技術考察、思い出話、ボヤキ


新HPへの移設に伴い、今後は隊員Blogにて更新していきます


09 8/10
文責:IRVING

「初オフ会 09 in Tokyo」


新幹線で朝早いし早く寝よう
    ↓
土曜日のサバイバルを早い目に切り上げる
    ↓
あ、俺バリバリ夜型でしたサーセン(^ω^;)
    ↓
何か空明るくなってきたよ!蝉と鳩鳴き出したよ!
    ↓
家出る直前に大雨降り出したよ!
    ↓
でも新幹線間に合わないよ!
    ↓
友達に借りパクされてて傘無いよ!
    ↓
髪も服も濡れ濡れだよ!

 …というカオス状態で始まった[BM's]オフ会初日。タイチョ様のレポートです。
8時20分の京都発東京行き新幹線に乗るために7時30分頃に家を出ましたが、外は大雨で速効orzな気分でした。ウォークマンで音楽聴いてテンションも復活したところで、京都土産の八つ橋を買ってから新幹線に搭乗。こっから2時間以上の長旅です。車内乗務員のお姉様に性欲を持て余しつつ、dra,pero,yagoのクラメン三人に「11時30分集合」の念のため確認に、メール一括送信。…したものの、返事がないただの屍のようだ。寝てるの起こしても悪いなぁと思い、自分も車内で寝ることにしました。流石に一睡もせずにオフ会はきついようなきがしたので。で、やっとウトウトしだした頃に携帯のバイブでたたき起こされました。相手はペロ。死んでくれ。寝起きで若干ムカつきながらも段取りを決めて、何度かメールのやりとりしていたらいつの間にやら東京駅。流石は新幹線、速いです。

待ち合わせ場所の上野駅に少し早い目に着いたので、持ってきた「ベロニカは死ぬことにした」読みながら、スタバで遅い目の朝食をとりました。隣に座ってきたカワイイ女の子に「隣いいですか?」⇒「何読んでるんですか?」的な流れで会話が弾みそうになり、性欲を持て余しそうになったところで、再びペロ助から到着メール。死んでくれ。「友達来たからもう行くね」と中央改札に向かったんですが、全然居ない。四分程探したところで「ダンボール被ってます」と電話が。少し引き返したところにありました。「No Place for HIDEO」と書いた大きめの段ボールが。本編の兵士よろしく、もしかしたらスルーしてしまっていたのかもしれないです…。で、お決まり通りちょっと蹴って持ち上げようと思ったのですが、一度蹴ると楽しい悲鳴を聞かせてくれたのでさらにもう一発。挙句の果てには両手でバシバシ叩きました。だいぶテンション上がっててつい。飛び出てきたのがこれまたウホッ良い男…。しかも身長182cm(だっけ?)。でか杉ワロタw こりゃあきっとチンk(ry

ドラさんからも「今起きた」的なメールが来て、こりゃあ駄目だと思い二人で街を散策。暑すぎたのでマクドに避難しました。「マクドwwマックだろww」「東京のポテトはちょっと塩辛いね!塩分濃いと頭悪くなるよ!」などなど地域ギャップを感じたりもしましたが、流石四年来の付き合いもあって普通に意気投合してました。歳も一つしか離れてないし。噂の中田商店で軍モノ見た後にドラさんを迎えに駅へ。ドラさんとは6月に東京で会って以来だけれど、やっぱりオッサ…何でも無いです。で、三人で再び上野をふらつきました。暑いわムシムシするわで文字通りふらつく。東京つっても何も珍しいモノは無いと思いました。上野だから?いいえ、京都も都会だからです。

