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山下俊一「国民の義務」

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長崎大・山下俊一教授の『語録』
5/3二本松講演会・全文聞き起こし:

山下俊一「国民の義務」


【書きおこし】
http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/232.html
投稿者 宮島鹿おやじ 日時 2011 年 5 月 15 日
以下、書き起こし。( )内は筆記者注
不明部分は・・・などで表記 

質疑応答部分は
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/771.html
本文を参照


<以下 書き起こし>

三保市長、御紹介ありがとうございました。また、本日、私の話を聞きに、このようにたくさんの方がおでかけいただきまして、心から感謝申し上げます。(雑音)

私は3月の19日に、福島県知事とお会いいたしまして、原発の事故の健康影響、あるいはその後起こるであろうことについてのアドバイスを求められました。もともと長崎出身の医師ですから基本的には放射線と健康ということを専門にしておりましたけども、まさか私がこのような場で、いわき市をはじめ、福島市その他で多くの講演会でお話をさせていただくとは思ってもいませんでした。

今日ここに来ましたのは、すでに2ヶ月近く経ち初期の非常に危機的な状況のクライシス・コミュニケーション、皆様方と対応したという状況からずいぶん様変わりをいたしました。ひとつは皆様方、今お話にあったように、具体的な放射線の被曝線量を知るようになったあるいは計算できるようになった、ということであります。現在この二本松市でも数マイクロシーベルト/一時間という値が、低くなったといえども存在すると。

そういう中で日々生活をしていて本当に大丈夫なのか、あるいは安心して子供たちを学校に通わせられるのか、もっと言うといつまでここに住んで大丈夫なのかというふうなご懸念やご不安が沢山あろうかと思います。当初から私は広島・長崎の原爆被爆者そのデータをもちまして皆様方にお話をしてまいりました。

広島・長崎は「原爆」であります。 

爆弾として受けた放射線、広島・長崎の12万に及ぶ方の健康影響調査がいまなお、放射線影響研究所で続いています。このデータが、実は今回みなさまがたが(雑音)放射線の安全部分の基準となっています。

広島・長崎で一度に原爆を受けた多くの方々は爆風や熱傷でなくなりました。長崎市内でも7万数千人の方が亡くなりました。そういう中での被爆者のデータが実は今回の福島に役に立っています。沢山浴びると当然放射線障害は起こります。急性放射線障害、髪の毛が抜けたり、あるいは血液が固まりにくくなったり死の同心円といわれるように後から亡くなったり、そういうすごい状況が広島・長崎の急性放射線障害で観察されました。これは誰でもある一定量の放射線を被曝しますと起こりますから確定的な障害といえます。避けることができません。

それはだいたい1シーベルト、1000ミリシーベルト以上浴びるとそのような症状が誰にも引き起こされます。現在、広島・長崎で生存中の方々は、この大量被曝をした方も少数いらっしゃいますけどもほとんどは500ミリシーベルト以下、あるいは100ミリシーベルト、あるいは50・・・そういうシーベルトを一度に受けた方々です。そういう方々は急性症状は無くても後から白血病あるいは癌、を生じることになりました。これは全員が全員起こる病気ではありませんので確率論的な影響と呼ばれています。

皆様方に是非憶えていただきたいのが、この1000ミリシーベルト以下で100ミリシーベルトの間で、受けた被曝線量に応じて発ガンのリスクが増えるということを明らかにしたのが広島・長崎の貴重なデータであります。12万人という人々を60年以上追跡することによってその結果、一度に100ミリシーベルト浴びると少し発癌のリスクがあがる、具体的に1000人被曝をすると100ミリシーベルトで5人くらいの癌のリスクがあがるということが、私たちが長年研究をして来たデータであります。

じゃあ、100ミリシーベルト以下は、
実は、わかりません。

100ミリシーベルト以下は明らかな発ガンリスクは今観察されていませんし、これからもそれを証明することは非常に困難であります。しかしながら、放射線の安全防護の基準の観点からできるだけ被曝しない方がいい100ミリシーベルト以下だって癌のリスクはありうる。ということで「閾値」がない直線的なリスクということが放射線安全防護基準の中に取り入れられています。

