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「ケイタ、ケイタっ!ねぇ、ケイタっ!学校遅れるよっ?」
「ん、あー」
啓太はようこに体を揺すられて、ようやくのこと目が覚めた。
体が重い。頭がぼんやりする。
啓太は普段の寝起きはいい方だ。昨夜は、そんなに夜更かしした覚えもないが。
そこまで考えて、自分の体に起こった異常に思い当たる。
風邪引いた……。
昨日はさんざんだった。例によって変態妖怪をようこと退治したのはよかったんだが、
最後のツメを誤って、川にはまったのだ。それはもう盛大に。ドボンと。
ずぶ濡れになったのをようこに引き上げてもらい、ブルブルと震えながら家に帰った。
自分の額に触る。熱い。案の上だ。

「ケイタ、どうしたの?」
「ちょっと、風邪引いたみたいだ」
「カゼ?」
「あぁ。今日は休みだな」

不安げに、啓太の顔をのぞき込むようこ。
啓太はおぼつかない足取りでベッドから出て、テーブルの上の携帯をつかみ、
学校の担任に病欠の旨連絡を入れた。
息を吐いて、その場に座り込む。

「わりぃ。今日、ちょっと朝飯作れそうにないわ」
「ケイタ、しんどいの?えっと、そうだっ、病院!」
「寝てりゃ治るさ、こんなもん。ようこ、すまんがこれで飯食ってきてくれ」

財布から千円札を取り出して、ようこに渡す。
受け取った千円札と啓太の顔を交互に見比べ、じっとしたままのようこ。
「ケイタのごはんは?これで買ってくる?」
「あーいや、食欲ないし、俺はいいや。とにかく寝てれば治るから、このまま寝るわ」
「……うん」

啓太は再び布団に潜り込み、目をつぶる。
先程起きたばかりだが、ぼんやりする頭は程なく睡魔を運んできた。
このまま寝てしまおう……が、少し気になることがある。
薄く目を開けると、ようこの心細げな顔が、目の前にあった。

「なあ」
「なに?」
「腹減ってないのか?飯食いに行けよ」
「ケイタが食べないんだったら、私もいい」
「……そうやって、じっと見られたままだと、落ち着かないんだが」
「じゃあ、ちらちら見る」

ようこは体だけ横に向けると、本当にちらちらと顔を向けだした。
相変わらず、感情だけで生きている少女だ。
心配してくれているのは嬉しいが、困った。

「変な行動してないで、素直に飯食いに行ってくれ。その間に寝ちまうから」
「……うん」

ためらいがちに頷いたようこは、しぶしぶ部屋を出て行く。
それを見届けてから、啓太は目を閉じる。すぐに意識が遠のいていく。 


ようこは啓太の顔をのぞき込む。熟睡しているようだ。
近所を一周してきただけで、何も食べていない。実際食欲はあまりなかった。
啓太が元気がないというだけで、どうして自分はここまで落ち込むのだろうと思う。
考えがまとまらないし、そわそわする。いや、不安なのだ、自分は。
自分は何をすればいいのか。啓太は寝ているのだから、何もすることはないのだ。
そこまでわかっているのだが、落ち着かない。部屋の中をぐるぐると飛び回ってしまう。
飛び回っては、ため息をつく。その繰り返しだ。

・・・

目が覚めた。壁の時計を見る。昼過ぎか。
と、時計の前を横切るようこ。なんだ、ふよふよと浮いて、ぐるぐる回っている。
ようこの顔がこちらを向いて、とたんに笑顔になる。

「ケイタ、目が覚めたの?もう元気?」
「あ、あぁ、だいぶマシになった気がするが、まだ少しぼんやりするな」
「そう」
咲いた笑顔はどこへやら。惰性でふよふよぐるぐるのようこ。

「なんだ。退屈だったんならテレビでも見てればいいじゃないか」
寝てる啓太を起こしたくなかったから、テレビを付けたりはしなかった、とはようこは言わない。
寝てる俺に気を遣って、テレビを付けないでいてくれたんだな、と啓太は言わない。

啓太はテレビのリモコンに手を伸ばす。付いた画面では、なにやらドラマを放映しているようだ。
若い男が、自宅で一人、ゲホゲホと咳をしている。
そこに来客、恋人のようだ。彼女はかいがいしく世話をし、男の看病をする。

はじめのうちこそ、ぼんやりとテレビを見ていたようこだが、
そのうち、肩が小刻みに震えてきた。背中越しに、啓太からは顔は見えない。

「おい、ようこ?」
「ケイタ」
振り返ったようこはうつむいており、啓太にはその感情をくみ取れない。
仮に顔を上げていたとしても、その曖昧な表情を啓太に理解するのは無理だったろう。

それは仕方ない。彼女は今、自らが行うべきことを得た喜びに打ち震えており、
そこまで気が回らなかった自分の不甲斐なさに怒りを感じており、
こういう経験を今までしてこなかった自分に対する悲しみに暮れており、
それ以上に今から行う行為を思うと、楽しくてしかたがないのだ。
喜怒哀楽をいっぺんに感じているようこの表情は、啓太の理解の範疇を超えている。

