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「日の丸」ときくと、すぐ思いうかべる事件がある。

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太田良博
『すべてのうしろには"菊"がある』―「日の丸」と沖縄戦―より
太田良博著作集3、p337-339

「日の丸」ときくと、すぐ思いうかべる事件がある。


沖縄戦で悲惨な事件の数々を聞かされているが、これほど悲惨な話を私は知らない。沖縄戦に関しては、これまで二百冊前後の記録が出ているが、その中でたった一つ、この事件にふれているとおもわれるのがあるが、それも、それらしい事件があったことを臭わせているだけで、その真相は記されていない。つまり、この事件の真相は、これまで、私の知る限りでは、どの戦記にも書かれていない。この事件をにおわせた唯一の記録というのは、第三十二軍(沖縄守備軍)の高級参謀だった八原博通大佐の『沖縄決戦』である。それには以下のように記されている。
戦闘開始後間もないある日、司令部勤務のある女の子が、私の許に駆けて来て報告した。「今女スパイが捕えられ、皆に殺されています。首里郊外で懐中電灯を持って、敵に合い図していたからだそうです。軍の命令(?)で司令部将兵から女に至るまで、竹槍で一突きずつ突いています。敵慌心を旺盛にするためだそうです。高級参謀殿はどうなさいますか?」私は「うん」と言ったきりで、相手にしなかった。いやな感じがしたからである。(同書一八六頁)

高級参謀が司令部勤務の女子職員から報告をうけたという事件は、私が聞いたのと同一事件のようである。

私に事件の真相を語った当時の目撃者、K氏(弁護士)も、八原参謀の記述したのと同一の事件であると証言している。

K氏は当時、沖縄師範学校の生徒で、学徒動員兵として、首里洞窟司令部のなかにいた。「女スパイがつかまった!」というので、洞窟内からドヤドヤと野次馬がとび出した。K氏もその群集のなかの一人であった。場所は、洞窟司令部の南側斜面である。

憲兵に縄をうたれた一人の若い女が現われた。カーキー色の短かいパンツに短袖シャツ、一見、女子挺身隊員かとおもわれる服装である。小柄小肥り、みたところ二十五、六才の色白の女性で、頭髪はザンギリになっている。その女はたえず童謡を歌っていた。「ハトポッポ」を歌うかとおもえば、それがおわると「ギンギンギラギラ」と別の童謡を歌うといった調子である。精神異常の女だったのか、殺されることを予知して放心状態になっていたのかは、知るところではない。

女は、田んぼの近くの電柱にしばられ、そこに集まった連中に突かれることになった。まず、最初に突かせたのは、朝鮮人慰安婦である。朝鮮からつれてこられ、兵隊相手に売春をさせられていた娘たちに「日の丸」鉢巻をさせて、帯剣や竹槍などで、かわるがわる突かせたのである。

電柱にしばられていたのは、もちろん、沖縄の娘である。帯剣や竹槍の先が、女の胸や腹部にプスッぷすツとささるごとに、鮮血が噴出して、シャツをそめる。そのたびごとに、女は「痛い」「痛い」と悲鳴をあげる。わめく。だが、突くほうも女である。力が弱いので致命傷にならない。なぶり殺しの形になった。日本の封建武士社会では、竹光による切腹が最も惨酷な刑罰であったようだが、それに劣らぬ惨酷刑である。処刑されている女性は、かなり生命力があったようで、なかなか死ねない。それだけ長い時問、苦しんでいたわけだが、かなり突かれて、ついに悲鳴もだんだんか細くかすれ、ついにぐったりしてしまった。その時である。一人の若い将校が縄をといて、「立てツ!」と鋭く気合いをかけた。すると、ほとんど死んだと思われた、その若い女性は、すくっと立ち上った。それには、みんなおどろいたようである。見物の群集の中から、低いどよめきのようなものがおこった。「歩けッ!」声がかかると、女はよろよろと歩き出した。「坐れッ!」女は田んぼの近くの草むらの上に端坐した。端坐したのである。そのとき、例の将校は、みんなに聞こえるような声で、「おれは、剣術は、あまり上手じゃないがのう」と言いながら、腰の軍刀をサッと勢いよく抜き放った。得意然というか、今の言葉で言えば、カッコよい動作をしたわけである。そして斬首!

首と胴体が離れた女の屍体は、泥田のなかにころがされ、みんなにふんずけられた。ふめ、ふめといわれて、つぎつぎに、この野郎とか、売国奴とかののしりながら、田んぼにころがされ、半ば泥のなかに沈んだ、女の屍体をふんずけた。その屍体は、泥のひとかたまりになり、もはや人間の形の見わけもっかないほどになった。

朝鮮の慰安婦に「日の丸」鉢巻をさせて、沖縄娘をなぶり殺しにさせた日本軍の演出は実に象徴的である。殺された女がスパイだったという確証があったはずもない。
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