秋葉原のプラモ屋で買いたかったもの揃えたり、えっちぃなお店を一階から五階まで制覇したり、「煙草吸いたい」「どっか店に入らないと吸えない」「どこにも三人座れるとこない」と放浪した揚句にゲーセン寄ったところで、yagoさんとDEBRIのアリスさんと合流しました。5人そろったところでかねてから行きたい行きたいと思っていた冥土喫茶に突撃…したのですが5人座れない。で、仕方なく妹喫茶に。リアル妹いるのに。とくに絡みたいとも思いませんでしたが、特に絡みも無かったです。あんなものなの?次こそホンマモンの冥土喫茶に行くと、心に決意した20歳の夏でした。で、20時に予約してる飲み屋までカラオケでも行くことに。MGS3の「Snake Eater」がありました。PVもついていてテンション上がりました。でも音程高すぎて喉が死にそうでした。

DEBRIのNOBさんは今日は参加できそうに無いらしく、結局このメンバーで上野の和民へ。「生」「生」「生」「…しかたない、生」「生四つ」「…ウーロン茶(V^ω^V;)」と、一名空気の読めないオサーンが居ましたが(僕も相当に下戸なので嫌でしたが)、とりあえず障害も無く飲み会は始まりました。早々と料理が出てくる店内をみて「連中、SOPで繋がってやがるぜ」「スキャニングで営業妨害してやんよ!」とMGOオフならではの会話が弾み、やっぱり付き合いもお互い長いから、内容はBM'sの歴史のことだったりMGOでの技術的なことだったり…が続くはずだったのですが、30分くらいするともう大人の時間が始まりました。アッー!ネタが多かったのは流石このクランクオリティと云いますか、アリスさんにドン引きされなくて良かったです…。目、鼻、口、耳に煙草突っ込んで注文する、勝利の歌歌い出す、などなど、カオスとしか形容のしようが無い飲み会だったと思います。誰も脱がなくて良かったです。こんなことかいたら次こそ本当に誰かが脱ぎそうですね。というか某女王様に脱がされそうですね。怖い怖い。

なんだかんだで2時間半以上居ついてたような気もしますが、ドラさんの終電が近づいていたので終りにすることに。帰宅組と別れた後、自分は何故かペロ助の元カノの家に泊まることになりました。正直意味がわからなかったですし、見ず知らずの野郎と元カレ二人を部屋に泊める女の子というのも、流石ペロ助クオリティというかなんというか。良い子過ぎて涙が出そうになりました。飲み会で皆に渡すはずだった八つ橋を献上し、早々と眠りこけた女の子を尻目に、自分とペロ助は朝5時頃までPCいじってました。クランHPに飲み会画像をうpしたり、ペロ助が過去に作った動画やら画像やらを見たり、HPをこんな風にしたいねと相談してたりしてました。色んなソフトを弄りながら早々と仕事をこなしているペロ助をみて、なんでこんな凄い奴がいるのにBM'sのHPはショボイんだろうと少し残念な気持ちになりました。せっかくだし、近々移転してすんごいサイトを作ってみたいものです。連続起床時間は40時間以上になり、もはや眠いのに意識がハッキリしているというワケワカメ状態で眠りに落ちました。

 翌朝は11時に起床。6時間も寝れたのは久しぶりです。軽く今日の予定を決めるつもりで話していましたが、特にプランも立てられなかったような気もします。元カノさんが買ってきてくれたオニギリを食べた後は、ペロ助の大学の所用にくっついていきました。大雨の中大学まで歩いたので靴も靴下もずぶ濡れでしたが、もはやテンションMAX状態だったのでどうでもよかったような気もします。図書館でペロ助が帰ってくるまで時間を潰して、二人で家に戻りました。グダグダと昨夜の続きでPCを弄り、旧MGO時から構想練ってた動画の頭にくっつける予定のフラッシュを試作したりしながら、二日目の飲みまで時間を潰しました。DEBRIのノブさんとオーランドさんが来れるというので、yagoさんと自分の四人でもう一度飲みに行こうという話になってたんです。

