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&bold(){サダコらのつぶやき ~怨みが少しとけて~} ふふっ、うれしいわ。 こんなに私たちの気持ちをわかってくれる人たちが増えてきて。  あの原爆が爆発した時の痛みや、その後の地獄の風景。 それがまたこの日本で起きたのよ。 そして放射線被爆での白血病や癌の苦しみ、奇形の子ができる不安。 それをこの日本の人たちはまた味わうのよ。  あの戦争で、何を日本の人たちは学んだの? 私たちの苦しみなんか忘れ、ただ形式的なセレモニーをやってるだけじゃない。 そんなことで私たちの怨みや呪いがとけるとでも思ってるの。  私たちの仲間は広島、長崎、そしてそれらを推し進めてきた人たちのまわりにまとわりついて私たちの気持ちをわかってもらおうとやってきたの。  原子力を使う怖さがまだわかってないの、って。 一番わかっている人たちじゃなかったの、って。 でも今は、もういい。 こんなにも私たちと同じように苦しむ人たちが増えてきて、もうこれで私たちの本当の苦しみがわかってくれるだろうから。  何が苦しいって、肉体的な痛みだけじゃなく、私たちの気持ちが通じなかった、ってこと。 あの時、苦しくて叫んでいるときに私たちをちらっと見るだけで、まるで怖い物でも見るように逃げていったのよ。仲間の人たちもそれがさびしかった、って。  いくら「助けて!」と叫んでも、みんな逃げるように走って行った、って。  でも今じゃあ、同じように苦しんで、本当に悔やんでいる人たちも増えてきて、何か今までつっかえていた気持ちもはれてきたような気がするわ。 自業自得なのよ。 自分たちが犯した罪は自分たちが償わないといけないんだ、ってこと。  原爆を受けたのは誰のせい?  アメリカのせい?  軍部のせい?  天皇のせい?  マスコミのせい?  違うでしょう!  戦争をするのに賛成し、それを許したその時の日本の人たち、ひとりひとりでしょう!  原発で被爆したのは誰のせい?  原発をすすめた政治家のせい?  官僚のせい?  企業・マスコミのせい?  違うでしょう!  原発をすすめる政治家を選んで、それを許してきたあなたたちひとりひとりでしょう!  ふぅー、私たちの怨みもはれてきた。 小出先生のように普通の想像力で、私たちのことを考えてくれる人たちが増えてきて。 ありがとうございました。 これでどうやら私たちも天国とやらにいけそうな気がします。 &bold(){※ NHK平和アーカイブスより「サダコ ~ヒロシマの少女と20世紀~」} http://www.nhk.or.jp/peace/library/program/19990806_01.html &bold(){※1992年発行 「放射能汚染の現実を越えて」 小出裕章著の序章より一部抜粋} http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4309245528/ 「 &bold(){序 生命の尊厳と反原発運動} &bold(){人類は自ら蒔いた種で、遠からず絶滅する} 五〇億年近いといわれる地球の歴史の中で、人類といえる生物種が発生したのはわずか数百万年前のことである。その人類は自らの生物種が属する類を「霊長類」と名づけ、そして自らのことを「万物の霊長」と名づけている。しかし、人類の種としての絶滅は、いまやはっきりと目に見えるようになってきた。 ... 一九七七年に米国のスリーマイル島原子力発電所で大きな事故が起こった。当初、原子力推進派は原子炉の心臓部である炉心は熔けていなかったと主張していた。ところが最近では、炉心の約半分が熔けてしまっていたこと、最後の砦である圧力容器にもひび割れが入っていたことなどが明らかになってきた。その原発の安全担当者は「何が起こっているのか、もしあの時運転員に分かっていたら、彼らはあわてて逃げ出していただろう」と、事故後七年半を経て語っているのである。まことに原子力発電の事故は、人知をこえて展開するのである。しかし、この事故の調査の過程で、 一般には知られていない、そして、はるかに重要で驚くべき事実が明らかになった。 圧力容器の蓋があけられ、水底深く沈んでいる破壊された燃料の取り出し作業が始まった。