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第二節 「満州国」の現政府

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第二節「満州国」の現政府


 満州国は組織法及人権保障法に依りて統治せらる。政府組織法は、政府諸機関の根本的組織を規定したるものにして大同元年(1932年)3月9日付教令第一号に依りて公布せられたり。

 執政は国家の元首にして総ての行政権は執政に属し執政は又立法院を統制するの権能あり。執政は重要国務に関し助言を与える参議府に依り補佐せらる。

 政府組織法の特質は政府の権力を国務、立法司法及監察の四院に分かつ点にあり。

 国務院の任務は執政統御の下に総理及各総長に依りて遂行せられ総理及此等総長は相合し国務院即ち内閣を組織するものとす。総理は各総長の事務を監督し強力なる総務長を通じて機密事項、人事、主計、需要の事務を直裁す。国務院に付属して諸種の事務局あり就中資政院及法制局は重要なり行政権は斯くの如く主として執政及総理の手に集中せられ居れり。

 立法権は立法院にあり総ての法律及予算は立法院の翼算を経るを要す。然れども立法院が或法案を否決したる場合には執政は立法院に其の再議を要求することを得。而して尚再び其の法案が否決せられたる場合には執政は参議府に諮りて其の可否を裁決することを得。然れども現在に於いては立法院の組織に関する法律は制定せられ居らず。従って諸法律は国務院に依り起草せられ参議府に諮問せられ且執政の承認あらば効力を発生す。従って立法院が組織せられざる限り総理の地位は最も有力なり。

 司法院は数多の法院を包含し此等の法院は最高法院、高等法院及地方法院の三階級に分たる。

 監察院は管理の業績を監察し会計を検査す。監察院の職員は犯罪行為又は懲戒処分によるの外免職せらるることなく且其の意思に反して停職、転任又は減俸せらるることなかるべし。

 地方行政のため「満州国」は五省及二特別区に分たる省は奉天、吉林、黒龍江、熱河及興安なり。最後に掲げたる興安省は蒙古地方を包含し旧来の旗制度及諸旗聯盟の連合に適合する如く三地方即ち県に分たる特別区は、旧東支鉄道即ち哈爾賓地方及新に制定せられたる間島即ち朝鮮人地方なり。此の行政的区画に依り主要少数民族なる蒙古人、朝鮮人及ロシア人は彼等の需要に適合する特別の行政を出来得る限り保障せらるべきものとす。委員会は「満州国」に包含せらるることを要求せらるる地方の地図を示されんことをしばしば要求したれども右地図は与えられずして「満州国」の境界を左の如く示す一の書簡を受領したり。

 「新国家は南は長城に依り界せられ同国に於ける蒙古諸盟及諸旗はコロンバイル並びに哲里木、昭烏達、卓索圖の諸旗盟を包含す。」

 各省の長官には省長あり。然れども行政権を中央政府に集中せんとするに依り省長は軍隊又は財政の何れに対しても何等の権限も與えらるるを得ず。省に於いても中央政府に於いても総務部が支配的地位を保持す総務部は機密事項、人事、会計、文書及他の管轄に属せざる事項を管理す。

 省は県に分たる。県は一般に県自治機関に依り治められ右機関は其の指揮下に各部特に総務部を有す。市政府は奉天、哈爾賓及長春に存す。尤も哈爾賓に於いてはロシア市街及支那市街の双方を包含すべき大哈爾賓を建設せんとする計画あり。鉄道特区は廃止せらるべし同区の一部は大哈爾賓に包含せらるべく、又、東支鉄道沿線の残部は黒龍江省及吉林省に加えらるべし。

 「満州国政府」は省を目して行政区画と為し、県及市町村を目して財政上の単位と為す。同政府は省、県及市町村の租税の額を決定し予算を裁決す。一切の地方的収入は中央の国庫に払込まるべく、国庫は然る後適当なる支出を管理す。此等の収入は旧制度の下において普通行われたる如く地方官憲に依り全部又は一部保留せらるることを得ず。自然本制度は未だ満足なる運用を見るに至らず。

