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くれあ

アイボリー色をしたくれあは、とっても美しい猫でした。
窓辺にすっくりと立って、
透徹した深い色の目で、静かに庭を眺めまわして瞬きなんかしている姿に、
私も、あのひとも、心底惚れ込んでいました。

くれあは、雌の猫で、ほっそりとしていて、上品で、そして、迷い猫でした。

彼女は三匹兄弟で、ミルクのまどろっこしい匂いの立ち込めるバスケットの中か
ら身を乗り出して、薔薇の生け垣から外の世界に転げ落ち、
そのまま彼女は、ほんのちっちゃなその足で、街を放浪して廻り、我が家の庭にたどりついた。

あのひとは、くれあの身の上を、薄く笑ってこう語った。
くれあも私も、これ以外のお話なんてしらない。
だから、
くれあと私には、これが真実。
そして、当然のように、くれあはここにいる。

あのひとは詩人で、綺麗な言葉をたくさん知っている。
私は、それが、とても嬉しい。
綺麗な言葉をたくさん知っている人の傍にいる事は、たくさんの綺麗な言葉で自
分を包んでいるようなものだ。

夏のくれあは、さらさらで細い猫っ毛を風に吹きっさらしにして、熱心に風鈴を
見上げている。
ちりんちりんと鳴るその音に、いかにも感心しているという風情で、その実、
くれあはその下についているひらひらと動く紐に、心をを奪われている。

初夏は薔薇が咲く季節で、あのひとの話だとくれあが産まれた季節だ。
うるさくなりはじめた蝉時雨をBGMに、私は今日もあのひとの書いた詩集に目を落としている。

あのひとと私は、郊外のひっそりとした、ぼろぼろの一軒家に住んでいた。
ドアは楯付けが悪くぎしぎし軋むし、壁紙は何世紀昔のか判らないほど色褪せていたけれど、
くれあと私たちはその古い旧い洋館がとても気に入っていた。


くれあは、至って文化的な猫で、
冬の焼きたてのマドレーヌの美味しさも、
春の日差しの眩しさも、
夏の風の声音も
秋の紅葉の様子も、紅茶の美味しさも、全て知っているようにみえた。

それらは全部、あのひとが私に教えてくれた、優しくて愛しい大切なことだった。

冬の到来は、朝起きた時の、ぱちんとした清涼感でわかる。
残暑の秋とは違う、透明で冷徹な空気が、私のベットを襲ってきては、私を嬉しくさせる。
白い冬が一番好きな季節。くれあが布団に入ってきて一緒に眠ってくれるから。

秋は、果物の香り。
秋雨に濡れた八百屋さんの軒下に並ぶ葡萄と梨のつやつやした姿を見ると、
私はあのひとに「秋が来たよ」と、はしゃいで報告する。

春に乗る電車は、がたんごとんと、懐かしい音を立てて、線路を直進していく。
川なんかはキラキラ光っているし、道端にはたんぽぽとか桜の淡い色とかが乱れていて、
とても読書なんてしていられない。
私は子供のように窓にかじりついて、春の唐突な無邪気さに身を任せてぼんやりする。

くれあは、10年間私の傍で生きて死んだ。
あのひとはくれあを、薔薇の木の下に埋めて、手を合わせた。
そのころはもう、一緒に住んでいなかったあのひとの姿を、私はただ薄ぼんやり
と眺めていた。
世界に斜がかかり、何もまっすぐには見えなかった。

じゃあ、かえるよ。
げんきでね。
また、新しい猫を飼うと良いよ。



あのひとは、そう言い残して、うちを去っていった。
そして、その途中、車にひかれて死んだ。

何日も何週間も何箇月も。
私はなにも感じず、ただ転がっていた。




十月十日が過ぎたころ、また庭に薔薇が咲いて、




私は猫を飼いはじめた。
名前を、ロアという。

ロアは黒炭のように黒く、翡翠色の目を持つ綺麗な猫だ。

後ろに住んでいるおばあちゃんは、ロアのことが大好きで、たまに遊びに来る。

私はまた、季節を感じはじめ、

あのひとと、くれあと、ロアと、おばあちゃんと それからこの世界で生きている沢山の人たちと、




四季豊かなこの場所で、ゆったりと、また、生きはじめた。



☆読苦しいところもあったと思いますが、中学生の頃に書いた、思い入れのある大切なお話だったので、
できるだけそのまま乗せることにしました。 ご愛読ありがとうございます。