しかし、作業を始めたとたんに、うごめく物体によって中が見えなくなってしまったのである。そこは、人間であればおそらく一分以内に死んでしまうほど強烈な放射線が飛び交っている場所である。「さながら夏の腐った池のようだった」と作業員が報告したその物体とは、なんと&bold(){生きもの}であった。 ...  一度生み出してしまった放射能を消すことができない。チェルノブイリの事故で、人類の生活環境にまき散らされた放射能の量は、広島の原爆がまき散らしたそれに比べて、一五〇〇倍にもなるのである。また、人類には時間をもとに戻すこともできない。もし私に時間をもとに戻すカがあれば、なんとしても四年だけもとに戻し、チェルノブイリの事故がなかったことにしたい。しかし、できないのである。時間をもとに戻せない以上、私たちは汚れた環境の中で汚れた食べものを食べながら生きる以外にすべがない。  放射能は人間の手でなくすことができない。煮ても、焼いてもなくならない。日本国内に入ることを阻止できたとしても、当然、放射能はなくならない。放射能で汚染した食べものもなくならない。日本と日本人が拒否した食べものは、他のどこかで、他の誰かが食べることになるだけである。どこで、誰が食べることになるのか、想像してみてほしい。私には、それが原子力の恩恵など一切受けず、そして飢えに苦しむ第三世界であり、そこに住む人々であることを疑えない。一方、日本とは、現在三八基(一九九〇年二月時点)もの原子力発電所を利用し、世界でももっともぜいたくを尽くしている国である。そして、その日本は世界がいっせいに原子力から撤退しようとしている今もなお、先頭になって原子力を推進すると宣言している国なのである。 ...  現在世界には約五〇億の人間が住んでいる。それを四つのグループに分けて考えよう。そのうちのもっともぜいたくなグループは、いわゆる「先進国」と呼ばれる国々である。幸か不幸か日本もその中に入っている。そのグループは世界全体で使うエネルギーの八割を奪い去り、使ってしまう。次のグループはいわゆる「開発途上国」であり、残されたエネルギーのうちの六割(全体のうちでは約一二%)を使う。残されたグループはいわゆる「第三世界」に相当するが、その中でもエネルギーの取りあいがあって、もっとも分け前の少ないグループ、「極貧の第三世界」は全体の二%のエネルギーも使うことができない。彼らの中には飢えが広がり、現在二秒に一人ずつ子供たちが餓死しているというのである。日本に住む私たちには自分の子供たちが餓死していくということは、ほとんど想像すらできない。しかし、できるかぎりの想像力を働かせて想像してみてほしい。自分の目の前で、子供たちが「餓死」していく姿を。  餓死していく子供たちとそれを見つめる以外にない親たちを、私たち日本人は「かわいそう」というべきでない。なぜなら、子供たちを餓死に追い込んでいるのは、不公平をかぎりなく拡大させてきた「先進国」であるのだし、その中で、「豊か」で「平和」な世界を満喫してきた他ならぬ私たち自身なのである。 ...  もちろん私も放射能など決して食べたくない。しかし、私たちは自ら選択したか否かにかかわらず、少なくとも現在日本というこの国に住み、原子力の電気をも利用している人間である。現に原子力の恩恵を受けている私たちが、結果としてであれ、汚染だけを第三世界の人々に押しつけることになる選択をすることは、原子力を廃絶する道とは相いれない。今日存在している多様な課題を乗り越えるための唯一の道は、それらの一つひとつと取り組んでいる多様な運動が、根元的な地平で連帯することである。その連帯を可能とする原則だけは、なんとしても守り抜かなければならない。  ソ連やヨーロッパの汚染食料については、日本国内にどんどん入れるべきである。その上で、いかにすれば自らの責任を少しでもはたし、責任のない人たちに少しでも犠牲をしわ寄せしないですむかを考えること、そして現実の中で一つひとつ選択することこそ、いま私たち日本人に求められている。私は、日本の子供も含め世界中の子供たちに汚染食料を食べさせたくない。しかし、私自身はこの日本という国に生きる大人として、それなりの汚染を受ける責任があると思っている。チェルノブイリ事故後、私は敢えて汚染食料を避けない生活を続けてきた。今後もそのつもりである。