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「日中歴史共同研究」の展望

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防衛研究所ニュース 2008年12月号(通算127号)
ブリーフィング・メモ

「日中歴史共同研究」の展望

戦史部上席研究官兼第1戦史研究室長 庄司 潤一郎 


はじめに

「日中歴史共同研究」は、日中首脳会談での合意を受けて、2006年12月、「共同研究を通じて、歴史に対する客観的認識を深めることによって相互理解の増進を図ること」を目的として立ち上げられた。日中2千年有余の交流の歴史、近代の不幸な歴史及び戦後60年の日中関係の発展に関する歴史を対象に、「古代・中近世史」と「近現代史」の二つの分科会が設置され、筆者は「近現代史」の委員として参画している。これまで日中関係というと、多くの場合戦争期に焦点が当てられてきたが、戦後も対象に含んだ点は画期的な意義を有している。ちなみに、歴史に関する共同研究は、既に韓国との間で2002年より始められており、日中はそれに続くものである。これまで3回の全体会合と3回の分科会ののべ6回の会合を行い、現在報告書の公表に向けて最後の詰めの段階に入っている。歴史認識をめぐるこれまでの両国の関係を考慮すれば、極めて困難な試みであるが、討議は真摯かつ冷静に行われ、実り多いものであった。報告書は、合意された時期・テーマ別の共通の対象について、日中双方が各々一般的な通史・概観として執筆、その後の会合における相互の議論を踏まえて加筆・修正した論文で構成される、いわゆる両論併記(「パラレル・ヒストリー)」の形式になる予定である。

1 「公的」共同研究の意義

日中間に設置された公的な委員会として「日中友好21世紀委員会」(1984年に設置された、政治、経済、文化など広範な分野について、両国政府に提言を行う委員会で、ほぼ毎年開催されている)などがあるが、歴史を対象としたものは「日中歴史共同研究」(以下、「共同研究」)が初めてである。一方、民間の共同研究は、教科書事件や靖国神社参拝問題によって日中間で歴史問題が表面化した1980年代後半以降頻繁に行われるようになった。なかには韓国や米国なども交えた多国間のものもあり、近年では共通歴史教材も編纂されている。こうした状況において、「公的」共同研究の意義は何であろうか。

第一に、日中両国の国家間においてとかく政治化し易い歴史認識をめぐる議論を、「共同研究」という学術的な場に委ね「非政治化」することである。すなわち、歴史をめぐって紛糾した時は、それは「共同研究」に委ねてあるとして問題化させず、両国政府が資源、金融、食の安全、少子高齢化など協力して取り組むべき重要な案件に集中することを可能ならしめるといった、「一種の保険」(日本側座長・北岡伸一東京大学教授)としての位置付けである。

第二に、実態以上に誇張されている日中間の歴史認識問題について、その相違点、共通点及び背景などについて冷静に検証し、その成果を公表することによって、両国民間の「溝」や偏見を縮小するとともに、相互理解を促進することである。北岡座長は、「共通の歴史認識を目指すのではなく、両者の溝を整理・確認のうえ議論を行うことで、従来の差異を縮めることは可能であろう」と述べていた。さらに、日中間の歴史認識をめぐる確執が国際的にも注目を浴びている現状に鑑み、可能であれば日中両国語に加えて、英語でも発信することにより、第三国にも日中間の歴史認識問題の本質について正確な情報を提供することも有意義ではないだろうか。

第三に、人選の問題である。戦後の日本では、近現代史に関して多様な見解が存在すると同時に、イデオロギー対立の影響を受け、歴史問題が一部「政治化」していった。そのため、民間の共同研究が多くの成果を残してきた点は否定できないものの、日本側の参加者の一部がバランスを欠いているとの指摘もあり、北岡座長は、「両国である程度評価の定まった歴史家がメンバーに入っていなければ、むしろ有害だと思う」と述べていた。今次の委員の評価は第三者に委ねるとしても、歴史認識が分裂している現在の日本において、完全に公平な人選は困難であるが、より「適切な」人選には配慮すべきであり、それが「公的」の意味ではなかろうか。