その結果どれだけ低くしても発ガンのリスクはなくならないじゃないかという話になります。

今回皆様方を混乱におとしめている一つの理由は、年間皆様方はだいたい1ミリシーベルト被曝をすると1年間に、ですから一般公衆はこれよりも被曝をさせてはならないというのが「平常時」の約束事であります。

では、この1ミリシーベルトを私たちはどこまで守り、あるいは安全の指標とできるかどうかということを、今、この福島で問われています。何度もお話しますように100ミリシーベルト以下では明らかな発ガンリスクは起こりません。

「わからない」んですね。

ですが、たとえば、皆様が福島の原発の事故を受けて何が恐いかというと、決して大量に被曝をして白血病になったり血が止まらなくなったり脱毛になったりすることではありません。

20キロ圏内で避難をされた方、あるいは30キロ圏内の屋内退避より遠いところ、そこに降り注いだ放射性物質がちょうど火山の灰のように飛んできた、それが大気中にある間は環境中の放射線レベルがある程度高い、しかし、時間が経っていくと放射性物質は土壌に落ちます。そして半減期があります。このような理由で少しずつ放射線のリスクは下がってきた、しかし、皆様方は、今、環境中の放射線、大半は土壌からの反映された放射線のなかで生活をされています。それは数マイクロシーベルト/一時間という数値が今出ているわけであります。

「科学的」な知見、それから「政治的」に決断される安全防護の線引き、そして本当に将来癌になるというリスク、この3つが皆様方にとって少し難解な数字となって現れていると思います。

ここ、数日来、20ミリシーベルト年間という政府が出したこの安全防護基準に対して、いろんな異論が出たり、あるいは反論が出ています。結論から言うと、できるだけ被曝をしないというのが原則です。最初に守られるべきは乳幼児であり妊婦であり幼い子を守るというのはこれは当然であります。じゃあ、本当に危険であればこういう地にとどまってよろしいのでしょうか。みんな避難をしなくてはいけないんでしょうか。ここに「政治的な判断」がなされています。

20ミリシーベルト/年間を逆算して、365で割り、8時間屋外にいたとして学校のグランド等では3.8マイクロシーベルト/時間という値が、基準が引かれました。もっとも大切なことは、この基準の引き方もさることながら、この数字をどう理解するかということであります。

一つの考え方は、日常1ミリシーベルトであるならば、20ミリシーベルトとんでもない、20倍にもなるという考えが一方にはあります。また、逆に100ミリシーベルトを超さなければ積算であろうと一回被曝であろうとも発ガンのリスクは起こらない、・・・わからないでは50ミリシーベルトでも20ミリシーベルトでも、そのリスクは実はゼロとはいいませんが証明できないという考えがあります。まずこれが一つの大きな論点であります。

そして忘れてはならないことは今福島の原発はまだ収束しておりません。
「平時」ではないということであります。

「非常事態」は今なおこの福島県を覆っています。私は3月19日に知事とあった後、いわき市で講演し、そして福島市で講演しました。放射線の単位がわからない皆様方を相手に今パニックにならないためには、どのように理解するかということをお話しました。正しく放射線を理解し、正しく恐がろうというお話をさせていただきました。

私がいわき市で講演をしたときの内容がいろんなところで流れているようです。第1回の私のお話でありました。体育館において避難民を相手に怒号の飛び交う中でお話をさせていただきました。

よくふりかえって私の発言にも誤りがあることがわかりました。当時、100マイクロシーベルト、50マイクロシーベルト、10マイクロシーベルトということが私が使っていたということがわかりました。私は常々、10マイクロシーベルト/時間以下ではそんなに心配する必要は無いという根拠は年間100ミリシーベルトを基準にして話をしています。

そのような話の中で、いわきあるいは福島で見えない、音もしない、臭いもしない、そういう放射線とどう向き合うかというお話をしましたが、その根幹は、今、福島は非常事態にあるということが第1の条件であります。

平時では皆さん、1ミリシーベルトしか浴びない、しかし、非常時には平時の基準は通用しない、ということであります。じゃあ、通用しなければ、どういう基準をもって皆様方の生活を守り、経済的な崩壊を防ぎ、家族がばらばらになることを防ぐことができるか、もっと言うと、どのように対応すれば福島を崩壊させずにすむかということが私が最も腐心した点であります。


