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沖縄県内の慰安所

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沖縄県内の慰安所


太田昌秀『死者たちはいまだ眠れず』(新泉社2006年08月)p116―118 より


また、一九四三(昭和一八)年から勤労挺身隊として軍需産業に二〇万人の朝鮮人少女が動員されたとのことです。それとは別に、日本軍の管理下で戦場に動員され、従軍慰安婦として日本軍兵士を相手に強制的に売春をさせられた女性がたくさんいました。

鈴木祐子教授の『従軍慰安婦・内鮮結婚性の侵略・戦後責任を考える』(未來杜、一九九二年)によると、政策的に朝鮮女性たちが大規模な徴発を受けたのは、一九三八(昭和一三)年の初めからでした。

すなわち当時は、関東軍の満州駐屯が長期化し、中国本土に多くの日本軍が投入されるにしたがい、長期的で大規模な戦争遂行のためには、軍人たちに対する統制と士気の振作が要求されました。しかし、日本本土の女性たちを強制的に引っ張ってくることはできなかったので、代わりに朝鮮の女性たちの徴発が始まったというわけです。信じがたいことですが、慰安婦の徴発のために、日本軍首脳と朝鮮総督府、日本の売春業者たちの間で秘密協定が結ばれて、女子挺身隊の徴発は本格化したとのことです。

その後、一九四四(昭和一九)年八月二三日付けで、勅令によって「女子挺身勤労令」が公布され、それにもとづいて女子挺身隊の徴発は、名実共に合法的政策として遂行されるようになりました。

沖縄の場合、首里域の地下司令部には、「朝鮮ピー」と蔑称され差別視される女性たちが二、三〇人ほどいました。わたしたち学生は、激闘の戦場にそぐわないその存在を奇異に感じいろいろと噂し合ったものでした。

沖縄県平和祈念資料館には、一九四四年末に守備軍配下部隊・第二四師団第三四七五部隊の「軍人倶楽部ニ関スル規定」という内部文書が収蔵されています。つまり、それは従軍慰安婦と軍の関係を示す証拠文書であります。いまでは、戦時中、沖縄各地に多数の慰安所が設置されていた事実も明らかになっています。


朝鮮人の戦死者を祀る慰霊の塔には、「韓国人慰霊塔」「青丘之塔」「アリラン慰霊のモニュメント」「アジア太平洋戦争・沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者恨(はん)之碑」「痛恨之碑」などがあります。
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