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2.「慰安婦」の募集

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2.「慰安婦」の募集


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  慰安所の設置に当たって最大の間題は「慰安婦の確保であった。現地軍は業者を日本や朝鮮、台湾に派遺して、女性を調達させたが、そのさいあらゆる便宜の提供を日本政府関係官庁に要請し、女性の渡航に対する証明書の給付の確保、女性の輸送といったすべての面で、積極的に関与したのである。昭和12年末から大々的な調達がはじまった。


■  支那渡航者ニ対スル身分証明番発給ニ関スル件[福岡県知事](昭12・12・15)(未作成)

  女性は最初はもっぱら日本本土から集められた。昭和12年12月15日付けの福岡県知事の報告によると、11月30日に日本人の業者の勧誘で上海北四川路海軍慰安所の酌婦として渡航を求める女性2名に身分証明書が発給されている(1巻、115頁)。これは史料に墨が塗られているが、政府発表のさいにこの2名の本籍は朝鮮であることが明らかにされた(5巻、7頁)。


■  時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件[和歌山県知事](昭和13・2・7)

  実は上海では、軍と領事館が合議して、軍慰安所設置のために協力する態勢が出来上がっていた。昭和12年12月21日の上海総領事館警察署長の長崎水上警察署長あての依頼によると、
将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中ノ処、
このたび
当館陸軍武官室、憲兵隊合議ノ結果施設ノー端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ…設置スルコトトナレリ
とある。そのさい各機関が任務を分担しているさまが資料から明らかになっている。領事館は、営業を願い出る者に対する許可、不許可の決定、慰安婦渡航のための便宜取りはからい、上海到着後ただちに憲兵隊に引き渡すことを担当し、憲兵隊が引継をうけた女性を就業地まで輸送する手続きをとり、業者と女性に対する「保護取締」を引き受けた。最後に武官室が就業場所と家屋等の準備を分担した。業者が依頼を受けて、日本と朝鮮に女性を募集しに赴いた。彼らが携帯する身分証明書の中に軍の依頼をうけて、女性を募集する者であると明記されているので、上海総領事館警察署長としては関係当局に「乗船其他二付便宜供与方」お取りはからい願いたいと求めていた。とくに「酌婦」として募集される女性については、
前線ニ於ケル貴殿指定ノ軍慰安所ニ於テ酌婦稼業(娼妓同様)ヲ為スコトヲ承諾
するとの承諾書をとることが義務づけられていた(1巻、36-44頁)。


■  醜業帰渡支ニ関スル経緯[内務省](期日不明)(未作成)

  上海の軍の要請を受けて、まず上海の徳久、神戸市の中野という2人の業者が日本へ出発した。この2人は内務省に援助を要請し、内務大臣の秘書官から紹介の名刺をもらい、かつ警務課長から兵庫県警察部長に要請をしてもらうことに成功した。内務省警務課長は12月26日
事情聴取ノ上何分ノ便宜ヲ御取計相成度
と兵庫県警察部長に電報を打った。2人は12月27日に兵庫県警察部長を訪問し、「最少限五百名ノ醜業婦」を募集したい、周旋業の許可が無いが黙認してほしい、かつ年末年始の休暇中だが渡航手続きをしてほしいと表明した。兵庫県警察部長は一般渡支者と同じように証明書を所轄警察署で発給することを指令した。陸路長崎へ赴きそこで乗船した者が約200名に達した。年が明けて昭和13年1月8日、神戸発の臨時船丹後丸で渡支した40~50名のうち、湊川讐察署で身分証明書を発行した者20名がいた(「醜業婦渡支ニ関スル経緯」、同、105-109頁)。


■  時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件[和歌山県知事](昭和13・2・7)

■  上海派遺軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌帰募集ニ関スル[群馬県知事](昭和13・1・19)

■  北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件[山形県知事](昭和13・1・25)

■  上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件[茨城県知事](昭和13・2・14)(未作成)

  また両名の依頼で内務省は「非公式ナガラ」大阪府警察部長にも協力方を依頼したことが大阪九条警察署長の13年1月8日付けの書簡から明らかである。この依頼をうけた大阪府では
相当便宜ヲ与へ既ニ本月三日渡航セシメタ
のである(同、45-46頁)。大阪からも女性が上海へ向かっている。彼女らと長崎へ向かった200名と神戸発の20名が彼らの獲得した女性であろう。