政府の見解、あるいは東京と中央から発せられる情報にはブレがあります。

福島の方々が、今、最大に晒されている危険は何かというと、この「風評被害」と「精神的なダメージ」であります。

3月の下旬、東京の水道水がすこし汚染する、東京はパニックになる。でも、なんら健康に影響を与える量ではありません。にもかかわらず遠く離れた国々でも、あたかも福島が環境汚染の「だいごんげん(?)」みたいな報道がなされる、そしてまた、メディアや海外からの情報が逆に日本に輸入されて、その風評を煽る、そういう場を私はこの福島で歩いてきまして、皆様と話をするなかで、一つの決心をしました。

誰かが、広島・長崎の被曝の経験を話し、そして私自身が20年間、チェルノブイリの原発事故のあとで生活をし、診療し、子供たちを見てきたという経験をお話しすることによって、同じ痛みを分かち合い、そして放射線といかにつきあうかということをお手伝いしたい。

(雑音)

学校のグランドの問題が出る直前に飯館村や川俣の一部の計画的避難というメッセージが政府から出されました。1ヶ月以上たって、そのような勧告が出されました。この件についておそらく誤解が生じるような報道がいくつもあると思います。そこも20ミリシーベルト/年間 で危ないから避難をさせようと、そういうふうに言われています。いたるところで20ミリシーベルトという言葉が実は使われるようになってきました。

今回の原発の事故は、未曾有の地震と津波の結果、想定外とよく使われますけども、とんでもないことが起こりました。1号炉、3号炉、2号炉、そして4号炉、予測がつかないのは仕方がありませんが、また当初、後手後手の対応であったということが、これは後ほど検証されるでしょうが、この間、被害に伴い亡くなられた方々、そして、津波、あと、そこになくなられた方々の死体を放置したまま避難された方々、大変な精神的なダメージを受けております。

こういうさなかで、今、非常事態の渦中にあり、どのように放射線の安全防護を皆様方と共有し、この福島、そして日本を守るかということが最大の懸案事項であります。結果として20ミリシーベルトということが積算線量として提示されました。この一つの根拠は、広島・長崎のデータが元になっています。

国際放射線安全防護委員会は、もしこの場にいて原発事故が起これば、今後数時間で50ミリシーベルト被曝することが予測されたら、これは「避難」です。逃げる。あるいはここで10ミリシーベルトを超すということが予測されたら屋内退避で外に出ません。当初、3キロ、そして10キロ、そして国は20キロを数日内で避難させました。避難すなわちこれは安全なところにいくから避難です。

しかしながらその後、水素爆発等で20キロから30キロ圏内の方々が「屋内退避」という指示が出されます。それも一ヶ月以上解除されることなく、このために消防、多くのボランティアもこの地域に入りづらいという現象を起こしました。私は福島県立医科大学で今働かせていただいておりますけども、そこの医療関係者も逃げ出す寸前でありました。医療が崩壊すると誰も皆さんの健康を守ってくれません。医療関係者こそ最後の砦であります。

消防・警察・県や市、地方自治体の職員が命をかけてがんばっている。そういう渦中にあって、一般の方々の公益、すなわち公衆の安全をどのように担保するかということは簡単ではありません。広島・長崎の被曝のデータから100ミリシーベルト以下に抑えるというのが大原則であります。だからこそ、国際放射線安全防護委員会は緊急時の避難あるいは屋内退避の指令ブラスその後の事態の長引きに応じて基準値をあげることを認めています。

(雑音)

事態が収束しない場合は、100から20ミリシーベルトの年間積算量の中で安全防護を努めてください、できるだけ低くしてください、事故が収束したら20ミリシーベルト以下に抑えてください。これが段階的にとられる措置であります。

その中で日本が20ミリシーベルトという積算線量で、今、いろいろなガイドラインを作っています。このことは私が最初にお話しましたように、発ガンのリスクだけが、今、この環境のなかで問題であります。低線量の微量の放射線をずーっと受け続けている場合、それが一年間に数十ミリシーベルトになったと仮定した場合、それは一度に数十ミリシーベルトを受けた場合とは、実は生物学的な反応は全く異なります。