結局東京観光はどこにもいかず、飲みの時間に。送ってくれたペロ助に「近い内にまたやろうな!」と別れを告げ、再び上野駅へ。NOBさん、オーランドさんとはここで初お目見えでした。二人とも立派な社会人。学生ばかりのウチとは大違いです。時間もあまりないので、駅出てすぐの飲み屋に直行。終電の22時近くまで有意義な雑談を交わせたと思います。立ち回りやらエイミングのことやら。ヤゴさんはこの場でも相変わらずでしたが…。1プレイヤーとしても、クランとしても、もっと仲良くなっていきたいなぁと思いましたね。お二人とも、もっとゆっくりした時にまた会いたい人柄でしたし。

帰りの新幹線では携帯の電源もお疲れだったので誰かとメールをすることもできず、動画に使う予定の曲をずっと聞きながら、一人で楽しかったなぁとニヤニヤしていました。初のオフ会、四年来の古参メンバーはペロ助としか会う事はできず、それでも新しく知り合った人だって、DEBRIの方々だって、MGOを通してこそ会う事になった人たちですし、MGOだからじゃないと、会う事はできなかった人たちです。自分は想像力貧困な方で、ネット上で会う人っていうのはチャットやBBSでの書き込みからわかる文章としての「丁寧さ」「大人っぽさ」「子供っぽさ」、若しくはVCの声などからわかる情報だけを相手に当てはめているので、結構皆似たような人柄や顔を想像しがちでした。でも実際にあってみると色んな性格的特徴がわかりましたし、風貌やしぐさというものは相手を判断する上での重要な情報なので、これから対戦協力する度に思いだして活かしていけるものでもあると思います。MGOをやっていなかったら、まず現実社会で話すこともなかっただろう人達。ネットの暗部分ばかり取りただされる昨今ですが、個人的にはこういう面白さがオンラインゲームをやめられない理由だと思ってますし、人との出会いが成長に繋がるのであれば、ネット以上にそれに特科したものは無いのではないかと思います。


他のクラメンやフレにも是非とも会いたいものです。
皆様本当にお疲れ様でした。段取り決めてくれたペロ助ありがとう。泊めてくれたハーコちゃん有難う。お金出していただいた諸先輩方本当に感謝してます。次は是非とも関西で。あわよくば京都にて。お待ちしております。



  • 次回オフレポ、「京都にてアッー!の巻」にご期待下さい -- IRVING (2009-08-11 20:19:52)
  • <<なぜ、こんな所に段ボールが…>> -- ぺろ (2009-08-12 14:26:08)
  • あんたは再びあんたの部隊を作るんだ。10月6日に向けてな。この6年間、俺達は互いに実力をつけてきたはずだ。大丈夫、俺たちの場所は俺が確保しといた。6年前あんたと俺で計画していた物にいろいろ要素を追加した新しい基地だ。じゃあボス、10月6日に会おう。 -- the man who sold the world (2015-09-25 15:49:11)
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09 7/22
文責:IRVING

「はじめてのおんらいんげぇむ」~がみがみ女の思ひで~


 MGOとあまり関係無いような気もするけど、オンラインゲームのマナーについての記事。
僕が初めてオンラインゲームというものに触れたのは、狂った猿のように-自主規制-してた小学校を卒業したぐらいのとき。「一家に一台PC!」なんて触れ込みが段々と浸透してきて、CMでは「よっしゃおらぁ!ISDNはじめちゃんっ!」と謳われていて、我が家もついにPCを導入した頃だ。その頃ってのはまだまだオンラインゲームというのもどちらかというとアングラな感じだったんだけれど、どんどん進むPC技術、ブロードバンド技術とともに、少しづつ世間に知られ始めていた。で、PC導入したもののインターネットも別につまらんし、パソコンて楽しくないね(´・ω・`)てな感じに僕は思ってたわけだ。

そんなある日、戦闘機好きの友人から「第二次大戦モノのフライトシューティングみっけた!」と言われたのが、そもそものオンゲーにハマっていった始まり。同じく戦闘機大好きだった(特にレシプロもの)僕は、その話に見事に食いついた。「あかうんととうろく?だうんろーど?いんすとーる?わけわかめ」と悪戦苦闘しつつも、なんとか導入完了。念願の多人数対戦型フライトシューティングゲームをできることになったのね。