  別の業者、神戸の大内は同じ時関東から東北にかけて女性の募集をおこなっていた。彼は年の初め、上海の陸軍特務機関の依頼だとして「上海皇軍慰安所」のために同僚中野とともに3000人の女性を集めるので、とりあえず500名を募集したい、1月26日には神戸から第2陣を軍用船で送ることになっていると語った。兵庫県や関西方面では県当局も了解し応援してくれているとも語ったが(同、12-13頁)、群馬、茨城、宮城の各県では、拒絶反応にあった。群馬県知事は、1月19日に
果シテ軍ノ依頼アルヤ否ヤ不明且公序良俗ニ反スルカ如キ事業ヲ公々然ト吹聴スルカ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノト認メ厳重取締方
を警察に命じたと報告した(同、12頁)、山形県知事は1月25日に、
軍部ノ方針トシテハ俄カニ信シ難キノミナラス斯ル事案カ公然流布セラルヽニ於テハ銃後ノー般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ホス悪影響少カラス更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノトシテ
説得し、大内への協力を取りやめさせたと報告した(同、24頁)。茨城県知事は2月14日にほぼ群馬県知事の言葉を繰り返して、厳重取締方を命じたと報告した(同、49頁)。


■  支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件〔内務省警保局長](昭和13・2・23)(未作成)

  こうなって放置も出来ないと考えた内務省警保局長は昭和13年(1938年)2月23日付けで通達「支那渡航婦女ノ取扱二関スル件」を出した。
婦女ノ渡航ハ現地ニ於ケル実情ニ鑑ミルトキハ蓋シ必要已ムヲ得ザルモノアリ。警察当局ニ於テモ特殊ノ考慮ヲ払ヒ実情ニ即スル措置ヲ講ズルノ要アリト認メラルル
しかし
募集周旋等ノ取締ニシテ適正ヲ欠カンカ帝国ノ威信ヲ毀ケ皇軍ノ名誉ヲ害フノミニ止マラズ銃後国民特ニ出征兵土遺家族ニ好マシカラザル影響ヲ与フルト共ニ婦女売買ニ関スル国際条約ノ趣旨ニモ悖ルコト無キヲ保シ難キヲ以テ
以下のように定めるとしている。慰安婦となる者は内地ですでに「醜業婦」である者で、かつ21歳以上でなければならず、渡航のためには本人が警察署に出頭し、親権者の承諾をとるべしと定めた(同、69-75頁)。21歳以上という規定は当時日本も加入していた国際条約で、未成年の婦女に醜行をさせることを禁じた規定があったためである。


■  軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件[陸軍省副官](昭13・3・4)(未作成)

  3月4日には陸軍省副官も「軍慰安所従業婦等募集二関スル件」として北支方面軍、中支派遣軍参謀長に通牒を出している。
支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業帰等ヲ募集スルニ当リ、故ラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ、為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ、且ツー般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ

或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スル
ので、
将来是等ノ募集等ニ当リテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋ヲ密ニ
せよと述べている(2巻、5-7頁)。この通牒は吉見氏が発表し、「陸軍省の関与を示したもっとも重要な文書」と言われているが、この流れの中において見られるべき資料である。業者と軍の結びつきが誇示されることはこまるし、誘拐同様のやり方をする者もこまるので、慎重にことを進めて、軍の方から憲兵や警察には了解をとるようにせよというのが通牒の内容であった。


■  支那渡航婦女ニ関スル件伺[内務省瞥保局警務課長・外事課長](昭和13・11・4)(未作成)

■  南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件[内務省警保局長](昭和13・11・8)(未作成)

  ところが、戦火は華南に拡大し、慰安所の数が急速にふえてくると、中央の内務省も軍当局もますますコミットせずにはおられなくなっていった。この年10月21日には日本軍は広州を占領した。その直後の11月4日には、警保局の内部で次のような文章が起案されている。
本日南支派遺軍古荘部隊参謀陸軍航空兵少佐久門有文及陸軍省徴募課長ヨリ南支派遣軍ノ慰安所設置ノ為