しかし、放射線安全防護上、一度に浴びた場合も少しずつ浴びた場合も同じ基準で皆さんを防護するように作られています。私はIAEAやWHOで、国際機関でこの防護基準を作るときのメンバーあるいはワーキンググループとして仕事をしてきました。国際基準の作られ方、どうやってこういう基準の線引きができるかという数字の裏に秘められた各国の主張、あるいはエゴをたくさん実体験してきました。数字は往々にして一人歩きをします。そしてそれについて金科玉条のごとく話をする場合が出てまいります。まずその数値について疑ってみるあるいは考えるということが今問われています。

最初にお話をした平時の1ミリシーベルトを、非常時に20ミリシーベルトにあげた、これは許されないというふうに思い、これは健康のリスクの最大の発癌で自分たちはここに住めないと思う方は、これは、そこを動く、逃げ出すしかありません。

今、国が20ミリシーベルトに上げたこのレベルがずっと続くとは思いませんが、基準は基準です。

生涯にわたって・・・発癌の起こるリスクが1000人に対して5人くらい増える可能性が100ミリシーベルトを超えると起こる。しかし、それ以下ではわからない、しかし、10000人に一人でも起こるかもしれない。その一人に自分の子供をさせるのはいやだ、あるいは自分はそうなりたくないという、

放射線の確率的な影響に対するリスク認知を皆さん方が個人個人がどうするかを問われています。

日本政府がすべてを責任をとっていただければ一番すむことですが、責任は取れない、皆さんがたの命です。

命の選択は我々個人個人が可能な限り選ばなくてはいけません。何もしないという選択もあります。しかし、それもリスクを伴います。何かをするということも当然リスクを伴うわけです。

1ミリシーベルトを20ミリシーベルトに上げた、これは大きなリスクを伴います。

そのリスクは将来、ひょっとすると、うちの子が癌になる可能性が少しあるかもしれない。じゃあ、われわれ40,50を過ぎた人たちはどうでしょうか。幸いに、広島・長崎では年齢依存性に発癌リスクがあがるということが証明され、若ければ若いほど被曝の影響は出やすいが20歳をすぎ40を過ぎるとほぼ放射線の影響は発癌のリスクはには関わってこないということが明らかにされてきました。ひるがえって、じゃあ発癌リスク、確率論的な癌の発症を、癌という立場から逆に考えて見ましょう。皆さんが恐いのは、放射線を浴びて癌にならないか、じゃあ癌はなんで起こる。

私たちはすべからく3人に一人、近未来的には二人に一人が癌で死にます。これは避けられません。もう、ここにいる方々の何人かあるいは何十人かはもう癌をもっているはずです。私もあります。みんな癌の芽をもちます。生きているということはそういうことです。死は避けられません。その死のリスクの大きな要因である癌を考えてみると、これは生命現象であります。命がいかに紡がれて、命がいかにでき、そして命がいかに次につなぐかという大きな流れの中で癌もまた考えられます。発癌のリスクの最大の特徴は遺伝子に傷がつくということであります。遺伝子に傷がつくから、正常ではない発癌が、癌の芽ができ、癌が悪さをしていくわけであります。

ここにいらっしゃる方々は、すべからく奇跡の結晶です。私たちの父親・母親、愛情の結晶として半分の染色体、1個の卵と精子が1個の細胞を作り、それが今、皆様方が生きてる66兆の細胞に分裂・増殖をし、毎日新陳代謝を繰り返して、今の皆様方の命を紡いでいます。この命の紡ぎの中でいろんな環境因子の影響を受けて私たちは良きにつけ悪しきにつけ老化をし、そして発癌のプロセスを辿ります。遺伝子に傷がつく、だから放射線は恐いんだ、確かにそうです。

しかし、放射線以外に遺伝子に傷を付けるものは山のようにあります。子供が最初に離乳食を食べる。お母さんのミルクに入っていたかもしれない化学物質、あるいは、赤ちゃんがあびる人工着色料や化学物質、環境ホルモン、もっと言うと、成長するときに、過剰なナトリウム、食塩や、カルシウムにさらされる、栄養の過多、栄養の不足、新陳代謝に伴う我々の過酸化水素の問題これもすべて、すべからく遺伝子に傷を付けます。じゃあ、そんなに遺伝子に傷がつけばみんな癌になっちゃって、とんでもないことが起こる。