ちなみに、中国の委員はすべて、北京大学もしくは中国社会科学院という北京の機関に所属し、近年独自の研究を進めている上海など南方の研究者が含まれていないのは、また別の意味における「公的」人選であろう。


2 今後の課題

一方、「公的」とは、前述した第一番目の意義とは反対に、「政治」とのリンクといった側面も同時に有している。すなわち、中国側の歩平座長(中国社会科学院近代史研究所所長)は、「共同研究」は日中共同声明(1972年)、日中平和友好条約(1978年)、日中共同宣言(1998年)の3つの政治文書の原則に基づいて行われるべきであると述べているのである。特に、これら文章の精神で「共同研究」と関連があるのは、「侵略に対する反省・責任」と「善隣友好」であろう。

もちろん、日本人として「侵略に対する反省・責任」を認めることは必要であるが、それが直接中国の歴史に関する公式見解、換言すれば「正しい歴史認識」を認めることに繋がるとは限らない。特に、「中国は戦後一貫して抗日戦争記念を重要な政治活動、社会活動として位置づけてきました」(歩平座長)というように、日中戦争を中心とする日中間の近現代史は、中国にとって中国共産党の正統性、国民統合の論理と密接に結びついており、特に日本側の学術的な認識との間に、大きな距離が存在しているのが実情である。

こうした相違は、「共同研究」における方法論をめぐる討議や中国側の言説においても散見された。日本側は、個々の具体的「事実」を検証するとともに、その客観的な原因に関して政策決定過程を通して究明する傾向が強い。その結果として、当時日中間には戦争だけではなく様々な選択肢・可能性が存在していたとされるのである。一方中国側は、近代日中関係の根底にある必然的な流れに着目し、近代日本の「侵略」の計画性・一貫性とそれに対する中国の「抵抗」といった図式で歴史を理解しようと試みるのである。例えば、日中戦争の発端となった盧溝橋事件に関して、日本側は、最初の一発の検証を踏まえ偶発性を指摘するが、中国側は満州事変、さらには日清戦争以降の日本の「侵略」との連続性が強調され、その当然の帰結として解釈されるのである。また日本側は、日中関係を単に二国間関係ではなく、東アジア及びグローバルな国際関係の視点から分析すると同時に、政治・軍事・外交といった日中関係に影響を及ぼした両国の国内的要因に着目し、相互のリンケージにも言及する。

一方、こうした日本側のアプローチは、「ある事項と事柄の非連続性・偶発性・外因性を強調する『非構造的歴史観』は根本問題の判断を忘却させる」(歩平座長)というように、事件の必然性や必然的な因果関係を無視するものであると、中国側から指摘されたのであった。さらに、日本側の分析は、個々の「事実」を詳細に分析するミクロな「実証主義」に囚われており、それは「侵略」に対する責任の回避、弁解であるばかりでなく、中国国民の心情を傷つけ、さらに日本の「修正主義」にも資する結果となると批判されたのであった。大枠において「加害者」である日本と「被害者」である中国との間における学術的な議論の難しさの一端を示しているのではないだろうか。

中国は、日中間の話し合いの場においてしばしば「歴史をもって鑑となし、未来に向き合う」という言葉を引用するが、「歴史をもって鑑となす」は、「侵略」をもたらしたという「教訓」を学ばねばならないということを意味している。そして、「教訓」は、政治的・道徳的な善悪という一定の価値判断に依拠すべきものであった。こうした指摘は、「実証主義」と「教訓」をめぐる日中間の微妙な相違を物語っていると言えよう。