 元々は米国で開発されたものがサービス停止⇒韓国の有志がサーバー設立、という特殊な経緯で運営されていたゲームだから、日本のコミュニティも公式なものがあるわけじゃなく、有志の努力で日本語での説明を行ったり、クラン(Squad,チームと呼ばれていた)を設立したりと、なんとか盛り上げようとしていたところに、僕も参加した。日本からの参加者はアクティブな人だけで100人いただろうか?それくらいに人数も結構少なくて、韓国サーバーにお邪魔しているという感じだったから、マナーも徹底していた。

個人での参加は認められず、ゲームをするためには必ずどこかのSquadに所属。基本的な操作方法、マナーなどを叩き込まれてから参加できることになっていた。特にマナーってやつが海外で運営されている飛行機モノだから結構特殊で、チャットが日本語に対応していないからアルファベット、挨拶などにはじまる会話がすべて英語などなど、小学校上がったばかりのハナタレ小僧には、中々辛いものがあった。でもまぁ割と吸収の早い時期だから、僕もすぐに慣れていった。今でも覚えている英語のネットスラング、アリーナに入った時の「hi all(みなさんこんにちは)」、敵に落とされた時の「gk,nk(good kill,nice kill,良い腕だ)」、良い戦いをした時の「n1(nice one,今のは良かった)」、お礼の「ty(thank you,ありがとう)」、了解の「rgr,cc(roger,copy command)」、交戦開始の「eng(engage)」、別れの挨拶「cu(see you,さよなら)」「cya(see you again,またね)」、語尾に付けると親しみの感情を表す「m8(mate,相棒、sがつけば複数形)」などなど、色んなネットスラングを覚えて、会話にもあまり困らなくなった。何より、日本の知らない人と一緒に遊べるのもそうだけど、外国の知らない人と会話がなんとか通じて、一緒に空を飛べるのは凄く新鮮だったんだ。

MGOなんかと比べてルールはTDMかDMしかないし、チャットもアルファベットのみ、飛行機モノだから操作も難しく、やれ速力だの慣性だの見越し射撃だの一撃離脱だのストールターンだのって難しいテクニックがあるから、初めのうちは上級者達にいとも簡単に捻られていった。負けじと色々と研究して、100回撃墜されて1回撃墜するくらいの勢いで練習していくうちに、いつの間にか階級(MGOでいうレベル的なやつ)も最上になり、チームではエース(笑)のポジションで、たまに模様されていた四カ国戦(日、韓、独、英米加)では国内代表にも食い込んだ。努力が結果を結んだというか、格闘戦やらせたら誰にも負けるきがしないくらいに強くなれた。


 そうこうしてるうちに僕のPC名もいろんな国で認知度が上がってきて、日本だけじゃなくて海外にもたくさん知り合いができて、アリーナでも結構ツワモノとしてみられるようになってきた中で、一時期僕と似たようなPC名が大量発生した。名前の模倣ってのが簡単にできるくらいにシステム自体の整備は整ってなくて、プレイヤーのマナーで何とか運営されている状態だったから、そういうのが出てくると結構な一大事なんだ。僕のPC名で禁止されている色々な行為、例えば駐機中の敵機,離陸直後で何もできない敵機を撃墜したり、チャットでイケナイ言葉(shit! fuck ! dam! sex! ass! bitch!)を吐いたり、いわゆる荒し行為ってやつをされると、僕に汚名がかかる。「BM's_IRVING」という具合にPC名の前にクラン名を書く習慣だったから、チームにも汚名がかかる。下手すると、日本からのプレイヤー全員がそういうことする連中とみなされるかもしれない。これは凄くいけないわけだ。