そうです。我々が生命として自分のコピーを次の世代に移せるのは、この傷を治す能力を我々生命体は持ったからです。遺伝子に傷がついた。しかし、これは治るんです。何十、何百と言うバックアップシステムのなかで私たちの遺伝子は傷がついたら治す、あるいは傷がついたらそれを除去するという素晴らしい能力を獲得してきました。

実は放射線は遺伝子に傷をつけるところで進化の過程で大きな影響を及ぼしています。遺伝子が(雑音)・・。間違ってつながる、そういう中で実は生命は進歩してきました。私がお話ししたいのは、物理的な影響を及ぼす放射線の量、放射能と、最終的に皆様方が心配する体への影響、身体影響、この間のブラックボックスの間には生命科学という命を紡いできた大きな現象があります。

幸いに私たちの体も少量の放射線を被曝をしても即座に遺伝子の傷を治す自己防衛の機能が備わっています。

最初に私がすべての放射線の防護基準は一度に100ミリシーベルト以上浴びてはじめて発癌リスクがわかるという話をしました。しかし、世界の基準は、少量、微量、積算で100ミリシーベルト浴びても、これを、おんなじように防護しようという基準でできています。でも生命の反応はそこは大きく異なります。少量浴びても、よしんば傷がついたとしても、それを治す能力を我々の体は備え付けて持っています。すごく精密的な影響という意味では異なります。

放射線を正しく理解し、正しく恐がるための一つの試金石として、この積算線量の考え方と、一度に浴びるときの考え方に同じ防護基準だけども健康リスクは違うんだということを私は説明し続けてきました。その根拠は、広島・長崎のデータのみならずチェルノブイリの原発事故のあと、ずーっと そこで一緒に仕事をしてきたからであります。

はじめに放射性ヨウ素131が大量に大気中にばらまかれました。1986年の4月26日午前1時23分、最初の第一報は1300km離れたスウェーデンの原子力発電所4基が異常アラームを出しました。スウェーデンは自国の事故だと思いました。しかし、東西冷戦構造の中で、どうもその震源地はチェルノブイリということがわかり、翌日からヨーロッパ全体が非常事態となります。1300km離れたスウェーデンで観測された環境中の放射線の量は10マイクロシーベルト/時 です。この福島原発で60km離れた福島市で3月15日観測された最大の値は20マイクロシーベルト/時 です。

この福島原発はレベル7でチェルノブイリに相当すると報道されましたけども、その規模、そして広がり、そしてその影響度は全く比になりません。

きわめて福島原発はコントロールされています。それは原子炉のコントロールではなく、皆様方に健康被害を出さないという意味でコントロールされております。

チェルノブイリでは放射性ヨウ素が大気中に流れ5月1日はメーデーです。音も臭いもしないなかを多くの方々が街頭行進をしました。そして汚染された牧草を食んだ牛乳・原乳・ミルクをその後数ヶ月間にわたってゼロ歳から10歳、15歳の子供たちが飲み続けました。食物連鎖に伴う環境汚染に伴う経口摂取による甲状腺の被曝であります。半減期が8日にもかかわらず体の中に入った放射性ヨウ素は甲状腺に長く留まります。甲状腺にずーっと傷を付けた。

だからこそ私たちが91年はじめて現地を歩んだときに、小さな子供たち5歳、10歳に、こどもの甲状腺癌が激増しました。放射線を被曝をすると潜伏期があります。こどもであればあるほど早く発症します。この経験はいち早くのちほどの原発には生かされました。汚染された食品の流通を制限しました。

これによって多大な風評被害という代償を蒙りましたが命は守られます。

じゃあ、放射性ヨウ素は消えてしまうから、今残っている放射性セシウム137は半減期30年だからよっぽど危ないぞ危険だというふうに考えられます。実際皆様方が土壌中、あるいはグラウンド等で心配される放射性物質は放射性セシウム137であります。半減期が三十年。事故直後大気中に拡散した放射性物質は容易に関東平野、そして遠く私の長崎まで飛んできています。それほど微量であっても、感度がいいから計ろうと思うと計れるんです。これが放射性物質の特徴です。
計れる。だから皆さんがこうやってマイクロシーベルトやミリシーベルトで計った値で議論ができるわけです。