そうすることで、現実の汚染が消えるわけではないし、世界の差別全体が解消されるわけでもない。当然、私の苦悩が消えるわけでもない。世界に苦悩があるかぎり、個人の苦悩が消えることなどありえない。世界がかかえる問題に向き合って、いわれない犠牲を他者に押し付けずにすむような社会を作り出すためにこそ、私の生命は使いたい。そして、そのような社会が作りだせたその時に、原子力は必然的に廃絶されるのである。」 &bold(){※サダコの詩 『ヒロシマというとき』} http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/KURIHARA/hiroshimatoiutoki.html 「 〈ヒロシマ〉というとき 〈ああ ヒロシマ〉と やさしくこたえてくれるだろうか 〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉 〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉 〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を 壕のなかにとじこめ ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑 〈ヒロシマ〉といえば 血と炎のこだまが 返って来るのだ   〈ヒロシマ〉といえば 〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは 返ってこない アジアの国々の死者たちや無告の民が いっせいに犯されたものの怒りを 噴き出すのだ 〈ヒロシマ〉といえば 〈ああヒロシマ〉と やさしくかえってくるためには 捨てた筈の武器を ほんとうに 捨てねばならない 異国の基地を撤去せねばならない その日までヒロシマは 残酷と不信のにがい都市だ 私たちは潜在する放射能に 灼かれるパリアだ   〈ヒロシマ〉といえば 〈ああヒロシマ〉と やさしいこたえが かえって来るためには わたしたちは わたしたちの汚れた手を きよめねばならない 」
&bold(){サダコらのつぶやき ~怨みが少しとけて~} ふふっ、うれしいわ。 こんなに私たちの気持ちをわかってくれる人たちが増えてきて。  あの原爆が爆発した時の痛みや、その後の地獄の風景。 それがまたこの日本で起きたのよ。 そして放射線被爆での白血病や癌の苦しみ、奇形の子ができる不安。 それをこの日本の人たちはまた味わうのよ。  あの戦争で、何を日本の人たちは学んだの? 私たちの苦しみなんか忘れ、ただ形式的なセレモニーをやってるだけじゃない。 そんなことで私たちの怨みや呪いがとけるとでも思ってるの。  私たちの仲間は広島、長崎、そしてそれらを推し進めてきた人たちのまわりにまとわりついて私たちの気持ちをわかってもらおうとやってきたの。  原子力を使う怖さがまだわかってないの、って。 一番わかっている人たちじゃなかったの、って。 でも今は、もういい。 こんなにも私たちと同じように苦しむ人たちが増えてきて、もうこれで私たちの本当の苦しみがわかってくれるだろうから。  何が苦しいって、肉体的な痛みだけじゃなく、私たちの気持ちが通じなかった、ってこと。 あの時、苦しくて叫んでいるときに私たちをちらっと見るだけで、まるで怖い物でも見るように逃げていったのよ。仲間の人たちもそれがさびしかった、って。  いくら「助けて!」と叫んでも、みんな逃げるように走って行った、って。  でも今じゃあ、同じように苦しんで、本当に悔やんでいる人たちも増えてきて、何か今までつっかえていた気持ちもはれてきたような気がするわ。 自業自得なのよ。 自分たちが犯した罪は自分たちが償わないといけないんだ、ってこと。  原爆を受けたのは誰のせい?  アメリカのせい?  軍部のせい?  天皇のせい?  マスコミのせい?  違うでしょう!  戦争をするのに賛成し、それを許したその時の日本の人たち、ひとりひとりでしょう!  原発で被爆したのは誰のせい?  原発をすすめた政治家のせい?  官僚のせい?  企業・マスコミのせい?  違うでしょう!  原発をすすめる政治家を選んで、それを許してきたあなたたちひとりひとりでしょう!  ふぅー、私たちの怨みもはれてきた。 