 「満州国政府」においては日本人官吏は枢要の地位を占め且日本人顧問は総ての重要なる部局に付属す国務総理及其の大臣は総て支那人と雖も新国家の組織に於いて最大の実権を行使する各総務部の長は日本人なり。最初日本人は顧問として任命させれたれども最近に至り最も重要なる地位を占むる日本人は支那人と同一の地位に於いて完全なる官吏と為されたり。地方政府若しくは軍政部及軍隊又は政府の企業に於ける者を除き中央政府のみにおいて約二百名の日本人は「満州国」官吏なり。


 日本人は総務庁並びに法制局及諮問局(右は実際上国務総理の官房を構成す)、各院及省政府に於ける総務部及県に於ける自治指導委員会並びに奉天、吉林及黒龍江各省における警察部を管理す。加之大多数の局課には日本人の顧問、書記官及事務官あり。

 尚鉄道事務所及中央銀行にも多数の日本人あり。監察院においては日本人は総務部長、管理部長及審計部長の地位を占む。立法院に於いて書記長は日本人なり。最後に執政の最も重要なる官吏は宮務局長及執政護衛隊司令官を含み日本人なり(重要なる任命は「満州国政府公報」に発表せられたり)。

 政府の目的は2月19日の東北行政委員会の宣言及3月1日の「満州国政府」の宣言に表明せられたるが如く「王道」の根本原則に従いて統治するに在り。此の語に対する英語の正確なる同意語を発見するは困難なり。満州国当局に依り提供せられたる通訳者は之を「愛」と訳したれども、学者は多数の意味合いを有し得べき「王者の道」(キングリー・ウェー)なる意義を之に与う。而して右は支那の伝統に依れば往時より誠心誠意民の安泰を念としたる善政の基礎たりしものなり伝統的に支那人は「王道」なる表現を「覇道」に正反対なるものとして使用したり。右「覇道」なる表現は孫逸仙博士に依り其の著「三民主義」中に論ぜられたる如く力と強制とに依頼することを意味す。孫逸仙は依て「王道」は「力是正義」の正反対なりと説明したり。

 新政府創設の主たる立役者たる自治指導部の政策は該部に代わりたる諮問局に依り継続せられたり。軍事官憲は行政事項に干與することを許ざれざりき。官職勤務の資格を規律する規則は制定せらるべく且任命は候補者の能力を基礎として為されるべきものなるとせらる。

 課税は之を軽減し且法律的基礎の上に置かるべく、又経済及行政の健全なる原則に従い改革せらるべし。直接税は県及市町村の政府に移譲せらるべく、中央政府は間接税より得らるる収入を確保すべし。長春当局より供せられたる書類は若干の租税が既に廃止せられ同時に他の租税が軽減せられたる旨を述べ居れり。政府の企業及政府の所有する財源の調整が収入を増加せんこと及将来に於ける軍隊の縮小が支出を減少せんことを希望する旨表明せられたり。然れども目下の所新国家の財政的地位は不満足のものなり。不正規兵との戦争は軍費を大ならしめ他方同時に政府は正規の諸財源より収入を受領し居らず。第一年度の支出は現在大約六千五百万ドルの収入に対し八千五百万ドルの支出と見積もられ二千万ドルの不足を示せり。而て右付則はの地に説明するが如く(本報告諸付属の特別研究第四号参照)新に設置せられたる中央銀行よりの借入金を以て補充せらるる予定なり。

 政府は財政的状態の改善するに従い其の収入の出来得る限り多額を教育、公安及国の発展(荒蕪地の開墾、鉱物及森林資源の開発並びに交通制度の拡張を含む)に使用すべき旨の意向を表明したり。政府は国の発展に付外国の財政的援助を歓迎すべきこと並びに機会均等及門戸開放の主義を固守すべきことを述べたり。

 政府は既に初等学校及中等学校を再開したり。而して政府は新国家の精神及政策を完全に了解すべき極めて多数の教員を訓令するの意向を有す。新課程は採用せらるべく、新教科書は編纂せらるべく、而して一切の排外教育は廃止せらるべし。新教育制度は初等学校を改善すること及職業教育、初等学校教員の訓令及衛生的生活に関する健全なる思想の教授を強調することを目的と為すべし。英語及日本語の教授は中等学校に於いて義務的たるべく、又日本語の教授は初等学校において随意たるべし。

