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アルカディア翻訳会(2008年1月)                            
① パナマ運河の西端にあるミラフローレス閘門ほど、海の旅について考えるのにふさわしい場所はこの地球上に数少ない。穏やかな3月の夕方、熱帯の真っ赤な太陽が、ジャングルに覆われた丘に沈もうとしている。目の高さでは、手が届きそうなくらい近くを、一隻のコンテナ船が滑るように通り過ぎる。クライスラー・ビルを横にしたくらいの長さがあり、色とりどりの金属製のコンテナが高く積み上げられたその船が、閘門の中にするりと入り、大きな鉄の扉が閉じると、6万5千トンの船はガトゥン湖からの最終段階で水位を下げられる。つぎに、低いほうの門が大聖堂の扉のように開くと、巨大な船は牽引ワイヤで前方に引っ張られる。そして、エンジンを始動させると、太平洋に向かって進み出す。
 
②  ぼくは長年、船と海に魅せられていたが、車やジェットコースター、ぶらんこなど、動くものに乗るとひどく乗り物酔いするたちなので、その思いは十分に果たせずにきた。乗り物酔いは、若きダーウィンとぼくの間にいくつかある共通点のひとつだ。博物学者として調査旅行を行った彼は、ビーグル号で航海した5年間のほとんどを、激しい船酔いに悩まされた。2週間なら何とかなるだろうが、念のため、吐き気を抑えるのに十分な量のドラマミンを持ってきた。
  運河の河口から出ると、ミラフローレス閘門への水路に入っていくたくさんの船に注意しながら進む。外洋に向かうと、パナマシティーの輪郭が朝もやの中に消えていく。アンドルーが安定した風に白い帆を合わせて、スターボードタックにすると、シャングリ・ラ号は水面を切って順調に南下する。2、3時間もすると、太平洋に浮かぶのはぼくらだけになる。
 
③  海の広大な広がりに包まれるとたちまち、陸上での習慣から完全に切り離された状況に陥る。断固たるメディア中毒者のぼくにとって、ブルートゥースによる通信を切断されるのは深刻な事態だ。船の上には、衛星電話や携帯電話、無線通信はなく、もちろんインターネットもない。
  こういう状態はつらいが、ぼくらの小さなグループはすぐに、船を走らせるために実際的なやり方を定める。メンバーは2時間交替で舵の前で見張りにつき、ぼくは午前と午後、2時から4時の間を受け持つ。残りの時間は本を読んだり、話をしたり、日陰でうたた寝したりする。大学以来はじめて、1日で小説1冊を読み終える。アンドルーと、ぼくらの友達でバーモント出身のタッカー・ティエルは、クリベッジとリスクをかけ合わせた長時間にわたるゲームを考え出した。オーストラリア人のインターネット起業家、リース・ヘイズは、ガールフレンドのために美しい装飾文字のついた革でiPod用ケースを縫って、時間を過ごしている。
 
④  トローリングをして、小ぶりのブリが釣れると、ローマ法王が訪問したみたいに大喜びする。メーン州のクルー仲間のジェレド・グラントは、デッキの上で巧みに獲物をたぐり、アンドルーがそれを情け深く手早くさばく。 タッカーは一匹の魚から、寿司、セビチェ、タコス、チャウダーの四皿からなる見事なコース料理を魔法のように作り出す。
  一日一日の区別が次第にあやふやになってくる。やがて、赤道無風帯を越える。これは赤道を取り巻く巨大な帯で、気圧が低く風は穏やかだ。ほかの船はまったく見えないが、生き物は豊富だ。アジサシが船の手すりの上で羽を休め、シオゴンドウの小さな群れが船の近くで水面におどり出し、イルカが舳先の波の中で遊んでいる。単独行動する大きなオサガメまで見つけた。春の回遊のためにガラパゴスに向かって泳いでいる。真夜中に舵につくと、ぼくは片目で見て、南十字星の長い軸の方向に針路を合わせる。この星座はぼくらの行く手を示してくれている。それ以外のときは、真っ暗な海と、船が通り過ぎて揺り動かされた海の発光生物の神秘的な緑色の光をじっと見つめる。
 
⑤  パナマを出発してから14日目の明け方、水平線にばら色のぼんやりしたものが見えてくる。海と空のかすんだ境目とほとんど見分けがつかないほどおぼろげだ。フランチェスカが「見えるわ!」と叫ぶ。穏やかな海面からまっすぐ500フィートの高さにそびえているのは、円錐形をした火山性の凝灰岩で、「眠れる獅子」の意味のレオン・ドルミードだ。この岩は、ガラパゴス諸島の見張り役だ。その向こうに、緑色の低い島、サン・クリストバル島が見えてくる。
  ダーウィンは1835年9月17日にサン・クリストバル島(当時の名称はチャタム島)に着いたとき、航海日誌にこう記している。「最初に目にしたその姿ほど、魅力のないものはないだろう。真っ黒な玄武岩の溶岩でできたでこぼこの地面は、日焼けした矮小な低木に覆われ、生物が存在するしるしはほとんどない」 そこで発見した生物のしるしが結局、科学史においてきわめて革命的な理論に結びつくことになるとは、彼はまったくと言っていいほど思っていなかった。