また、「善隣友好」についても、「共同研究」の目的は、日本側にとっては、相互理解の促進、さらには「保険」としての意味であるが、中国側は、「友好」の促進と、最終的には歴史認識の共有を第一義的に考えている。ところで、ある世論調査によると、中国では、40パーセントの人々が、「共同研究」によって日中間の歴史問題の改善に期待を持てると回答しており、日本(19パーセント)に比較して「共同研究」に対する期待が高い。日本では、国内においてさえ様々な歴史認識が存在・分裂し、激しい議論がなされている現状で、まして中国と歴史認識を共有するのは難しいと考えるのであろう。一方、中国国民の多くは、「正しい歴史認識」は一つしかないと考える傾向があり、「共同研究」を通じて日本が中国の歴史認識に一致することを願ってのことではないかと思われる。したがって、日本側がいかに記述するかといった点も、中国にとっては重要な問題であり、「共同研究」において大きく異なった見解が示された場合、反日感情が再び高まるだけではなく、ひいては中国側委員や中国共産党・政府に対する反発も惹起するのではといった懸念も指摘されている。いずれにせよ、安倍総理の訪中以降定着した近年の日中間の「友好」関係が損なわれると見なされるのである。一般的に、歴史認識に関して、研究者としては受け入れ可能であっても、国民が広く受け入れるようになるまでにはかなりの時間が必要とされる。特に中国では、広範に共有された「世論」か否かは議論があるものの、近年インターネットなどにおいて強い「愛国主義」の主張がなされるといった現状がある。このように中国の場合、国内世論に対して配慮せねばならないという、「公的」共同研究であるが故の難しさを有している点も否定できないであろう。

おわりに

このように、日中間の「公的」な「共同研究」は、現時点では意義とともに課題も有している。2008年5月の胡錦濤主席訪日において、両国政府は「共同研究」の継続について合意したが、今後こうした課題にいかに向き合うべきであろうか。その際、「共同研究」の参考例とされた「ドイツ・ポーランド歴史教科書対話」から学ぶべき点は多い。第一に、個別的な「事実」に関する討議である。日中間においても、歴史認識の前提となる「事実」の認定に関して、いくつかの重要な点で相違が存在しており、一次史料に依拠しつつ、相互に検証していくという一見地味な作業が、歴史認識の共有よりまず求められているのではないだろうか。第二に、参加する研究者が、歴史家としてのプロフェッショナリズムに徹し、国籍ではなく、「私的」かつアカデミックな立場から、自己批判を踏まえつつ、対等な議論を行うことである。その点、歩平座長は、「中国の研究者も、日本の研究者も、国家の利益(国益)を護ることは、研究者の職責である」と述べており、ヨーロッパと東アジアの、ナショナリズムと学問をめぐる環境には大きな懸隔があるのも事実である。第三に、政治環境の安定と政治家の強い信念、理性的なメディアの対応、さらに成果の一般社会への波及である。

「ドイツ・ポーランド歴史教科書対話」は冷戦期の1972年からから着手され、本年36年目にして漸く共通の教科書を作成することで合意に達した。日中間の対話は今始まったばかりであり、かつヨーロッパと東アジアの状況も大きく異なっていることは言うまでもない。今後も焦ることなく目標を遠くに置いて、対話を継続していくことが重要なのではないだろうか。


<参考文献>

北岡伸一「日中歴史共同研究の出発」『外交フォーラム』2007年5月号
北岡伸一「語る(インタビュー)」『毎日新聞』2008年7月21日
歩平「歴史認識の共有のために何が求められているか」『世界』2007年8月号
防衛研究所ニュース 2008年12月号(通算127号)
歩平「東アジアにおける未来志向の歴史認識形成の意義」弁納才一・鶴園裕編著『東アジア共生の歴史的基礎』御茶の水書房、2008年
歩平「前言」日本讀賣新聞戦争責任検証委員会撰稿(鄭鈞訳)『検証戦争責任』新華出版、2007年(中国語)


本欄は、安全保障問題に関する読者の関心に応えると同時に、防衛研究所に対する理解を深めていただくために設けたものです。御承知のように『ブリーフィング』とは背景説明という意味を持ちますが、複雑な安全保障問題を見ていただく上で本欄が参考となれば幸いです。なお、本欄における見解は防衛研究所を代表するものではありません。

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