小出先生のように普通の想像力で、私たちのことを考えてくれる人たちが増えてきて。 ありがとうございました。 これでどうやら私たちも天国とやらにいけそうな気がします。 &bold(){※ NHK平和アーカイブスより「サダコ ~ヒロシマの少女と20世紀~」} http://www.nhk.or.jp/peace/library/program/19990806_01.html &bold(){※1992年発行 「放射能汚染の現実を越えて」 小出裕章著の序章より一部抜粋} http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4309245528/ 「 &bold(){序 生命の尊厳と反原発運動} &bold(){人類は自ら蒔いた種で、遠からず絶滅する} 五〇億年近いといわれる地球の歴史の中で、人類といえる生物種が発生したのはわずか数百万年前のことである。その人類は自らの生物種が属する類を「霊長類」と名づけ、そして自らのことを「万物の霊長」と名づけている。しかし、人類の種としての絶滅は、いまやはっきりと目に見えるようになってきた。 ... 一九七七年に米国のスリーマイル島原子力発電所で大きな事故が起こった。当初、原子力推進派は原子炉の心臓部である炉心は熔けていなかったと主張していた。ところが最近では、炉心の約半分が熔けてしまっていたこと、最後の砦である圧力容器にもひび割れが入っていたことなどが明らかになってきた。その原発の安全担当者は「何が起こっているのか、もしあの時運転員に分かっていたら、彼らはあわてて逃げ出していただろう」と、事故後七年半を経て語っているのである。まことに原子力発電の事故は、人知をこえて展開するのである。しかし、この事故の調査の過程で、 一般には知られていない、そして、はるかに重要で驚くべき事実が明らかになった。 圧力容器の蓋があけられ、水底深く沈んでいる破壊された燃料の取り出し作業が始まった。しかし、作業を始めたとたんに、うごめく物体によって中が見えなくなってしまったのである。そこは、人間であればおそらく一分以内に死んでしまうほど強烈な放射線が飛び交っている場所である。「さながら夏の腐った池のようだった」と作業員が報告したその物体とは、なんと&bold(){生きもの}であった。 ...  一度生み出してしまった放射能を消すことができない。チェルノブイリの事故で、人類の生活環境にまき散らされた放射能の量は、広島の原爆がまき散らしたそれに比べて、一五〇〇倍にもなるのである。また、人類には時間をもとに戻すこともできない。もし私に時間をもとに戻すカがあれば、なんとしても四年だけもとに戻し、チェルノブイリの事故がなかったことにしたい。しかし、できないのである。時間をもとに戻せない以上、私たちは汚れた環境の中で汚れた食べものを食べながら生きる以外にすべがない。  放射能は人間の手でなくすことができない。煮ても、焼いてもなくならない。日本国内に入ることを阻止できたとしても、当然、放射能はなくならない。放射能で汚染した食べものもなくならない。日本と日本人が拒否した食べものは、他のどこかで、他の誰かが食べることになるだけである。どこで、誰が食べることになるのか、想像してみてほしい。私には、それが原子力の恩恵など一切受けず、そして飢えに苦しむ第三世界であり、そこに住む人々であることを疑えない。一方、日本とは、現在三八基(一九九〇年二月時点)もの原子力発電所を利用し、世界でももっともぜいたくを尽くしている国である。そして、その日本は世界がいっせいに原子力から撤退しようとしている今もなお、先頭になって原子力を推進すると宣言している国なのである。 ...  現在世界には約五〇億の人間が住んでいる。それを四つのグループに分けて考えよう。そのうちのもっともぜいたくなグループは、いわゆる「先進国」と呼ばれる国々である。幸か不幸か日本もその中に入っている。そのグループは世界全体で使うエネルギーの八割を奪い去り、使ってしまう。次のグループはいわゆる「開発途上国」であり、残されたエネルギーのうちの六割(全体のうちでは約一二%)を使う。残されたグループはいわゆる「第三世界」に相当するが、その中でもエネルギーの取りあいがあって、もっとも分け前の少ないグループ、「極貧の第三世界」は全体の二%のエネルギーも使うことができない。