で、僕は拙い英語でいろいろと必死に弁解した。腕に自信があったから、アリーナでは同名の荒しを立て続けに刈っていった。いわゆる「目には目を」ってわけで。「荒しには荒しを」的な。何人かの人たちは僕に同情してくれたのか、一緒に戦ってくれたり(DMアリーナでの連携行為は禁止なんだけど)もした。でも、日本コミュニティの管理の人たちはこう助言してくれたんだ。「無視しなさい。しばらく謹慎するか、別のPC名で飛びなさい」って。オンゲー自体がアングラだからなのか、ただ単にユーザー数が少なかったからなのかわからないけれど、日本からの参加者は30~40代くらいが圧倒的に多くて、厨房の僕から見れば大人も大人。下手すると実の親父より年上って人が何人もいた。彼らの言葉に「でも実際に同名のやつに荒されていて、どんどん汚名が溜まってんでしょ!」と当時の僕は反発していたのを覚えている。今思えばなんて糞ガキなんだと、恥ずかしい位なんだけれど。結局一月くらいで大騒ぎは静まり、僕も元通りに飛行することができるようになった。

騒ぎが収まったのは僕が必死こいて「目には目を」をしていたからではなく、なんだかんだで周囲の大人の言うとおりにして、知らない間に彼らが海外のコミュニティに、英文でこの騒ぎのことを説明していてくれたからだ。面目ないというかなんというか。結局荒しには静観が一番良いというわけ。何か反応すれば彼等は面白がってさらにヒートアップするし、まさにイタチごっこ。なんにでも言えることなんだけど僕はこの一件で、熱くならずに頭冷やすことの大事さを教えられたんだね。彼等はコミュニティの管理者だったり各チームのリーダーだったりすると同時に、僕の人生の先輩にもなってしまったわけだ。オンゲーってやつは友達作るだけじゃなくて、何かを学べる場でもあるんだよ。


 これがこのクランの「規約」に書いてある、荒しへの対処は無視、放置の理由なんだ。まぁ、色々とネット経験豊富な君らなら言われなくてもわかってるかもだけどね。そういうのって、後から思い返せば「厨房くっせぇw」「きめぇw」と、恥ずかしい気持ちになるものなんだよ。MGOの場合、相手もほとんどが日本人でチャットも漢字までバッチリサポートしてるし、言葉の暴力が凄く容易なわけだ。空気を読んで、ダンディーな対応をすることがとても大事。それがわからないなら、学べないなら、このクランには要らない人材といっても過言じゃない。相手の立場に立つことはもちろんだし、輪を乱さない努力をするのはもっと大事。暴言だけじゃなく、試合に関する消極的すぎなチャットとかもね。



副題の~がみがみ女~ってのは僕の愛機だったSpitfireのことだ。
小回りが利いて加速性も運動性も良く、火力も強い名機。
小うるさいけれどベッドの上では従順でいて大胆。
名機で名器で良い女ってことさ。


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09 5/27
文責:IRVING

「悶絶チームは如何にして鍛えられたか」


 今回はいつもサバイバルでお世話になっている悶絶チームについて書こうと思う。
サバイバル初参加がかなり遅かった僕は、丁度悶絶チームのメンバーとして出だした頃がサバイバルを始めたのと同時期だ。clan[BM's]としてのMGO参加は、今みたいに訓練時期とかが整っていなかったから無いに等しく、野良としてのサバイバル参加は、知らない人どうしでチームを組むのがどことなく寂しくて、公式戦は何となく敬遠していた。実力至上主義の風潮に少し幻滅していて、MGOでのフレとの繋がりに僕自身が飢えていた頃だ。

一番最初にドラさんに誘われて悶絶チームにお世話になった以降、サバイバル出場の度にリーダーの悶絶さんは僕を招待してくれた。本人としては別に大した意味などなかったのだろうけど、こっちは結構嬉しかったのね。見ず知らずの(ただ単に共通のフレがドラさんであるという繋がりだけ)僕をいつもチームに誘ってくれるなんて…。そんな風に感じつつ、僕は相変わらずあまりサバにはいかず、フリーで遊んだり、サバに出ても野良チームで参加したり。なんとなくお邪魔するのが悪い気がしていたのだ。でもあまりに悶絶さんの招待が毎度毎度来るので、「んもう!付き合ってあげる!」と、常連になったのである。その頃は自分の失敗で負ける度に、居心地の悪い気分を一人で感じていた。まだどことなく、余所者であるという意識が自分の中にあったんだろう。