 満州国当局は司法に対し行政官憲の干渉の許容せられざるべきことを決定したり。司法官の地位は法律に依りて保障せられ且其の俸給は充分なるものたるべし。司法官の地位に対する資格は高めらるべし。治外法権は当分の間尊重せらるべきも政府は現制度に対する適当なる改革の遂行せられたるとき治外法権の撤廃の為直ちに諸外国と交渉を開始するの意向なり。警察官は適当に選択、訓練、給與せられ且完全に軍隊(軍隊は警察職務を簒奪することを許されざるべし)より分離せしめらるべきものとす。

 軍隊の改変は計画せられ居るも現在のところ軍隊は大多数旧満州軍より成るを以て増大する不満と謀叛とを避くる為警戒を怠らざること必要なりと感ぜられ居れり。


 満州国中央銀行は6月14日設置せられ7月1日に正式に営業を開始せり。同銀行は「満州国」の首都長春に其の本店を並びに満州の都市の大部分に170の数に達する支店及出張所を有す。同銀行は三十年間有効の特許状を有する株式会社として組織せられたり。其の最初の行員は支那人及日本人たる銀行家及財政家なりき。同銀行は「内国通貨の流通を規律し、其の安定を保持し及金融を管理する」の権限を付与せられたり。同銀行の資本は三千万ドル(銀)として許可せられ且少なくとも30%の正貨準備を条件として紙幣を発行するの許可を与えられたり。

 旧省銀行(邊業銀行を含む)は新中央銀行と合併せられ其の前業務(傍系事業を含む)は新中央銀行に引渡されたり。尚旧省銀行の満州以外の支店を清算する為に措置を講ずる所ありたり。

 中央銀行は其の建設資金として旧銀行より救出し得べきものに加えるに二千万円(之が「元」の意味なることあり得べし)と報ぜらるる日本の貸付金及其の資本に対する満州国政府の七百五十万ドル(銀)の応募とを有す(1932年5月5日満州国財政部長より委員会に與えられたる仮予算に依る)同銀行は一切の満州通貨を1932年7月1日より公式に定められたる率を以て新紙幣に代えて買戻すことに依り之を統一せんと計画したり。此等の紙幣は銀弗を基礎とし且少なくとも30%迄銀、金、外国通貨又は預金を以て保証せれるるを要す。新通貨が要求に応じ且無制限に硬貨に代えらるべきや否やは公式の発表には明らかにせられ居らず旧紙幣は兌換法の通過より二年間流通することを許さるべきも夫れ以後は有効ならざるべし。

 新中央銀行紙幣の注文は日本国政府に発せられたるも今日迄のところ右紙幣も新硬貨も未だ流通し居らず。満州の現通過は紙幣が各銀行を通過するとき栄厚(新中央銀行総裁)の署名を追加せられ居り外依然1931年9月18日前に存したるものなり。

 新満州国銀行が如何にして其の自由に処分し得る制限せられたる資本を以て一切の満州通過を統一し安定せんとする熱心なる計画の完成を所期し得るやは明らかならず。旧省諸金融施設より受け継ぎたる財源は日本の諸銀行よりの借入金及其の資本に対する満州国政府の応募と共に右目的の為全然不充分と思考せられ。加之如何なる基礎に於いて同銀行の満州国政府との関係が設定せらるべきや明らかならず。財政部長より委員会に与えられたる満州国仮予算に依れば、満州国は其の成立の第一年度中に二千万元(注)の不足に直面せんことを予期す。部長の意見に依れば右は中央銀行(当時は存在せざりき)よりの借入金によ補充せらるべきものなりき。其の銀行に七千五百万元応募し、然る後右銀行より其の予算均衡を保つ為二千万元以上を借入れんとする政府は其の中央銀行又は其の予算を健全なる財政的基礎の上に建つるものに非ず。

 (注)予算中本事項及之に続く諸項は満州国財政部長の一委員との会見に於いて「円」として與えられたるも満州国外交部より提出せられたる「満州国概観」の英訳に於いては右は「元」なる用語を以て表示せらる従って委員会は本項及之に続く予算項目に言及するに際し「円」よりも寧ろ「元」を使用することとす。「元」に対する支那人の記号は日本人が「円」に対し使用する記号と同一なる為、支那側及日本側双方より委員会に提供せられたる英訳及仏訳を取扱うに当り絶えざる困難ありたり。

