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別離」(2008/07/26 (土) 22:47:59) の最新版変更点

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 今年もまた、桜の季節がやってくる。  差し込む日差しは暖かく、外は新緑の様相を見せ始め、わたくしの名前とは正反対の、 命に満ちた光景が広がる。  こんな日は、誰よりも大切なあの方と、ただ静かに寄り添っていたい。  日差しを目一杯浴びながら、うたた寝をするあの方の顔を、ただ眺めていたい。  ……でも、あなたはもう、わたくしの隣にはいませんね。  春の陽気は、確かに周りの空気を暖めてくれる。  だけど、わたくしの隣はとても寒い。体ではなく、心が凍えそうになってしまう。  あぁ、だんな様……どうしてあなたはここにいないのですか? 「殺生石ぃー、ご主人様明日帰ってくるんだよっ。あと少しだからがんばって……あっ、お姉様! そっちはほこりが溜まってるから駄目ぇー」  散らかり放題の部屋で、蛋白石が掃除機を持って歩き回る。  そしてわたくしは……右手にはほこり取り。頭に手を当てれば、白い三角巾がしっかりと巻かれている。  背後では、ほこりまみれになった電気石が、床を転がる始末。  あぁ、だんな様……こんな季節はずれの里帰り、早く終わらせてくださいませ。           ◆ 『ごめんね、ちょっと用事があって実家に帰らないといけないんだ。1週間ぐらいでもドルから、 留守番よろしくね』  そう言い残して旅立ったのは1週間前。  わたくし達ならば安心して留守を任せられる。そういう期待をかけられていたのだと思う。  そうとなれば、だんな様の期待に添うよう、この家を命に代えて守るつもりだった。  だけど、だんな様が出た日の夜は、春だというのにやたらと冷え込んだ。  寝るという風習がないわたくしにとって、それは一晩中寒さに耐えなければならないということに繋がる。  こたつもすでに片づけられ、普段寝ないのが災いし、寒さしのぎに被る自分の布団もない状況。  こんな時は、いつもだんな様の布団に潜り込んで……そう思い、だんな様の部屋に入る。 「……当然、ですよね」  だんな様の部屋は暗く、誰もいない。  ただそれだけだ。昼間学校に出ている時と同じ、一時の空白のようなもの。  だけど、それが1週間も続くというのは、これまで経験したこともなかった。  いつだって、だんな様はすぐ帰ってきて、皆の夕食を作ってくれる。  疲れた顔を浮かべて夕食を食べ、電気石を膝に乗せての団らん。  ――1週間だけの、空白じゃないか。  自分にそう言い聞かせているのに、どうしてこんなにも、体は冷えるのだろう。  そんなことを思い、部屋の扉を閉める。  別に、寂しがってなど……いない、はず。  1週間があまりにも長く感じられるようになったのは、3日目を過ぎた頃からだった。  毎日のように夜の冷え込みは続き、最近は冬物の着物を出して、日中も着込んでいる。  その姿を、食卓を共に囲む蛋白石と電気石は、不思議そうな顔で見つめてくる。そうだろう、 本来ならこんなものがいらないほど、暖かいはずなのだから。 「殺生石、もしかして冷え性なの?」 「いいえ」 「そ、そうなんだ」  極力いつも通り応えたつもりだが、なぜか困ったような表情を見せ、それ以上問いつめることなく 食事を続ける蛋白石。  だが、電気石の視線は、未だわたくしの顔を見つめてくる。 「寂しい?」  あまりにも唐突に、そんなことを尋ねてくる。 「そんなはずないでしょう。わずか1週間ではありませんか」  今思えば、そう言って安心しようとしているのは、わたくしの方だった。  そのときにはもう認めていたはずだ。長すぎる1週間の空白。  どれだけ、だんな様の存在が、自分の中で大きかったのか。 「……気分が優れません。少し休んできます」 「え、ご飯はどうするの?」 「お任せします。それでは」  寂しいなんて、思っているはずない。  そのはずなのに、今夜もわたくしはだんな様の部屋を覗く。  相変わらず、冷たい部屋。夜の冷気のせいか、それとも別の何かのせいか。  この、いくら着込んでも収まらない寒気は、一体何なのだろう。           ◆  だんな様の帰宅を明日に控えた夜。  やはり、わたくしはだんな様の部屋の前に来ていた。  昼間はだんな様が帰ってくるのに備えて部屋の掃除をし、二人の食事はペリドットに来てもらい、 作ってもらった。  とてもではないが、今のままではまともな料理も作れそうにない。それほど心が、弱っている。  こんな弱い自分を、誰にも見せるわけにはいかない。例え、だんな様であっても極力避けたいほどなのに。  だけど、もうわたくしの心は限界だ。だんな様には申し訳ないと思いつつ、部屋へと足を踏み入れる。  畳のきしむ音。いつもだんな様がここに寝ていたら、寝返りを打つたびにこの音が聞こえる。  わたくしが立ち止まると、たちまち部屋から音は消える。ここにいるべき人は、明日にならないと会えない。  ――寒い。  口から漏れる息が白くなっているように感じてしまうほど、わたくしの体は震えている。 「だんな、様……」  愛しい方のことを思い、部屋を見渡す。  そして目に付くのは、布団が収められている押し入れ。  あの中に、だんな様がいつも眠っている布団が入っている。  だんな様が、いつも抱きかかえるようにして眠る掛け布団。だんな様の体が横たわっている、 敷き布団。  気付けば、部屋の真ん中にその布団を敷いていた。本来寝るべき人は、ここにはいないのに。  ……その上に座るだけで、ほんの少し体が温まるような、そんな感覚を覚える。  掛け布団を被ってみたらどうだろうか……先ほどよりも、ぬくもりが強くなったように感じられる。  そして何より、わずかにだんな様の気配が残るこの布団が、今はあまりにも心地よい。  布団に頬をすり寄せるだけで、少しずつ弱った心が、癒されていく。  ――こんな情けない姿、誰にも見せられない。  それを理解しているのに、布団から浮かぶだんな様の虚像に甘えることを、やめることが出来ない。  こうしているだけで、ほんの少しだけ寂しさをごまかせるのだから。  やめられるわけがない……早く、一刻も早く、だんな様に帰ってきてもらいたいのに。  今宵は、あまりにも長すぎます。  たかが1週間。されど1週間。  その程度の時間で、わたくしは今、どれだけ自身が弱くなったかを知らされた。  こんなにわたくしを弱くしたあの方は、あまりにも罪なお方。 「ご主人様、今駅に着いたんだって。もう少しで帰ってくるねっ」  今駅に着いたということは、あと10分ほどでだんな様の顔を見ることが出来そうだ。  ――さて、どういった歓迎をして差し上げましょうか。  どこかから流れてきた桜の花びらを見つめながら、そんなことを考えていた。 「蛋白石、今夜の夕食はどうしましょうか」 「え、晩ご飯? んーとぉ……ご主人様疲れてるかもしれないから、何か元気になるものがいいなぁ。 私も手伝うよ?」 「……そうですね、そうしましょうか。主様には元気でいてもらわなければ困りますから」  後ろに座る蛋白石に、笑顔を向ける。 「特に今夜は……ふふふ」

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