常連になったのは良いものの、現在のように毎回コンスタントに五連勝できるようになるまでは数ヶ月要した。僕が参加した頃、悶絶チームのレベル平均は大体11~14だったように記憶している。当然ながら14,15,16辺りで固まっているクランや「レベル15以上^^GP1800以上^^それ以外お断り^^」なんて制約を設けているチームには勝てなかった。対するこちらは野良の人の参加はレベルGP共に制限をかけていないという性格だったし、お互いに知り合って間もないからチームの連携もバラバラ。一度のサバで数回しか勝てない日も何度もあった。まさに参加賞狙いってやつだ。悔しい思いばかりして、それでも貴重な一勝に歓喜したり、アホな駄弁りばかりしつつ、良い雰囲気を保ちながら連勝チームになったのである。これは紛れもなく強くなった証拠なんだろう。チームとして強くなる秘訣が、悶絶チームには隠されているような気がするのだ。


 個々の役割分担、各ルールでの動き、そんなものは、負け続けの戦いの中で少しづつ作られていった。
チームの実力が何もかも白紙とはいえ、決定的に欠けていたものは恐らく射撃技術なんだろうけど(多分それは今でもチームの課題として残っている)、MGOの良いところは、エイムが下手でもある程度まではルールを利用してチームワークで勝てるところにある。そこをとりあえず理解し、たとえ負けばかりでもがむしゃらに経験を積みながら、悶絶チームは成長していったように思う。とにかく試合に参加し、事前に申し合せる事は少なかったけれど、色々試行錯誤して作戦のようなものが形作られていく。

ルール毎のセオリーが出来上がりつつある中で少しづつ2勝,3勝と連勝できるようになり、同レベルもしくは少しだけ上のチームにもぼちぼち勝てるようになっていった。チームの根幹にあったのは、やっぱりこのHPにも書いてある「みんなでやって楽しかったら良いじゃないか」という、オンラインゲーム本来の目的である仲間が居る楽しさだったのだろう。少なくとも僕はそんなものを意識していつも戦っていたし、周りも同じように感じていてくれたら良いなと、漠然と思っていたのだ。ていうかそう思ってないと、毎回のサバでほぼ確実に集まるってことは無いだろう。ひどい負け方をしても、できるだけチームの士気を低下させるような事はしたくなかったし、悶絶さんが試合前に毎回言う「勝つ!」という単純な鼓舞なのか独り言なのかわからない言葉に、いつも気持ちがリセットされていた。

今ではほぼ固定メンバーになってしまったけど、野良の人が入れる人数だった頃は凄く反響が良かった。参加してくれた人は結構な確率で「楽しかったです!フレ登録してください!」とメールをくれたし、リピーターも何人か居た。事実現在の固定メンバーの一人は、チームの誰ともフレでは無かった野良の人だ。そういうことがあるという事は、やっぱりみんなで楽しくプレイできていたという証拠なんだろう。チームの雰囲気というのは凄く大事なのね。


 それぞれが各々の得意分野を持っているのも、ここまで育った要因に思える。
レベルだけ見ればチーム内で一番低いのに、「ステゴマの奇跡」で絶望的状況から勝利をもたらし、「ステゴマ文庫」で敵味方問わず大混乱に陥れる捨て駒さん。「ターゲット設置は俺に任せとけ!」な活躍をみせ、RESで生き残れば僕と淡い蜜月を過ごし、<<大胆に…いっちゃうよ?>>の無線で毎回萌え殺してくれる、我らがリーダー悶絶さん。どんなルールでもドラム缶を多用して「ドラム缶先生」の異名を持ち、一日何回抜いてんだよ!と思わずツッコミを入れたくなる性欲を持て余す男代表のマッドさん。天才的砂技術でガシガシ敵を殲滅し、数多くのギリギリアウトな状況を救ってくれた、僕の中では「カバー神」な位置づけの梅さん。スキャニングで(極稀に)良いところを見せ、「1ラウンド目にこの人が一位だと負けフラグ確定」のドラさん。そして『某配管工装備』で、ドラさんと二人して敵チームから『マリオとルイージおるww』と言われるのが密かな楽しみな僕。