彼らの中には飢えが広がり、現在二秒に一人ずつ子供たちが餓死しているというのである。日本に住む私たちには自分の子供たちが餓死していくということは、ほとんど想像すらできない。しかし、できるかぎりの想像力を働かせて想像してみてほしい。自分の目の前で、子供たちが「餓死」していく姿を。  餓死していく子供たちとそれを見つめる以外にない親たちを、私たち日本人は「かわいそう」というべきでない。なぜなら、子供たちを餓死に追い込んでいるのは、不公平をかぎりなく拡大させてきた「先進国」であるのだし、その中で、「豊か」で「平和」な世界を満喫してきた他ならぬ私たち自身なのである。 ...  もちろん私も放射能など決して食べたくない。しかし、私たちは自ら選択したか否かにかかわらず、少なくとも現在日本というこの国に住み、原子力の電気をも利用している人間である。現に原子力の恩恵を受けている私たちが、結果としてであれ、汚染だけを第三世界の人々に押しつけることになる選択をすることは、原子力を廃絶する道とは相いれない。今日存在している多様な課題を乗り越えるための唯一の道は、それらの一つひとつと取り組んでいる多様な運動が、根元的な地平で連帯することである。その連帯を可能とする原則だけは、なんとしても守り抜かなければならない。  ソ連やヨーロッパの汚染食料については、日本国内にどんどん入れるべきである。その上で、いかにすれば自らの責任を少しでもはたし、責任のない人たちに少しでも犠牲をしわ寄せしないですむかを考えること、そして現実の中で一つひとつ選択することこそ、いま私たち日本人に求められている。私は、日本の子供も含め世界中の子供たちに汚染食料を食べさせたくない。しかし、私自身はこの日本という国に生きる大人として、それなりの汚染を受ける責任があると思っている。チェルノブイリ事故後、私は敢えて汚染食料を避けない生活を続けてきた。今後もそのつもりである。そうすることで、現実の汚染が消えるわけではないし、世界の差別全体が解消されるわけでもない。当然、私の苦悩が消えるわけでもない。世界に苦悩があるかぎり、個人の苦悩が消えることなどありえない。世界がかかえる問題に向き合って、いわれない犠牲を他者に押し付けずにすむような社会を作り出すためにこそ、私の生命は使いたい。そして、そのような社会が作りだせたその時に、原子力は必然的に廃絶されるのである。」 &bold(){※サダコの詩 『ヒロシマというとき』} http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/KURIHARA/hiroshimatoiutoki.html 「 〈ヒロシマ〉というとき 〈ああ ヒロシマ〉と やさしくこたえてくれるだろうか 〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉 〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉 〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を 壕のなかにとじこめ ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑 〈ヒロシマ〉といえば 血と炎のこだまが 返って来るのだ   〈ヒロシマ〉といえば 〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは 返ってこない アジアの国々の死者たちや無告の民が いっせいに犯されたものの怒りを 噴き出すのだ 〈ヒロシマ〉といえば 〈ああヒロシマ〉と やさしくかえってくるためには 捨てた筈の武器を ほんとうに 捨てねばならない 異国の基地を撤去せねばならない その日までヒロシマは 残酷と不信のにがい都市だ 私たちは潜在する放射能に 灼かれるパリアだ   〈ヒロシマ〉といえば 〈ああヒロシマ〉と やさしいこたえが かえって来るためには わたしたちは わたしたちの汚れた手を きよめねばならない 」

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