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渡嘉敷島の惨劇は果して神話か7

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渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―7

太田良博
昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで
琉球新報朝刊に連載
『太田良博著作集3』p193-197
目次


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【引用者註】「必死兵器」と「決死兵器」、「死のエリート」たちの凶暴な「生」へのもがき

ほんとに死を諦観した人は幼心に帰るのではないか。豪州のシドニー湾内に潜行した特殊潜航艇員が出撃前に童謡を歌っていたという話を聞いたことがある。

神風特攻隊員が出撃の前晩、静かに寝ている写真をみても、普通の軍隊内務班の就寝状況と何ら変わらない。

死はあくまで自己との戦いなのである。死には他人の問題が介在してこない。死と直面する人は、むしろ人なつこくなるのではないだろうか。他人に対して狂暴となるのは、生死の境にあって、生を求めるもがきがあるからであるとおもわれる。

慶良間列島に配置された陸軍特攻艇は、特攻機や海軍特攻艇とちがって「必死兵器」ではなかった。たとえば、特攻機は、地上から飛び立った瞬間、一〇〇%の死が待っている。

この場合と、九九%は死を意味しても、一%だけ生きる機会がある場合とでは、心理的に大いにちがってくる。なぜなら、「一%の生きる可能性」を二%にし、五%にし、二〇%にし、しまいには五〇%以上にしようとするのは人情だからである。「必死」と「決死」とはちがうのである。「必死」は客観的にみて死を意味し、「決死」は主観的な死の覚悟を意味する。

吉田俊雄(元参謀、海軍中佐)の『沖縄―Z旗のあがらぬ最後の決戦』では、次のよう
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に説明している。

「海軍の特攻艇が、同じモーター・ボートでありながら、艇首に大量の弾薬をもち、敵艦船の横腹に撃突し、自分は粉ミジンになって相手を撃沈しようという『必死艇』であったのにくらべ、この陸軍特攻艇は、撃突を狙ったのではなく、敵艦船に肉薄、そこで艇尾の爆雷を投げこみ、水中でドカンとやって、『柔らかい下腹』に穴をあけようと狙った点が違っていた」云々。(戦車攻撃要領の応用)。

陸軍特攻艇出撃の一例をあげると、昭和二十年四月十五日夜、海上艇身第二十六戦隊の二十二隻が嘉手納沖の米艦船を攻撃、かなり戦果を報じているが、未帰還はわずか三名(搭乗員は一隻一名)である。なかには出撃して全員帰還した戦隊もある。(『沖縄方面陸軍作戦』)

右の実行例からみると、生還率はかなり高かったことがわかる。

海軍特攻隊が敵艦船と直角に激突するのに反し、陸軍特攻艇は敵艦船に対してゆるい角度、または敵艦船とやや並行して肉薄する。

投爆後の脱出退避時間は約五秒である。

同特攻隊の最大速力は二十ノットだから、この速度なら、一秒間に約十メートル、脱出時間が五秒だから五十メートルは退避できる計算になる。
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同特攻隊は、敵の防御火力を予想して、目的達成のためには可及的最大速度を出さなければならないことを考慮に入れてよい(『ある神話の背景』の作者は、同特攻艇の速度を「自転車のようなのろい」速度と形容しているが、それは不正確な表現である。自転車の速度にはいろいろある)。

海軍の特攻艇は「必死兵器」だから脱出のための技術訓練は不要である。ところが、陸軍特攻艇の隊員たちにとって、脱出速度及び脱出技術訓練は、自己の生命にかかわる重要事である。おそらく、陸軍特攻艇員たちは、各自、心中ひそかに脱出技術をたえず心がけていたにちがいない。

彼らは、「決死の覚悟」と「脱出技術の訓練」の中で、特殊な心理状態におかれていたはずである。

前述の吉田俊雄氏はいう。

「沖縄本島の戦闘ではパニツクらしいパニックはほとんど起こらなかった。備えを固めて敵を待つ状態にあったので、日本人の強さ、勇敢さが発揮されたが、慶良間列島では不意の敵上陸にショックを受けて狼狽し、日本軍人の悪い面がムキ出しになり、日本人のなんともやりきれないエゴイズム、未成熟の優越意識、生命の軽視などが、ドス黒く噴き出したのだと思う」と。
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特攻出撃を断念した赤松隊は、一種のパニツク状態(『ある神話の背景』によれば「発狂状態」)となるが、厄介なのは、彼らに「特攻隊員としてのエリート意識」だけは残っていたことである。

「なんとかして生きたい」という生の欲望は意識下にかくれ、「どうせおれたちは死ぬんだ」というエリート意識(死の仮面)だけが、心と言動の表面を支配する。そして他人の生命の軽視となる。

そして赤松隊のヒステリック症状は、直ちに住民の集団自決(無理心中)と、物理的にも心理的にも直結のつながりをもち、赤松隊による狂暴な住民処刑となる(阿嘉島の野田戦隊長は「部落民は軍規律適用外であるので、その進退は各人の自由意思に任す方針」をとっている=『沖縄方面陸軍作戦』)。

牛島軍司令官の「戦闘指針」の中で、「軍はどんな事態になっても、絶対にパニックを起こさせないこと」の心得を訓戒し、パニツクは各級指揮官の指揮に乱れがある場合に生ずる、と説明している。軍司令官自身、作戦要務令綱領中の「指揮官と軍隊」で示されている典範例を地でゆくような態度を示していた。

渡嘉敷島では、当初の米軍上陸戦以外は、日本軍にとって直接の危険は去っているが、その状況で軍はかえって住民に対して狂暴になっている。生へのもがきが露骨化してきた
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といえよう。

最高司令部(沖縄本島)の指揮から杜絶し、直属上官大町大佐が渡嘉敷島沖で戦死したあと、監視者のいない渡嘉敷島で、「孤島の王様」となった赤松隊の一部は、一方では特攻隊員の犠牲的精神と軍人の誇りに陶酔し、他方では米軍の攻撃と陣地の暴露を極度におそれる自己保存のエゴがあり、心が絶えず動揺していたとみられる。とにかく、ひどい目にあった住民は、不運であった。

もし告発者にまちがいがあれば、告発者が死刑になるというユダヤ教の教義とかが引例されているが、その場合「まちがった告発者」を告発するのは誰か。おそらく「神」に対してウソをついたという罰だろうが、絶対観念を無理に現実制度におしこんだ極端な例である。「まちがった告発者」とされていた者が、もしまちがっていなかったらどうなるか。

その教義は他に多くの矛盾をふくむが、それは作者に考えてもらおう。話は別だが、現行法では、刑事事件の原告は検事(国家)である。ユダヤ教の流儀なら、告発者たる国家がまちがえれば、国家を死刑にしなければならなくなる。
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