ここは極めて重要な点で、計ることができる。音も臭いも何もしない計れる。

じゃあ、計ったデータをどう解釈をするか、これが今日の話の中のもう一つの重要な点です。放射性のセシウム137は半減期が30年で半分になります。体の中に入ると、60日から70日くらいで半分になります。(? 投稿者理解できず)

わたしはチェルノブイリで20年仕事をしてきました。行くたんびに現地のものを食べますから汚染もしますし体に被曝もします。しかし、その被曝の量はたかだか年間レントゲンを数枚とるくらいです。
わかって行動すれば恐くはありません。

セシウム137はカリウム40と同じような挙動をとります。皆さんの体の中には全員カリウム40という放射性物質があります。少ない人で500ベクレル、多い人で5000ベクレルくらいあります。これは仕方がない、自然界から我々は食べ物食べますから、その中にもう入っています。でも、これはすごく新陳代謝がはげしく代謝をされていき、コンスタントに私
たちは宇宙線や大気中のみならず自分自身の体からも放射線を被曝をしています。これはホールボディカウンター、皆さんが入るとすぐにわかります。そのピークがどこにでるかということで皆様方の体の組成の元素の放射性物質を知ることができます。私たちがこうやって生きてきて命を紡ぐなかで放射線は常に切っても切れない存在でしたが、今回は、全く我々に責任がないにもかかわらず不作為で原子力発電所の事故せいでみんなが汚染されました。

何回も言いますがこれは平時ではありません。

緊急事態であり、非常事態であります。私はこれを静かなる戦争と思います。音も臭いもしないなにもわからないなかでみんなが苦労して塗炭の苦しみに会う、その一つの大きな目に見えない恐怖が放射線である。放射線のリスクをどのように考えるかという、まずはお手伝いをし、そして国が与えられた指針に従って、どのように行動するかということを皆様方と質疑応答するためにここに来ました。子供たちの笑顔や叫び声を消すわけにもいきませんし、この福島をなにはともあれ無にすることはできないと、こういう元気な子供が消えてどうします。(~先ほどから会場に子供の声が響いていた~ 若干会場に笑い声)

絶対この町にいて欲しいと思いますし、

この子達の・・・環境を守り続けるのが私たちの責任だと思います。私は今日ここに来たのは、沢山の質問を受けるためにきました。答えは持ち合わせてないかもしれません。私は健康の専門家ですから、実際の原子力発電所のこともわかりません。しかし、どうやって向き合えばいいかどうやってこれを克服するかということについては皆様方と一緒に考えることはできますし、広島と長崎は全力を挙げて福島を助けます。

今、広島・長崎からは多くの医師・看護士、そして職員が入って仕事をしてくれています。明日は長崎市長も来ます。是非一緒にこの難局を乗り越えたいと思いますので、これからも私、時々来て福島のために話をしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。どうもご静聴ありがとうございました。

(微妙な拍手)


<以上、書き起こし終了>



投稿者コメント

福島における20ミリシーベルト/年という基準について調べるため、自らの学習という意味も兼ねて、講演部分の書き起こしを行った。

この中で、山下氏は「福島の崩壊を回避すること」に腐心したとはっきり述べている。本来そういった判断は学者の行うことではないと思う。

安全かどうかが不確定であるならば、乳幼児・児童、あるいは妊婦の、できるだけ速やかな避難を「学者」として呼びかけるべきではなかったか。

実は、以下の動画「フジ とくダネ 5月10日放映分」において記者の質問に対し、「20msv/年は暫定的数値」「安全であるとは言っていない」と回答するとともに、さらに記者の「耐えろということか」という質問に対して、「じゃあ、どこに避難させますか?」という発言をしている。

http://www.youtube.com/watch?v=950H9R5htcM
(※ 5月15日 午前9時29分現在 非公開となっている)

低線量放射線被曝・内部被曝の参考資料としては、やや徒労であったように思われるが、山下氏及び、山下氏を講師として招聘した県の意向が明瞭となる内容としては意味があったと思う。






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