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アルカディア翻訳会12月課題訳文 改訂版     20061228日    奥村義治


『幸せの切り売り』(ロリー・ウィンストン)


(1)エリナ・マッケイは、荷を軽くしようと、バッグの中身を取り出して整理しながら、壊れた散水ノズルがどうしてこのなかに入っていたのかと考えている。このときはじめて、夫のテッドが浮気をしていることを知る。


(2)エリナは薄明かりのついた洗濯室のぬくもりの中で羽を伸ばしながら、ノートパソコンで100通以上の仕事メールを整理する気にならなきゃと思う。(小型バストのロシアンギャル!がスパムフィルターにひっかかっている。彼女らを取り出してやろうかな。男の人はそんなことをイイことと思うのかな。)読書会の持ち寄りパーティ用にスパナコピタ(ほうれん草のパイ)でも作ってみようかな。そうだ、みんなギリシャ料理を作るのがいいわ。『イリアス』を読んでいるのだもの。このところ、エリナの思考はこのようにとりとめがない。まるで、子供が、線と線の間に色づけが収まらなかったり、画用紙からはみ出さんばかりに急に動いたり、木を青くし空を褐色にしたりする、塗り絵の手使いのように。散水ノズルを握り締めながら、それを金物屋に持っていって取り替えるつもりだったことを思いだす。これは父から教わった生活のコツである――壊れた部品を持っていきなさい、そうすれば通常は店員が新しいものを探してくれて、その取り付け方を説明してくれる、と。エリナは、友人のカットに電話をしてギリシャ料理のパーティのことを話そうと受話器をとる。そのとき、テッドの声が受話器から聞こえてくる。


(3)「ジーナ、ジーナ」テッドがささやく。エリナは息を凝らす。洗濯機の上の棚にあるボールドやチアーの洗剤の箱を見上げる。

「あなたに会いたいわ」誰だかこのジーナがやさしそうに言う。エリナは散水ノズルを床に落とし、立ち上がり、乾燥機を止める。テッドが? 浮気を?

「今の音は何だ?」テッドがたずねる。「何も聞こえないよ」ジーナは言う。

ひょっとして誰かがこの電話を使っているのかしら。あるいは、知らない人の電話の会話に偶然に割り込んでしまう、あの不思議な現象なのかしら。そういうことがエレナに一度あった。電話をかけ始めると、生徒が成績を上げてくれるように先生と掛け合っているような声を聞いてしまったことがある。


(4)エレナは、受話器を避けて口を突き出し、息を吐く。タバコの煙を吐き出すかのように。

「今晩、このことをじかに話し合わなきゃね」ジーナは言う。「6時に出るから。あなたにお料理してあげるわ」みだらな行為を意味するかのようにお料理という言葉にうなりをもたせた。

「わかったよ」テッドは折れる。エレナには彼の声が不安げであるのがよくわかる。浮気だ。エレナは嫉妬で怒りがこみ上げてくるかと思った。しかし感じたのは哀れみだ。テッドに対して、自分たちの結婚にたいして。そして脱力感も。それが彼女の背骨を這い登り、頭を前に突き動かす。


(5) エレナは空っぽのバッグを胸に抱きしめる。中のものは乾燥機の上に散らばっている。大学生のとき、ロックコンサートにビール6本入りパックをこっそり持ち込めるほど大きなバッグを持ち歩いていた。いま彼女の大きなバッグには、クレジットカードや領収書で膨らんだ高価な皮製の財布、パームパイロット製の端末、読書用眼鏡、携帯電話、偏頭痛の薬、「容器入りのお許し」ともてはやされるアンダーアイ・コンシーラーのチューブ、それに鍵を連ねた大きなキーホルダーが入っているが、何の鍵だかわからないものもある。