よくこれだけ個性的な面子が集まったものだなぁとつくづく思う。「あれはあの人に任せて、自分はこれをしよう」「後ろはあの人が守っているから大丈夫だ」阿吽の呼吸ができ、絶対的な信頼を置ける仲間たち。戦闘中は中々全体には気が回らないけど、改めて思い返せば、誰かにやってほしい自分の求める行動を、必ずと言っていいほどやっていてくれるのだ。一緒にいつも戦ってきたからこそできる連携。一人がミスをしても誰かがカバーしてくれる安心感。辛い状況から、いつの間にやら良い状況になっている不思議。忙しい飲食店でホール業務に就いている僕には、この大切さと難しさが凄くわかる。

この人たちの一人でも欠けていれば、今のようなチームにはなれなかった。もちろん「勝つこと」が目標で毎度毎度参加しているサバイバルではあったけれど、やっぱりこの人たちと一緒に遊ぶ楽しさが僕をMGOに繋ぎ止め、このチームに出会えなかったら、きっと今のMGO生活は無かったんだろう。この場を借りてお礼を。本当に感謝しています、ありがとう


 まとめてみれば、「楽しくやること」「負けても挫けずに続けること」がチームの成長のカギなんだろう。
MGOをプレイするのは殆どサバイバルだけという理由もあるが、いつの間にやら悶絶チームのレベル平均は14~16になり、最初の頃に「絶対勝てねぇw」とボヤいていた相手のレベルに追いついたわけだ。未だに「強そうだぜ…」なんて試合前に悲観してみても、自分達だってレベルだけみれば同じようなものなのにね。僕自身も変動はあるけど2~3はレベルが上がり、肝心の実力だって、それなりに上がったと自分では思い込んでいる。でもそんなものは結局二の次で、勝てるようになってきた結果として付随しているだけだ。何よりも大事なのは、先ほど書いたようなオンラインゲーム本来の楽しさを満喫すること、そこに楽しさを見出せること。そんな当たり前の事が全部の根底にあるんだろう。


  • ブワワッ(ρω;)
    全俺が泣いた‥
    当初はもう一人いて悶絶さんのクランの方がリーダーで自分がゲストみたくやって怠け者4人で参加していました。
    しかしその人が引退状態になりサバイバルではクランシーチキンと少し交流したり、隊長などフレンドが増えてきた辺りから随分状況は変わりました。
    後はご覧の通りですがMGOの歴史そのものですよねホント -- dra (2009-05-27 19:38:23)
  • ドラさんの顔の位置がアーヴィングさんの股間に・・・やっぱりドラさんって・・・・ -- うめ (2009-05-27 21:20:44)
  • みんな強くなりましたよね、個人でもチーム的にも。画像は編集の際にモザイクとか入れてそれっぽく作ろうと思いましたが、流石にやめました -- IRVING (2009-05-27 22:04:26)
  • そんなことがあったのね(´ω`)b にしてもおいらのデザインしたクラブエンブ…っていう話じゃないね(苦笑)。最近オートマッチングでやってるけど、自分勝手やってる人が結構居て、カバーしなきゃとか頑張るんだけど、なかなか上手くいかないなぁ。やっぱり、固定で遊ぶ人を決めるぐらいの勢いの方がいいんだろうかって思えたよ。 -- akanamazu (2009-05-30 00:18:38)
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最終更新:2015年09月25日 15:49
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