醜業ヲ目的トスル婦女約四百名
を渡航させるように「配意」ありたしとの要請があったので、
適当ナル引率者(抱主)ヲ選定、之ヲシテ婦女募集セシメ現地ニ向ハシムル様取計
をお願いしたいという通牒の案文が起草された。資料の中に久門少佐の名刺が入っているので、彼が命を帯びて、東京の陸軍省を訪れて、徴募課長に会って、慰安婦の募集援助を要請したのである。2人が連れ立って、警保局を訪問して、警保局の協力を要請した結果、警保局も動き出したというわけである。警保局では400名を分けて、大阪100名、京都50名、兵庫100名、福岡100名、山口50名と各県に割り当てている。もとより、女性は
現在内地二於テ…醜業ヲ営ミ屠ル者ニシテ満二十一才以上
に限るとされ、本人にかならず仕事の内容を説明すべしと指示されている(1巻、95頁)。台湾総督府にはすでに依頼して、同地より300名渡航の手配が終わっているとある。南支派遺軍は台湾総督府に別個要請していたことがわかる。あるいは東京に来る前に久門少佐が台湾により、総督府に要請してきたのかも知れない。


■  南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件[内務省警保局長](昭和13・11・8)(未作成)

  11月8日、さらに踏み込んだ警保局長通牒「南支方面渡航婦女ノ取扱二関スル件」が起案され、警保局警発甲第136号として大阪、京都、兵庫、福岡、山口県知事に送られた。そこには
南支方面二於テモ…醜業ヲ目的トスル特殊婦女ヲ必要トスル模様ナルモ未ダ其ノ渡航ナク現地ヨリノ希望ノ次第モ有之事情已ムヲ得ザルヤト認メラルルニ付テハ本件極秘ニ左記ニ依リ之ヲ取扱フコトト致度
いと露骨に切り出されている。まず「抱主タル引率者ノ選定」であるが、
南支方面二於テ軍慰安所ヲ経営セシムルモ支障ナシト認ムル者ヲ…選定シ、
希望があれぱ関係方面に推薦するとして、
何処迄モ経営者ノ自発的希望ニ基ク様取運
ぶよう要請している。人数と県への割り当てはすでに示された通りだが、慰安所経営希望者が出れば、すぐに氏名、経歴、「引率予定婦女数」をただちに内務省に通知せよ、そうすれば軍部の証明書を送付するので、「婦女ヲ密ニ募集スルコト」、内地出発のさいは、「引率者氏名、渡航婦女ノ数、内地出港地名、予定月日及台湾高雄到着予定月日」を内務省に通知せよ、そうすれば、「台湾ヨリノ便船ヲ手配ス」と述べている。婦女の条件は上記の通りで、その身分証明書を県知事が発給することが求められている。ただし、
婦女子ニ対シテハ必ズ現地ニ於テハ醜行ニ従事スルモノナルコトヲ説明セシムルコト
と念を人れている(同、87-100頁)。このように募集される女性の条件(すでに醜業に従事していることと年齢21歳以上)と仕事の説明の義務は引き続き維持されているが、こんどは内務省の要請で、各県知事に業者を選定させ、業者に軍の証明書を与えて、女性を募集させ、募集ができたら、各県知事が女性に渡航の証明書を発給し、内務省が台湾軍に連絡して船をよびよせ、その軍用船が女性たちを南支へ送り込む、というような南支派遣軍と台湾軍、内務省と関係5県知事を結びつける国家的推進体制が非公然の形で整えられていることがわかる。

  日本の国内からの女性の調達がこのように進められたとすると、台湾や朝鮮からの調達はどのように進められたのであろうか。総督府や道知事、末端警察はどのように反応したであろうか。この年のはじめの日本内地の警察や東北・関東の県当局が募集業者に示したような反発を示したかどうかは疑わしいといわざるをえない。総督府は東京の内務省よりはもっと中国現地の軍の要請に応える姿勢を示した可能性が高い。少なくとも朝鮮からは21歳以下の女性が渡航していることは知られており、21歳以下の女性に売春させてはならないという国際条約は植民地には適用されないという考えが日本の政府にあったこともすでに知られている*1。とすれば、総督府は内務省警保局長の通達の昭和13年2月23日通牒「支那渡航掃久ノ取扱ニ関スル件」には縛られていなかったと考えられる。
醜行ニ二従事スルモノナルコトヲ説明セシムルコト
も義務付けられていなかったかもしれない。


1:原注(5)吉見『従軍慰安婦』165-166頁。


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