでもない。
 あたしから見れば、その日付には何の意味もない。
 一体、何なんだろう……。

「あのさぁ、卒業式って自由参加だったんでしょ?」
 壁に寄りかかりながら、制服姿のあいつの隣に立つ。
 今日は確か、あいつが通っている学校の卒業式。そして今立っているのは、
その学校の中庭。
 ……でも、あいつは卒業式に出る年齢ではない。まったく無関係なんだから、
出る必要もない。
 ということは、今日はただの休み。それならどこか遊びに連れて行ってほしかったのに……。
「お世話になった先輩がいたから、ちゃんと挨拶しておきたかったんだよ」
「ふぅん。その人女の子?」
 あたしの質問に、首を縦に振る。
 女……なんだかものすごい腹が立つ気がした。
「へぇー、女かぁ。ふーん」
 あいつの苦手なまなざしを送ってみる。
 案の定、顔にぎこちない笑顔を浮かべ始めた。
「な、何?」
「別にぃ。ま、あんたも男だってことよねぇ」
「そそ、そういうのじゃないよっ。大体その人は付き合ってる人がいて……」
「つまり略奪愛ね。おとなしそうな顔して腹黒ー」
「違うってばぁー」
 にやりと笑ってみると、大げさなジェスチャーであたしの指摘を否定する。
 わかりやすいというかなんと言うか。もう少しいじめてやろうかなっと。
「そ、それよりも月長石。ちょっといいかな」
「んー、何よぉ。っていうか、どーしてあたしがこんなところに呼び出されるのよ」
 校舎に挟まれているせいで、やや薄暗さも感じる中庭。
 卒業式も終え、ここの周辺はずいぶんと静かだ。校門からわずかに、
卒業式の余韻が聞こえてくる。
「まさか、あたしを告白の練習台なんて……あんた、そんなに人でなし」
「だからそういうのはないってば! 月長石にお礼が言いたかったんだよ!」
 沈黙と同時に、風が中庭を吹き抜ける。
 ――藪から棒に、何を言い出すか。
 ムキになったあいつが言ったことは、あまりにも予想外のことだった。
 何か礼を言われるようなことをしたのか……ここ最近で、思い当たる節はない。
「いきなり、だよね。はは」
 素面に戻ったあいつが、恥ずかしそうに俯く。
「ま、まぁ、うん。で、あたしが何かしたっけ?」
「うん……その先輩さ、僕が入院してるとき、よくお見舞いに来てくれた人なんだよ」
 よく、お見舞いに。
 その一言で、挨拶した相手が誰なのか思い浮かんだ。
 確かに一人いた。こいつと同じぐらいの身長で、同じ学校の制服を着た女が。
 まぁ、あたしの次ぐらいにかわいい子だとは思った。
「入院する前からずっとお世話になってたんだけど……ほら、月長石が助けてくれるまで、
僕の……その、余命って、さ」
 ……ああ、そういうことなんだ。
 一度受けた恩は、一生忘れないタイプだもんね、こいつは。
「この日まで生きていられたのは月長石のおかげだよ」
 はにかみ笑顔のあいつが、あたしを見下ろす。。
 わずかに赤くなった頬。悪いことなんてひとつも知らないような、純粋な瞳。
 それを見ているのが、なぜか照れくさかった。
「ありがとう、月長石。本当に……」
 そのときのあいつの顔を、あたしは見ていない。
 中庭にある名前も知らない草を、ただじっと見つめる。
 ――こういうとき、何て言えばいいんだろう。
 他人にお礼言われるようなことなんてほとんどないし、あいつはやたらと真剣だし。
「あ……」
 あいつに顔を向けず、言葉を捜す。
「あ、あんたってホント、礼言うの好きよねぇ。あのときのことでありがとう言うの、
何回目よ?」
 ……こんなにありがとうって言ってくれたのは、あんたが初めてだから。
 だから、なんて言えばいいかなんて、思いつくわけなかった。
「何回目、かなぁ。でもこれからもずっと、僕は月長石に感謝してるよ。だから何度でも」
「ありがとうって? はぁ……」
 ホント、お礼を言うのが好きなんだから。
「じゃあこれからはあたしをもっと敬うことね。それから、休みの日はちゃんと相手をして、
寝るときはあたしに足を向けない」
 あいつの困った顔が見たいから、いろんな言葉を並べる。
 どこまでが建前で、どこまでが本音か。
「えっと、それから……」
 でも、あいつはなかなか困った顔を浮かべてくれなくて。
「そうねぇ、あたしから離れないこと。あんたを一人にしたら、一体どんなひどい目に遭うか
分かったモンじゃないんだから」
 どうしてか嬉しそうに笑って、あたしを見つめていた。
 ……だから、あたしも言ってやる。
「でもまぁ……うん、どういたしまして」
 言い慣れていない、感謝の気持ち。
 どうせなら、臭い台詞とか茶化してやるほうが、良かったのかな……。


 カレンダーの何気ない日付につけられた、丸印。
 それを見るのが、嬉しくて仕方がなかった。
 ――あぁ、あいつまた何かいいことがあるんだなぁ。
 それを考えるのが、嬉しくて仕方なかった。