「ケイタっ!」
「お、おう?」
一転、顔を上げて、必至な顔で啓太の名を呼ぶようこ。
ようこの急変にうろたえる啓太。

「ケイタ、携帯かしてっ!」
「あ、あぁ。ほら。どこに電話すんだ?」
啓太の手から携帯をもぎ取ると、飛ぶようなスピードで(というか実際飛んでいるが)、
部屋から扉一枚隔てただけの台所に向かうようこ。
たどたどしい手つきで携帯のボタンを押し、電話をかける。

「もしもしっ!なでしこ?うん、ようこ」
「なんだ、なでしこちゃんにかけてるのか」
「うん、うん、でね、ケイタがね……」 


啓太は思う。なでしこに看病に来てもらおうというのだろうか。
普段、どんな理由であれ、年若い女性(および犬神)が啓太に近づくのを許さないようこだが、
病気の時は、譲ってくれるらしい。なかなかどうして、気の利いたことを。

「ううん、それはいい。うん、それでね、お願いが……」

ようこの声が小さくなっていき、啓太には聞き取りにくくなっていく。
話の内容は察しが付いているんだし、聞き耳を立てる必要もないだろう。

・・・

なんだか、なでしこに看病に来てもらうことを頼むだけにしては、話が長すぎると思っていたら、
台所から異音が聞こえてきた。ガッチャンドタバタ。なんだなんだ?
起き上がって、台所に向かおうとする啓太。

「ようこ、この音なんだ?」
「ケイタは安静にしてなくちゃダメっ!」
「あれ?」

気がついたらベッドで横になっている。しゅくちだ。
「いや、そんな神経質にならんでも、だいぶ落ち着いたって。それより……」
再びようこの元に向かおうとした啓太だが、
「こっちきちゃダメだったらっ!」

騒音の中からようこの叫び声がして、やはりしゅくち。
「そんなこといってもだな、なんなんだこの騒音は」
「いいからおとなしくしてなさいっ!」
しゅくち+重しの狸の置物+啓太の「ぐぇ」という、うめき声。

「お、重い……、こら、ようこ、い、いったい何のつもりだ……」
ようこの声だけが聞こえてくる。
「ケイタ、ちょっとの間、おとなしくしててね~」
甘い甘い、楽しげな声、世界中の幸福を独り占めしたかのよう。

「ぐ、ぐぇ」
かたや、潰されて死亡寸前の蛙のような声。世界中の不幸がのしかかっているよう。

・・・

啓太はぼんやりとした頭で、状況を理解した。
おそらく、多分、確実に、なでしこちゃんは来ない。なぜならずっとようこと電話しているからだ。
台所からは、異音が続く。もはや騒音を通り越して、轟音だ。
あれは、多分、もしかしたら、料理を作っているのだろう。
料理でガギギギギゴゴゴゴギュルンバリバリという音が出るとは思えないが、
状況からすると、その可能性を否定できない。

啓太はぼんやりとした頭で、途方に暮れる。
だいぶ回復したとはいえ、風邪を引いている上に、体の上の狸が重い。手足一本動かせない。
その上、この後は試食タイムだ。それは確実に、今以上に啓太の身を危険にさらすだろう。
なにせガギギギギゴゴゴゴギュルンバリバリの結果としての料理だ。死ぬかもな、俺。

だんだん腹が立ってきた。なんで俺ばかりがこんな不幸な目に合わないといかんのだ。
なんで俺は、一番俺に危害を加える魑魅魍魎と同居しているのだ。くそっ。退治してやる。 

「できた~」
ようこの嬉しげな声が聞こえる。
「うふふ、ケイタ、ねぇ、ケイタ、『食欲がなくてもたべなくちゃ~』」
先程テレビで言っていた台詞そのままに、台所から部屋に戻ってくるようこ。
啓太は戻ってきたようこを、十分に殺気立った目で睨んでいるのだが、ようこは気にもかけない。
というか、全く見えていない。
ようこの手には、土鍋が一つ。あれだけの怪音を出しておいて、土鍋一つ。

「あらら?ケイタ、どうして狸さんのせてるの?」
「おまえがのせたんだろ?いいからどかせろ……」
抑えきれない怒りを、無理に抑えたような口調の啓太。
「あ、あはは~、そだっけ?ごめんね~」
人を生死の境に追い込んだとは思えない口調で、ようこが謝ると、啓太の体の上の重しが消えた。

「おまえなぁ、いったい何考えてんだっ!殺す気かっ!」
「そんなことより~、ほら、これみて~」
「ふざけんなっ!」
ようこに掴み掛かろうとした啓太の勢いと、土鍋を差し出そうとしたようこの動作が重なり、
啓太は土鍋をたたき落としてしまう。