 中央銀行は現に有すと認めらるる以上に多額の現実の硬貨を獲得し得るに非ざれば、一切の満州通貨を兌換可能の銀弗を基礎として統一することを殆ど庶幾し得ざるべし。假令同銀行が通貨の統一(兌換可能ならすとするも)を創成するに於ては同銀行は何等か成就したりと云うべけんも、統一的通貨にして其の安定性が兌換に依りて保証せられざるにおいては健全なる通貨制度の要件を充たしたるものに非るなり。


 各種の公共造営物及鉄道に関し支那側系統と日本側系統とを連結せんことをもくてきとしたる諸取極作成せられたり。奉天事変勃発前日本側は之が実現を熱望したりしも、支那側は絶えず同意を与えることを拒絶したり。尤も9月18日と満州国の成立との間に於いて既に本章第1節中に説述したる如く日本側の希望を実現すべき措置直ちに執られたり。新国家の成立以来満州国交通部の政策は其の権力下に在る主要鉄道線路の少なくとも若干の開発に付き南満州鉄道会社と協定を為さんとするものの如し。

 満州に於ける支那電話、電信及ラジオ制度は全然官有なるを以て政府自身の経営者を有し、東北電話、電信及ラジオ政庁の統一的管理下に置かる。9月18日以来、右制度の3者何れも全満州に於ける日本側制度と更に密接なる共同作業を為したり。加之満州に於ける各地より来り又は各地に至る中継電報並びに関東州租借地、日本、朝鮮、台湾及南洋諸島における各地に至り又は各地より来る中継電報に付き日本電信官庁と東北電信政庁との間に取極作成せられたり。北満州に於ける主要中心地と大連、奉天及長春に於ける日本郵便局との間に通信の迅速なる伝達を確保する為直通線建設せられたり。

 日本語仮名の通信は殊に低率とせられたり。日本語信名の取扱を学ぶ為支那人の書記に対し特別なる訓練を與え、又日本人の書記をして主要中心地に於いて漸次支那人電務従業員に加わらしむる様計画せられ居れり。斯くして満州及全日本帝国間の電信交通を便利ならしむる為あらゆる便宜を供与せられたり。之に依りて自然両国間の通商関係著しく強固となれり。

 9月18、19日事件の後、日本官憲は塩税収入を留保し居る官衙及銀行に対し日本官憲の同意無くして此等の保管金より何等の支出を為すべからざる旨の命令を発したり。

 右塩税の監理は此の財源よりする収入の大部分が名義上は国家のものなりと雖事実張学良元帥の政府に保留せられ居りたる事実を根拠として主張せられたるものなり。

 此の財源よりの収入は1930年に於いては約銀2千5百万ドルに上り右の中2千4百万ドルは満州に於て保留せられ単に百万ドルが在上海監務稽核総弁に送金せられたり。

 張学良元帥は1928年12月、国民政府に参加後、塩税を担保としたる借入金に対し満州より支払うべき定額即ち銀8万6千6百万ドルの月割分担額の支払に同意せり。其の後1930年4月改正発表せられ之に依り満州の月割分担額は銀21万7千8百ドルに増額せられたり。然れども満州財政の地方的逼迫のために張元帥は新割当の支払延期を要求せり。奉天事件の際に於ける彼の滞納額は57万6千2百ドルに上れり。新率に依る21万7千8百ドルの最初の送金は日本陸軍将校の同意を得て1931年9月29日に実行せられたり。満州に樹立せられたる新政権は右以後、1932年3月迄に(3月を含む)中央政府に対し啻に之等のつき割り分担額を送金したるのみならず張学良元帥が未払いのまま残したる滞納額をも送金せり。然れども彼等は塩税剰余金を以て国家の収入と認めず之を満州の収入と認め従って之を地方的目的の為に留保することを正当と思考したり。

 奉天治安維持委員会が省政府に合流せし後、財政庁の支払に充つる為在牛荘塩務稽核署に対し其の総ての保管金を省銀行に移管すべき旨命じたり。支那の公報に依れば在牛荘中国銀行も又原預金者の承諾無くして10月30日、銀六十七万二千七百九弗56仙(ママ)に上る塩税収入保管金の提供を強要せられ遼寧省財政庁の名に於いて同庁日本人顧問のみが署名したる一葉の領収書を交付せられたり。

