※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

熊本県坂本村の父と日奈久温泉の母が見合いの後、「よかねよかね」と親戚に進められ、次に逢ったのが結婚式で、新婚生活寂しさのあまり旦那の靴を隠したという苦労人の母・思いの息子は藤沢西高校を辞めると言い出し、それだけは・・・と泣き崩れる母の苦労を上塗りし高校2年で一人旅した日本で唯一地平線の見える丘・北海道中標津開陽台に感涙。母の涙になんとか卒業するもそのまま進学就職もせず標茶町の牧場に半年こもり毎朝みおつくしを観ながらモーの大合唱と生乳(あ、いや先ほど朝4時半起きで搾ったお乳でござる、あっちではござらん。い、いやそれはそれで嫌いではござらぬが。そこもとほどでは・・・)素晴らしい時間でした。小樽で舞踏に出会う!そのまま行くかと思いきや、世の中には奇特な人がいると素通り。ミヤギサトシショーを観て感涙。門を叩くも演劇の稽古と思いきや、山口百恵でゆっくり歩くという不思議な空間に、あ!!!!!!と、もう一度小樽に行き舞踏修行を始める。眉を剃った息子に「お、おまえヤクザになったのか?」「お父さん芸術、芸術」と答えて初めて殴られる。小樽で出会った麿赤兒師の下、東京に戻り修行し在団中に若衆(YAN-SHU)を旗揚げ。タモリ倶楽部「瞑想アワー」(「ところで麿さんあの後ろの方々は?」「かぁ!!」とともにポーズ、「打てば響く、私の弟子達です」)、「鉄男2」(実験助手)「午後の遺言状」(おかめ)ピーター・グリーナウェイ「枕草子」(沈黙の書)に出演、世界中にチンチンをさらし小さくても出来る!を証明(誠心誠意、おちんとおまん、でことぼこ)伸縮率伸縮率を唱えドイツ・ベルリンへ。姉御ミゼール花岡こと吉岡由美子さんを訪ね数ヶ月のつもりが観光ビザが切れる半年経ったある日、旧東にあるオペラハウス(STARTSOPER)が日本人探してると受けに行ったオーディションでモーリス・ベジャールの作品「レ・コンコース(仏)/デア・ヴェットベヴァブ(独)/コンクール」に受かったのか落ちたのか解らないまま明日も来いと言われ出演。結局ベジャール本人には逢えぬも初日から女性稽古に一人で参加するなど自由奔放な勘違い性格が災いして引き蘢る。俺、英語少ししかできんもん。毎日1時間のボイトレを乗り切りやっとドイツ語で舞台に立つ一週間前、先生曰く「声もよし、目つきも変わったけど・・・何かが足りない・・・」いろいろ話した結果・・・「君は意味は解っているか?」「いいえ、全然」それだ!っと、太い指で指され「単語の意味を理解しなさい!」なんとか無事に乗り切り一年半後に帰国。
浦島〜〜〜太郎〜〜〜
まぁそんなもんです。
帰国後、若衆(YAN-SHU)を再構築しつつ神楽坂ディプラッツ真壁氏に相談され初代ダンスフィスティバルのプロデューサーを担い「ダンスがみたい」と命名。
働かざるもの食うべからず、なぜか音楽業界へ。SIONと出会い舞台監督〜マネージャーを担当、「踊るマネージャー」として全国を飛び回る。SIONがゲスト出演した「私立探偵 濱マイク」に借金取り役で出演、終盤5秒の出番でキャストB役(SION)に殴られて終わる。だは。6年担当したSIONから離れ、誘われて原宿駅前live&cafe JETROBOTに勤務。ほぼ毎日ライブやっております。この10年、若衆(YAN-SHU)を率いてヨーロッパ、アメリカ、キューバ、メキシコ等廻って来ました。昨年カナダ:トロントの舞台芸術賞DORA AWARDにおいて「作品賞」「振付賞」にノミネート(1年間に上映された作品のうち5作品)される。