「あっ」
床に落ちた土鍋からは、中身がこぼれる。黒こげのご飯。

ゆっくりとしゃがみ込み、黒こげのご飯を見つめるようこ。
俯いたまま、それに手を伸ばす。

啓太は後悔する。わざとではないとはいえ、これはやり過ぎだ。
しゃがみ込んだまま、じっと動かないようこ。

「なぁ、ようこ」
ようこは俯いたままだ。
「その、悪かったよ」
ようこは俯いたままだ。
「ただ、おまえも悪いんだぞ、俺、死ぬところだったんだからな」
ようこは俯いたままだ。
「なあ、聞いてんの……」
「うわーーーんっ!!」
「なっ」
「えーーんっ!えっぐ、えっぐ、えん、ぐすん、うわん、ひっく、えっく、うわん」
おもちゃを取り上げられた幼児のように、ボロボロと涙を流すようこ。
泣き声は止まらず、涙はあふれ、ぽたぽたと黒こげのご飯の上に落ちていく。
「よ、ようこ?」
「ぐすん、ぐすん、ひーん、えっぐ、ぐずっ、えっく、ひっく、ぐすん」
「お、おい、な、泣くなって」
「うわーん、うわーん、ひっく、うわーん」
「俺が悪かった。謝るよ、ごめんな、ようこ」
「ぐすん、ひっく、ぐすっ、ちがっ」
「な、もう泣きやんでくれ。せっかく俺のために作ってくれたのにな」
「ぐすっ、ち、違うの」
「えっ?」
「私、ぐすっ」
「うん?」
「作ったの、ぐすっ、おかゆ」
「そ、そうだな」
「ぐすっ、黒こげ、うわーんっ!」
「ま、まあ、ちょっと、焦げちまってるな」
「私、ぐすっ、ケイタに、ぐすっ、黒こげしか、えっく、あげられない」
「……」
「うわーんっ!」 

啓太はようやく理解した。ようこが何故泣いているか。
啓太に拒絶されたことを悲しんでいるわけではない。
啓太のために何かしたい、啓太のためにおかゆを作ってあげたい、
それなのに、自分が啓太にしてあげられることは、焦げたご飯だけだということに、絶望しているのだ。

「ようこ、もう泣くな」
啓太はようこの背に手を回し、優しく抱きしめる。
泣きながら、しがみついてくるようこ。
あやすように背中をなでてやる。
「なぁ、ようこ。黒こげしか、とか、そんなことないから」
「ぐすっ。で、でも」
「今から一緒に作ろう。おかゆ。おまえが作るの、見ててやるから。
 いくらなでしこちゃんでも、電話越しじゃ、うまく伝えられないって。
 ちゃんと教えてやるから。できるから。ぜったい」
「ほ、ほんと?」
「あぁ、本当だ。だから、ほら、涙、拭け」
「う、うん」
「さ、立てるか?」
「うん」
まだ少し涙の残るようこを、抱き上げるように立たせ、台所まで手を引いていく。
片方の手でようこの手を握り、もう片方の手で、炊飯器のボタンを押して、中を確認する。
「よし、まだ残ってるな。ほら、ようこ、鍋、とって」
彼女の背にまわり、彼女の腕に手を添え、彼女に鍋を取らせてあげる。
そのまま、文字通り手取り足取り、彼女の料理を手伝う。

「うん、味付けはそんなもんだ。わかったか?」
「うん」
背中越しに、ようこの耳元で囁く啓太。
啓太は彼女がもう泣きやんでいることはわかっていたが、
うつむきがちなその頬が、真っ赤に染まっていることまでは気づいていない。

「さ、これでできあがりだ」
「ね、ケイタ」
「うん?」
「ケイタ、ありがとう」
「なに、礼を言うのはこっちだろ。今日は俺のために飯を作ってくれたんだし」
「うん。でも、いっぱい、ありがとう」

ようこは啓太の方に振り返る。染めた頬。濡れた瞳は、先程までとは違う理由。
感謝の気持ちを表したい、いいえ、そんな理由はなくて、私がしたくてするのだ。
キスをするのに、愛しているからという以外の理由は、必要ない。

啓太の唇に、自分の唇を重ねる。しばらく、一瞬、いや、永く永く。 

「うん、おかゆ味だな」
唇を放した後の啓太の一声。相変わらずムードを考えない。
「おいしい?」
「まあまあかな」
「なによ」
「これから、もっともっと上手くなるさ」
「うん」
見つめ合う二人。ようこは思い出したように声を出す。

「ねぇ、食べさせてあげよっか」
「それはいい」
「どうして?ケイタは病人なんだから、私があーんしてあげるよ?」
「そうだな……。食べさせてもらうより、一緒に食べる方がいいな。
 料理もそうだ。作ってあげたり、作ってもらったりじゃなくて、
 一緒に作らないか。一緒に作って、一緒に食べよう?」
「……うんっ!」

半病人と元気な少女は、寄り添って食卓を囲む。
ふたりで食べるのは、シンプルなおかゆだけ。
ふたりとも、病人だからそれでいい。
えっ、彼女も病気?恋の病に付ける薬はないと申しましょう。


4|06/05/13