 新吉林省政府は吉林及黒龍江の監運署に関し同様の措置を採れり。支那の公報に依れば、新吉林省政府は監税収入を省金庫に移管すべき旨要求したり。署長が之を拒絶するや彼は数日間拘留せられ且熙哈省長は署長を更迭し後任者を任命したるが同後任者は11月22日同署を強制占領し又監査署は熙哈省長の命令に依り閉鎖せられたり。此の場合に於いても亦中国銀行及交通銀行に保管せられ居りたる塩税収入は新吉林官憲に依り要求せられ11月6日省銀行に移管せられたり。爾来月割分担額は規則正しく上海に送金せられたりと雖も塩税収入は地方官憲に依り随時引き出し費消せられたり。1931年10月30日より1932年8月25日迄の期間に対しては支那政府の計数を入手し得らるる処、右期間に於いて銀一千四百万ドルに上る塩税収入は満州に於て保留せられたり。


 全満州に於ける塩務行政は既述の如き制限及監督の下に在りと雖も尚3月28日迄は引続き行われたるが同日「満州国政府」の財政総長は稽核署に属する預金、勘定、書類其他の財産を「満州国」塩税務司に翌日引継ぐべく又元来中国銀行の扱いたる塩税の徴収は東三省銀行に移管すべき旨の命令を発したり。財政総張は引続き「満州国」の塩務行政に勤務を希望する官吏は監税務司事務所に其の氏名を申出すべき旨を声明すると共に彼等が先ず支那共和国政府に対する忠順を放棄するにおいては其の出願を十分考慮すべき旨を約せり。

 4月15日、牛荘稽核署は強力を以て解散せられ所長及副所長は署より免職せられ構内は占領せられ金庫、書類及印章は押収せられたり。其の他の官吏は引続き勤務方要求せられたるが彼等は何れも之を拒絶したりと報ぜられ居れり。多数の署員は署長に随い天津に赴き上海よりの訓令を待ちたり。斯くて東三省における旧監務稽核署の職務は満州国の新監税務司事務所に依り完全に引継がれたり。尤も新政府は監税を担保とする外債の為に必要なる金額の衡平なる分担額を引続き支払う用意ある旨を声明せり。

 満州に於て徴収せられたる関税収入は常時中央政府に送金せられ居たるを以て日本軍憲は関税行政又は上海への送金に干渉する所なかりき。此の収入に対する干渉は先ず満州国政府に依り彼等の「国」は独立国なりとの理由を以て行われたり。

 満州国の省政府として2月17日設立せられたる東北行政委員会が最初に為したる行動の一は在満開市場における税関監督に対し関税収入は当然の権利として満州国に属すべきものにして将来該委員会の監理の下に置かるべきものなるが当分税関監督及税務司は平常通り職務を執行すべき旨を訓令するに在りたり。彼等は一般税関行政を監督する為満州各港に夫々一名の日本人税関顧問が任命せられたり旨通報を受けたり。右と関係あるは龍井村、安東、牛荘及哈爾賓並びに其の支署にして右各港において1931年に徴収せられたる収入は夫々五十七万四千海関両、三百六十八万二千海関両、三百七十九万二千海関両及五百二十七万二千海関両なり。現在尚満州国政府の統治外にある愛琿港は支那関税行政の下に活動しつつあり。関東州租借地に在る大連港は特殊の地位を有し居れり。大連を含む満州諸港に於いて徴収せらるる関税収入は全支那の総関税収入に対し1930年に於いては其の14.7%に上り、又1931年に於いては其の13.5%に上るの事実は支那関税行政における満州の重要さを示すものなり。

 満州国官憲が満州に於ける全関税行政を押収したる手続は安東に於ける措置に依りよく例証せらる。右手続は総税務司に依り次の如く記述せられたり。

 3月任命せられたる安東税関日本人顧問は6月中旬迄は何等積極的行動を執る所無かりしが、同月彼は中国銀行に対し関税収入は爾今上海に送金すべからざる旨の満州国財政部の確定的命令を送達せり。6月16日、四名の満州国武装警察官は一名の日本人警部に伴われ中国銀行に赴き、同銀行支配人に対し彼等は関税収入を警備する為来れる旨を告げたり。6月19日、中国銀行は東三省銀行に対し七十八万三千両を交付すると共に税務司に対し右措置は不可抗力の結果として執られたるものなる旨を通報したり。

 6月26日及27日、満州国政府の一日本人顧問は在安東税関を彼に引渡すことを要求したるに対し、税務司が之を拒否したる処満州国警官(総て日本人)の為同税務司は税関より退去せしめられたり。然るに税務司は安東税関収入の80%は鉄道付属地において徴収せらるるものなるを以て日本官憲が此の地帯内における干渉を許さざるべきことを希望し、其の官舎に於いて尚、税関の事務を執らんとしたる処、満州国警官は鉄道付属地に入り、多数の税関吏員を逮捕し残余の吏員を脅威し税務司をして支那の税関行政を停止するの余儀なきに至らしめたり。

 6月7日迄は大連の関税収入は3日、又は4日おきに上海に送金せられたるが満州国政府は6月9日付を以て爾今此等の送金を為すべからざる旨の通牒を発したり。上海に収入の送金途絶えたるに及総税務司は在大連日本人税務司に対し本件に対し電報する所ありたるが右に対し税務司は日本租借地政府の外事課長より関税収入の送金を続くることは日本の利益に影響する所大なるべき旨勧告ありたるの理由を以て関税収入の送金継続を拒絶したり。依りて総税務司は6月24日、大連税務司を命令不服従の廉を以て罷免したり。


 満州国政府は6月27日、右罷免税務司及職員を満州国の官吏に任命し従前の職務に従事せしめたり。満州国政府は若し日本官憲が同政府をして大連税関の監理を為さしめざるにおいては租借地境瓦房店に新税関を設置すべしと威嚇的態度を示せり。租借地の日本官憲は関税行政が新任「満州国」官吏の手に移ることに反対せず。本問題は日本に関係なく単に満州国を一方とし支那政府及大連税務司を他方とする両者間に於ける係争問題なりと主張したる。

 満州国政府は「満州国」は独立国成るを以て権利として其の領域内における関税行政に対し完全なる管轄権を行使すと主張す。然れども同政府は各種外債及賠償金は支那の関税収入を基礎となし居るの事実に鑑み、此等債務を果たす為必要なる年額の衡平なる分担額を支払うの用意ある旨を声明したり。同政府は右分担額を横浜正金銀行に預金したる後、地方的使途に流用し得る関税余剰金は1932年より1955年迄においては約一千九百ドルあるべきことを期待し居れり。

 9月18日後、在満日本軍憲は新聞及封書に対し検閲を為す以外は郵便局に対し甚だしき干渉を加えざりき。満州国の建国後、同国政府は其の領域内の郵便行政を押収せんことを欲し、4月14日、郵務行政の移管を実行する為、特別の官吏を任命せり。4月24日、同国政府は未だ加盟の資格を有せざりし萬国郵便連合に之が加盟許可方を申込めり。

 郵務司が郵便局の引渡しを拒否したる為、暫次現状維持せられたるも官吏手段を行使する為、或る事務所には満州国の監督官配置せられたり。尤も、満州国政府は遂に同国の印紙を発行し支那の印紙使用を停止することに決定したり。7月9日付の交通部令を以て同国政府は新印紙及新葉書を8月1日より発売すべき旨を布告せり。茲において支那政府は郵務司に対し在満郵便局の閉鎖を命じると共に、職員に対し三ヵ月分の給与を受くるか又は他の地において勤務する為支那における指定地に帰還するかの選択を許したり。満州国官憲は残留を希望する全郵務使用人に対し、順次就職を勧誘し、且支那行政の下に於いて彼等の獲得したる財政上の其の他の権利を保障することを約したり。7月26日、満州国政府は全満州を通し完全に郵務行政を押収せり。

 満州国政府は私有財産並びに支那の中央政府又は満州旧政権の何れかに依り與えられたる総ての免許にして右免許が従前施行中の法令及規則に従い合法的に与えられたるものなる限り之を尊重すべき旨を声明せり。同政府は亦旧政権が負える適法の負債及債務を支払うことを約し、且負債に対する請求を裁決する為に委員を任命せり。張学良元帥其の他前政権の要人に属する財産に対し如何なる措置が採らるべきやを記述することは未だ尚早なり。支那の公報に依れば張学良元帥、萬福麟将軍、鮑毓麟将軍、其の他若干の者の私有財産は没収せられたり。尤も満州国官憲は旧政府の官吏は其の権力を行使して彼等自身のために蓄財したるものなるを以て斯くの如き方法に依り得られたる財産は之を以て当然私有財産として承認するの用意なしとの見解を持し居れり。旧官吏の所有物に関しては慎重なる調査行われつつあり但し銀行預金に関する限り右調査は既に終了したりと報ぜらる。

 吾人は斯くして満州国政府の組織、其の政綱及同政府が支那よりの独立を確認する為執りたる手段の若干を叙述したるを以て、次に該政府の行動及其の主たる特質に関する吾人の結論を述べざる可からず。此の「政府」の政綱は数多の自由主義的改革案を包含し、此等の実施は単に満州に於てのみならず支那の他の部分に於いても亦望ましきものなるべし。事実此等改革案の多数は支那政府の政綱中にも亦顕はれ居れり。本委員会との会見の際、右「政府」の代表者は、日本人の援助により彼等は相当期間中に平和と秩序を確立することを得べく、而して軈ては其れを永遠に維持することを得べしと主張せり。彼等は、人民に対し公正にして且効果的なる行政、匪賊の略奪に対する保障、軍費削減の結果たる租税の軽減、通貨の改革、改善せられたる交通機関及一般人民の政治参与権等を与えることに依り、人民の援助を獲得するを得べしとの信念を述べたり。

 しかれども現在迄「満州国政府」がその政策を遂行する為費やしたる時日の短きことを充分酌量し、且既に講ぜられたる手段に対し篤と斟酌を加えるも猶此の「政府」が事実上其の改革案の多数を遂行し得べきことを示す何等の徴候存せず。単に一例を挙げんに(報告書付属書特殊調査第四及第五参照)彼らの予算制度及貨幣制度の改革案実現の前途には幾多重大なる障碍存するが如し。諸改革、秩序ある状態及経済的繁栄等に関する根本的な政綱は1932年に於いて存在したる不安及擾乱の状態の下に於いては到底実現せらるるを得ざるべし。


 「政府」及公共事務に関しては、假令各省の名義の上の長は満州に於ける支那人たる在住民なりと雖も、主たる政治的及行政的権力は日本人の役人及顧問の掌中に在り。「政府」の政治的及行政的組織は、此等役人及顧問に対し単に技術的意見のみならず、事実上行政を支配し指揮するを得しむるが如き仕組みなり。彼等が常に必ずしも日本政府又は関東軍司令部の公の政策と合致せざりしことあり。然れどもあらゆる重大問題の場合には此等の役人及顧問は新組織の初期に於いては若干の者は多少独自の見解に依り行動することを得たるも、爾後漸次ますます日本の公の権力の指揮に従うを要するに至れり。実際に於いて此の権力は其の軍隊による同地方占拠の理由により「満州国政府」が内的にも外的にも其の権力の維持の為日本の軍隊に依存することに依り、且「満州国政府」の管轄下に在る諸鉄道の管理に関し南満州鉄道会社に益々重要となれる任務が委託せられたる結果として、更に最も重要なる地方的諸中心地に於いて連絡機関として日本領事の存在することにより如何なる緊急の場合に於いても抵抗すべからざる圧迫を加える手段を有するなり。

 満州国政府と日本の公の権力との間の連絡は最近の特派使節の任命に依り更に一層緊密となりたり。右特派大使は信任状の交付に依り公式に派遣せられたるものに非ずして満州の首都に駐在し、関東長官の資格に於いて南満州鉄道会社に対する支配権を行使し且同官職に外交代表者、領事事務の首長及占拠軍の総指揮官たる権能を集中す。

 満州国と日本国との関係は従来之を明らかにすること若干困難なりき。然れども本委員会の有する最近の情報に依れば日本政府に於いて近く此の関係を明らかにする意思ありとのことなり。1932年8月27日付本委員会宛日本参与員の書簡に特派使節武藤大将は「8月20日、満州に向け東京を出発せり。到着後同大将は日本と満州との間の友好関係の樹立に関する基本条約締結のため交渉を開始すべし。日本国政府は右条約の締結を以て満州国の正式承認と看倣すべし」との旨の記載しありたり。


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